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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第四章 かくてこの世の栄光は
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運命を変える一瞬

 まるで、写真だ。

 無数の記憶の断片が、脳裏に浮かび上がっては消えていく。

 幼い頃のボク。お父さんとお母さん。キャロライナ、エリン、クレア、ジョシュア、恵澄美。

 それは時おり影絵のようなかなり覚束ない輪郭だったけれど、それなのにボクにはどの影が誰のものなのか、はっきりと区別することができた。

 そして、ヒギンズ。

 ボクへと向けられた、穏やかな笑顔。

 今までの苦悩や苦痛ですら、この時を迎えるためにあったのだと、大仰にも思ってしまえる。憤りや孤独を無に帰してしまう、最高の微笑みだと強く感じた。

 それは、ボクの凍てついた心を溶かしていき、かつて自分が持っていた感情を呼び覚ますのに十分な熱量を帯びていた。その温かさに、ボクは幸せを感じずにはいられない。

 錆びついていた歯車達が噛み合い回り始め、止まっていた時計の針が動き出すように、ボクの胸の奥で熱く激しいうねりが沸き起こっていた。

 そうとも、この時ボクはヒギンズの顔を、ずっと見上げ続けたいと思い、願った。

 その笑みをいつまでも、自分に向けてほしいとすら、強く願う。

 そこで、目が覚める。


「トゥクモ、大丈夫か?」


 上を向いたボクの目と鼻の先に、ヒギンズの顔がすぐそこにある。

 あまりにも近すぎて、ボクは場違いだったけれど頬を紅潮させてしまう。

 彼に抱きとめられている状況を把握した時は、心臓が飛び跳ねてしまいそうだった。互いの、微かな息遣いさえ肌で感じ取れそうな、そんな至近距離。この状況では普段通りを取り繕うことは限りなく困難に近くて、どぎまぎしてしまう。


「……ヒューゴ、状況は?」


 ボクが平生を装って起き上がろうとすると、そっと背中を恵澄美が支えてくれる。

 とにかく埃っぽくて、とてもじゃないけれど目を開けていられない。黒い煤も立ち込めていて、目が乾いていくような気がした。

 そして、至る所で何かが焼けたような、焦げた臭いが周囲に漂っている。

 両手が自由になったヒギンズはすぐにホルスターから銃を抜く。

 今まで乗っていたものなのか、それとも別の車両だったものなのか、残骸の陰に隠れてヒギンズは周囲を警戒している。その所作は無駄がなく、彼が歴戦の勇士であることはその動作から見ても明らかだった。


「最悪だ。他の車列の連中と通信が繋がらない。ステータスを読み込んでみると、死んでるか、意識を失っているか……不明だ。武器は九ミリ口径の自動拳銃だけ。対する敵性戦力は、見慣れぬ新型らしきステルス可変FHが四機」

「アサルトライフルは?」

「車のなかだ」


 そう言って、ヒギンズは横転して鉄屑になった車の成れの果てに視線を移す。

 ある高機動多用途装輪車両(ハンヴィー)はクローで切り裂かれて何等分もされ、あるハンヴィーは高エネルギーレーザー(HEL)の直撃を受けて、融解していた。

 他の車列の兵士たちが生存しているとはとても思えない。


「この前使ったライフルは?」

「生憎、家だ。ここにはない」


 ボクもホルスターから銃を取り出す。

 ボクもFHの操縦手(パイロット)になる前は戦闘要員(オペレータ)だったから、銃の扱いには慣れているつもりだ。

 だけど、さすがにこの拳銃ではFHを打ち倒すことはできない。

 今までそれなりの困難を潜り抜けてきたつもりだけど、ここまで不利な状況に追い込まれたことはなかったかもしれない。

 絵に描いたような、危機的状況。

 なのに、ヒギンズはどこ吹く風で、先ほどから車両の残骸の陰に隠れて、様子を窺っている。

 ジョシュアの言う通り、デルタに所属していた時にこういった修羅場を幾度となく乗り越えてきたのだろう。どこまでも冷静だ。決して動じた姿を見せない。


「でも……」

「だが、妙だぞトゥクモ。連中、さっきから手を出してこない」

「……警戒してる?」

「あり得る。おそらく、確実に始末したことを、しかと目で確かめるんだろう」


 ヒギンズの目に殺気が迸る。

 きっと、ボクたちのように、FHで奇襲をかけた後、武装した操縦手(パイロット)がボクたちを殺しに降りて来るに違いない。


「トゥクモ、エスミ。おれに考えがある」


 そう言って、ヒギンズはボクたちに耳打ちをする。

 ボクは頷いた。

 恵澄美も覚悟を決めたようで、しばし目を瞑って沈黙を守っていた。


「でも、大丈夫? これから出てくる連中はきっと手強いよ?」

「安心しろ。おれはもっと難易度の高い作戦に、今までずっと従事してきた。戦闘要員(オペレータ)のひとりやふたりなら瞬殺できる」


 なんとも頼り甲斐のあることを言ってくれるヒギンズ。


「問題は、FHだ。トゥクモ次第といったところだろう。だが、好むと好まざるとに関わらず……」


 ヒギンズはボクを真っ直ぐ見つめてきて、言う。


「やるしかない。できるな?」


 その声音は、ひどく優しかった。


「もちろん」


 絶対に、やってやる。

 ボクの決意は固かった。

 今まで参加してきたどんな戦場でしてきた決意よりも、強くて激しいものだった。




 これがきっと、運命の瞬間なんだろう。

 できれば、生きて帰ることができる。できなければ、みんな死ぬ。

 ボクだって戦士だ。

 だから、次の瞬間には死んでしまうという恐怖といつだって戦ってきた。きっと、まともな死に方なんてできないだろう、という諦めだってある。

 それでも、死の恐怖で半狂乱になることも、絶望で打ちひしがれて無気力になることもなく、今までやってきた。

 どこかでしていた覚悟。

 だけど、ボクはひとりで死ぬことは辛うじて受け入れられても、恵澄美、そしてヒギンズをむざむざと殺される訳にはいかなかった。

 それは、任務だ作戦目標だという次元の話ではない。

 もっと本質的で、核心に迫る問題だ。

 このスフェール半島での戦いのなかで、恵澄美とヒギンズがボクにとってかけがえのない存在へと変わっていった。

 これまでならば、名も無き女(ジェーン・ドゥ)として死んでいくことができたけれど。

 今は、違う。

 恵澄美を無事にアメリカへ。そして、ヒギンズを無事にキャンプ・ポロロッカへ。

 そうでなければ、死んでも死にきれない。

 ステルス可変FHの胸部が開き、そこから、耐Gスーツの上から完全装備の戦闘服(BDU)を着込んだ操縦手(パイロット)が、アサルトライフルを片手に降りて来る。

 そのデザインは、ボクたちが来ているものとよく似ているけれど、着用者は男性だ。身体は鍛えられていて、何より長身だ。


「CIA特殊作戦グループ《SOG》かな?」

「あの服装だけじゃ判断できん。情報軍(インフォメーションズ)も、デルタも、PMSCsも、今じゃあんな恰好だからな」


 そう言うと、ヒギンズはボクに顔を向ける。


「トゥクモ、ここが正念場だ。生きて、エスミをアメリカに帰す。いいな?」

「異論はないよ」




 ◆




 ボクは今、自らの存在感を極限まで消し去って、周囲の気配と同調しようとしていた。

 呼吸が自然が発する音に掻き消されて、ボクは今、周囲に転がるハンヴィーの残骸のひとつと同化していた。

 センサーなどの機械は誤魔化せなくても、それを見る人間の目を欺ければいい――というよりも、今のボクにはそれしかできない。 

 完全装備のふたりが、屑鉄になった車両へと近づいてくる。

 周囲を警戒する目線に無駄はなく、その手付きや行動は滑らかだ。

 スフェールくんだりでドンパチやってるゴロツキの動きじゃない。

 明らかに、プロフェッショナル。小手先の小細工でどうにかできるレベルの相手じゃない。

 ボクはヒギンズの力量を知らないから、一体どれくらいの勝算があるのか皆目見当がつかない。だけど、今はヒギンズを信じるしかない。

 本当の問題は、二機のFHだからだ。このふたりの敵で躓いているようでは、生きて帰ることはできない。

 大丈夫だ。

 ふたりくらい瞬殺だと言ったヒギンズを、今は信じる。

 ボクは人を信じることができない性質だと思っていたけれど、何故だろうヒギンズを今完全に信じ切っていた。

 ジョシュアから、ギーツェンに通じているかもしれないと言われても、それだけは揺るぎないし、裏切られてもいいような、そんな気がしていた。

 最前線で警戒する人物は、車両の陰で身を顰める恵澄美を発見すると、後方を警戒する相棒(バディ)に手信号を送る。

 後方側の人物は口をぱくぱくさせている。恐らく、FHに乗り込んだ要員に報告しているんだろう。


「エチカ・エスミ。手を頭の後ろに回し、その場に伏せろ」


 斥候を務める人物が英語で言う。

 だが、恵澄美は答えず、物陰に潜んだままだ。

 前方の人物がまた手信号を送ると、足音を立てずに物陰に進んでいく。

 後方の人物が不測の事態に備えて注意を向けようとした、まさにその時。

 別の車両の陰に身を顰めていたヒギンズが、この男の背後に飛びつくと、両手で顔を力いっぱい捻り上げる。

 すぐに、男の首が折れる。

 今し方、命を落とした男の手から離れたアサルトライフルを、地面に落ちる前に拾うと、ヒギンズは一瞬で保持し、引き金を引いた。

 だが、弾が発射されない。

 ID銃だ。ID認証された人物以外の人間が引き金を引いても発砲できない。

 異変に気付いた斥候の男が、ヒギンズにアサルトライフルを掲げる。

 だが、打ち合わせ通りに物陰から恵澄美が飛び出して、ヒギンズから受け取った拳銃を撃つ。

 もちろん、銃なんてまともに扱ったことのない恵澄美の、無理な態勢から放った一撃は斥候の男を掠めもしないけれど、男の注意を引くには十分すぎるくらいだ。

 ヒギンズから目を逸らし、銃撃を加えたのが恵澄美だと認識し、すぐにヒギンズに対応すべきだと斥候の男が判断した時。

 ヒギンズは渾身の力を振り絞って間合いを詰めていた。

 斥候の男が再度ヒギンズに狙いを定めた時、すでにヒギンズは相手の懐へと飛び込み、その右腕はアサルトライフルをもぎ取っていた。

 敵とて、決して非力な男ではないはずだ。

 それでも、ヒギンズの怪力にはなす術もなく、ライフルは宙を舞う。

 斥候の男が、膝に収納されたナイフの柄に手をかけた時には、ヒギンズの拳が炸裂し、男の身体が埃っぽい大地に叩きつけられていた。

 わずか数秒の、「一瞬」と形容することが許される間の出来事だった。

 それでも、危機はまだ去っていない。

 状況を見守っていた、二機のステルス可変FHがすぐさま反応した。

 車の残骸を蹴散らしながら、ついにその姿を現した。

 一機は高エネルギーレーザー(HEL)を、もう一機はスタンクローを使用するために電気を兵装へチャージして、生身のヒギンズと恵澄美を抹殺すべく、歩を進めていた。

 だが、やらせない。

 ボクが、守る。

 そう、ヒギンズに約束したのだから。

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