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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第四章 かくてこの世の栄光は
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栄光の賛歌《グロリア》

 いつか、どこかで見た灰色の街並みがそこには広がっていた。

 それは、スフェールの街でないことは明らかだったけど。どこかこの国に似ていた。

 遠雷が木霊する。

 風に運ばれた焦げ臭い空気がボクの脇を駆け抜けていく。

 上空に棚引いた鈍色の雲は、今にも雨が降り出しそうなのに、泣き出すことはなかった。雲なりに堪えているのかもしれない。

 ガラガラと音を立てて、街並みの一角が崩れ落ちる。

 もわっと白い煙が沸き立ち、濃霧のように視界を遮ってしまう。熱せられたガラスが爆ぜる音が、まるで何かの音楽であるかのようにして奏でられる。

 どこからともなく上がった赤い炎が、瓦礫を黒く染め上げていく。ひどい臭いがした。

 遠くから、人影が迫る。

 それは、黒い巨人だった。

 W二二グロリア。

 その名は、女性の名でもあり、「栄光の賛歌(グロリア)」という意味もある、ボクの愛機だ。ボクの知らない古の栄光をその名にすることで、賛美しているんだろう。

 兵器らしからぬ、ある種の芸術的な美しさすら感じさせる機体がしゃがみ込み、胸部の装甲が持ち上がる。

 そこから降りてきたのは、紛れもなくボク自身だった。

 競泳水着みたいな薄手のパイロットスーツを着て、その上から耐G仕様の戦闘服(BDU)を着込んだボク。

 鏡に映った像のように、どこまでもボクそっくりなその子は、大地に立つとボクを見据えている。

 虚無的な目をしていた。

 ボクはこんなにも生気に欠けた表情をしていただろうか。

 自分が、傍から見てこんなにも痛々しい姿をしていたことが、我ながら信じられない。

 ボクはなんだかいたたまれなくて、思わず彼女に駆け寄ろうとする。

 だけど、もうひとりのボクの答えは、ホルスターから拳銃を取り出し、ボクへ向って突き出す行為だった。

 そして、彼女は言った。


「……どうして?」


 ボクじゃないボクは、泣いていた。

 震える声に、ボクもまた泣きたくなってしまいそうになる。

 黒い瞳から零れ落ちる涙の粒に、ボクは開けかけた唇を再び閉じてしまった。

 問われて、ボクは言葉を失ってしまう。

 なんて答えればいいのか、わからない。

 溜まった涙が頬の上を滑って、乾いた大地を濡らす。その軌跡は輝いていて、彗星が駆け抜けたようだった。


「どうして、ヒューゴを信じたの?」


 彼女は自動拳銃を握っていて、ボクへ向って銃口を突き出していた。

 それは、疑問を呈している訳じゃない。ボクを詰問している。

 疑惑のあったヒギンズと共に、恵澄美を守るために共闘したこと。きっと、彼女はそれを非難しているんだ。


「たぶん、信じた訳じゃないよ」


 ボクは正直に、本心を語ろうと思う。

 何故だろう。わからない。でも、それはボクが丸腰だったからという訳ではないだろう。

 自分自身に対して、武器を向ける必要はないと、本能的に感じ取っていたからか。

 わからない。

 それでも、ボクは言葉を吐き出すように、目の前の彼女に向かって語りかける。


「……裏切られても、いい。そう思ったんだ」


 ボクはいつの間にか、戦いにとらわれていた。

 普通じゃなくなっていた。

 ボクは、フィクションで語られるヒーローのようには、人々を救うことができない。

 残念ながら、敵として登場した人物には、捕えるか、殺すか、くらいしかできない。

 助けるだとか、ましてや救うだとか、そんな選択肢はなかったし、どうやら現実はそういう風にはできていないみたいだった。

 気がつけば、ボクはもう普通の人間ではない。

 人殺しの論理で動いていた。

 でも。

 そんなボクでも、人間性というやつをほんの少しだけでも取り戻すことができた。

 ジョシュアは言った、中佐に気を付けてと。それは間違っているのかもしれないし、正しいのかもしれない。そんな曖昧な現実を前に、信じるだとか、とてもじゃないけれど無理な話だ。

 まして、ここは戦場で、背中を味方に撃たれる心配だなんてしている場合じゃない。それは明らかだった。

 でも。

 ボクは思う。

 たとえ、ヒギンズがボクを裏切って、背中に弾丸を撃ち込んだとしても、ボクは彼を赦すことができるだろう、と。

 それは愛と呼べる代物なのかは、さすがにボクも躊躇うものがあるけれど。

 でも、それはボクが今まで行ってきたことに対する決算としては、分相応のものであるような気がする。

 だから、裏切られてもきっと悔いは残らないだろう。


「ボクは、そんなものを手に入れるために、人を殺してきたんじゃないっ!」


 もうひとりのボクは声を張り上げた。

 それは、魂の叫びだったのだろう。ボクもその言葉に、傷付いていた。

 ボクは何を手に入れるために、人を殺してきたのだろう。

 その問いは、ボクの人生を否定するには十分すぎるほどの威力を有していた。次の瞬間には、もう二度と立ち直れないくらい、強烈な衝撃があった。


「……あの時のボクには、それだけしか選び取ることができなかったんだよ。きっと」


 ボクの目の前に立つ女の子は、炯々とした瞳を向けた。殺意がひしひしと肌にぶつかってくる。

 自分で、自分を憎んでいる。

 ボク自身を赦すことができないでいるのは、明らかだった。

 ボクもまた、辛い思いでいっぱいになる。どうすれば、彼女の心に安らぎが訪れるのか。そう思うと不憫だった。


「きみは、何を表現するために戦ってるの?」

「うるさいっ!」


 銃を握る腕に力が漲っているのが、わかる。

 目の前のボクは、ボクを撃つ気だ。

 己の至らなさの果てに、救えなかった命に対して。

 そして、今まで自分が『仕方がなかった』だとか『これが現実だ』という言葉で片付けていたもの。

 ヒギンズの儚い笑みと言葉が脳裏に浮かび上がってきて、ボクはなんとも言えない気持ちになる。

 あの時は理解できなかった言葉の意味が、ようやく、少しだけわかったような気がするのは、きっと気のせいではないだろう。

 そうであると、信じたい。


「ボクたちも、そろそろ清算しなくちゃいけないよね」


 銃を構えたもうひとりのボクが、歯軋りする。

 目の前で銃を構えた、もうひとりの自分は、今まで心のうちに隠してきたプリミティヴな感情を今にも爆発させてしまいそうだった。

 心の堰に、色々な感情が殺到して、今にも決壊してしまうのではないかと感じる。彼女自身が、暴発する間際の銃のように見えた。


「ねぇ、ボクを撃ってよ」

「……何言ってるんだ?」

「恵澄美も、ヒギンズも。ふたりを守ることができて、ボクは今本当に誇らしいんだ。今まで、ただ戦っていたんだ。でもね、あの時、ボクはようやく、わかったんだ。あの時を迎えるために、今までの戦いがあったんだ、って」


 ボクの言葉に、目の前の自分が愕然とする。

 それは、そうだろう。ボクだって、この時のために今まで戦ってきたという自覚なんてなかったのだから。

 そして、それはもうひとりのボクにとっては、到底受け入れられないことなのだろうとも思う。

 ボクはそう言うと、目元を拭う。

 いつの間にか、泣いていた。

 そして、一粒零れ落ちると、もう止まらなかった。涙が溢れてしまう。

 でも、何故だろう。あんまり悲しくない。ボクは声も出さずに、静かに泣いていた。

 今まで経験したことのない、心地の良い涙だった。


「ずっと、ひとりぼっちで、なんのために戦っていたか、ずっとわからなかった。手段が目的になって、訳も分からず人を殺して……。だけど、今、ようやく、なんのために自分が生きてきたのか、わかったような気がするんだよ」


 いつしか、遠雷は聞こえなくなった。

 ボクは泣き止むと、顔を上げる。もうひとりのボクは口を開いた。


「ふたりを、助けるため」

「そう。ボクの使命は果たした。だから、今なら心置きなく、償うことができそうなんだ」


 ボクは一歩ずつ、彼女に近付いていく。

 もうひとりのボクは、その分だけ後ずさった。ボクたちの間にある距離は、一向に埋まらない。

 まるで、平行線のような関係だった。どんなに伸びても、交わることのない線と線。こんなにも似通っていて、自分自身と同義なのに。


「……気付けて、良かった」


 ボクはそう言うと、目を閉じた。

 あとは、ボクの心に平穏が訪れるのを待つだけだ。


「さよなら、ボク」


 どれくらいの時間が経っただろう。

 もうひとりの彼女は最後に一言、そう言うと、銃声が聞こえた。

 そこで、ボクの意識は途絶えて、暗闇が目の前に広がる。

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