専門計画執行業務
その男の言葉に、自然と周囲の人の視線が集まっていく。
注目という注目が、彼に集まったところで、男は重い口を開いた。
その男は国防情報局のトップであり、情報担当の国防次官でもある男だ。
「かつて、旧ユーゴスラヴィアの紛争では多くの命が失われた。約九年間の戦いは、戦後ユーロのなかで最悪の紛争だった。そのなかで、我々にとって特に教訓になったのは、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ紛争だ。あの時の報道代理店の手際は見事だった」
冷戦の時代、アメリカをはじめとする西側の論理からすれば、ソ連が敵であることは明らかだった。
そこにはたった一ミリでさえも、疑問の余地なんてない。
世界は単純に、二つに分けられていたからだ。
だけど、冷戦後の世界で起きる様々な問題や紛争では、当事者がどのような人達でいったい悪いのはどちらなのか、よくわからなかった。
あまりにも複雑に絡み合った現実が、唐突に突きつけられていたからだ。
そこに、誘導の余地が生まれた。
この誘導の仕方次第で、国際世論はどちらかの味方となり、「敵」にされた陣営を叩く。
だから、世論の支持を敵側に渡さず、味方に引き入れるための優れたPR戦略が今日では重要になる。
「特に、アメリカのPRCが取る手段は幅広いのが特徴ですね。CMや新聞広告を使うのはもちろん、メディアや政界、官界の重要人物に狙いを定めて直接働きかけ、あるいは政治的に影響力の強い圧力団体すらを動かしてしまう」
ジョシュアが言うと、国防次官は頷いてみせる。
「端的に言えば、なんでも、だ。考えられる限りのあらゆる手段を用いて依頼主の利益を図る」
「ユーゴスラヴィア連邦から独立したクロアティアなんかがその典型ですね。PRを通じて、クロアティア独立戦争がいかに正当なのか、セルビア人がいかに汚い連中であるのか世界にアピールした」
国防次官の言葉を、ジョシュアが引き継ぐ。
満足げに、何度も何度も頷き返す国防次官。
段々と身振りが大きくなっていき、グレーの髪を撫でたかと思うと次の瞬間には顎に触れている。
「まぁ、実際どっちもどっちだったりする訳だが。ものは言い様というか」
先程までの能面のような無表情をかなぐり捨て、言葉に感情が乗り始めていることがわかる。
その姿は戦争官僚というよりも、熱弁を振るい自分自身の言葉に酔いしれる政治屋にも見えた。
「では、今回の業務は……」
エリンの隣に腰を下ろしていた、同じユニットのクレアが思わず言い淀む。
顔が微かに俯いたせいで、光沢感のある薄桃の髪留めが蛍光灯の光を反射する。
青白い光を浴び、明るい色の金髪も艶やかに、その輪郭をはっきりさせる。
お世辞にも品行方正とは言えないキャロライナや、高貴さや気高さの裏表としての慇懃無礼さまで兼ね揃えてしまったエリンとは異なり、クレアは純粋な女の子だ。
金髪碧眼の美少女でいながら自己陶酔や自信過剰に陥ることなく、年相応の優しさ、朗らかさ、柔らかさを持っていて、一番「女の子らしさ」というものを持っている。
とても軍人に代わって戦場で命と誇りの奪い合いを演じている非公式請負社員には見えない。
「そうだ。これからの世論形成、誘導と言ってもいい。その後方支援だ」
国防次官の声音に、なんとも言えない苦々しさが混じっているような気がした。
合衆国らしくもない本音剥き出しの言葉。
キャロライナは目を輝かせ、エリンは溜息をついた。
この国ではそう言った「品のない」言葉よりも、人工着色料のような、装飾に装飾を重ねた婉曲表現の方が好まれるというのに。
偽らざる本音がぽろり、と言ったところなのだろうか。
「ボスニア=ヘルツェゴヴィナの時は後れを取った。湾岸戦争の勝利の余韻を、東欧のゴタゴタに巻き込まれては堪らんということだ。軍事力を行使し、莫大な金と、場合によっては若い兵士の命と引き換えにして、合衆国が遠く離れたバルカンの地で得るものなど、何もないのは明らかだった」
国防次官はそこまで言うと、目元を揉んだ。
会話が途絶え、また沈黙の存在感が大きくなる。
ひとしきり揉み終えると、国防次官の皺だらけの手が、机の上を叩く。
軽く叩かれただけなのに、巨大な机の表面が揺さぶられた。
そして、集まった面々の様子を、その表情を、国防次官は確認するようにして見回す。
その作業に満足すると、短く息を吐き出してようやく話を続ける。
「だが、PRCと組んだボスニア=ヘルツェゴヴィナは合衆国の背骨たる自由と平等、民主主義、基本的人権に訴えかけた。そして、『民族浄化』という言葉で世界を動かした。ちょうど同時期に勃発したルワンダ紛争、そしてルワンダ虐殺が霞むくらいに、な」
「ルーダー・フィン社のジム・ハーフですね。ルワンダの平和維持軍削減を決めた国連安保理決議第九一二号を可決したのと同じ日に、ボスニア内における安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議第九一三号を通過させた」
ジョシュアがぽつりと加える。
ボクはジョシュアの半端じゃない記憶力に感心しながら、この二人だけの会話を、その他大勢と共に見守る。
なんだか、妙な気分だ。
ブリーフィングルームに集まる、無数の背広達と、微かに交じった私服姿のボク達。
それが、皆押し黙ってふたりの話に耳を傾けている。
「幸い、今はPMSCsの諸君らがいる」
「クレア、そんな顔をしないで。世論が形成されその動きが大きくなれば、議会はより大きな予算を付けることができるし、PMSCsも資金調達が容易になる。大統領選の論題になれば、より積極的な手段だって可能になるかもしれない」
ジョシュアはそういうものの、クレアの顔は晴れない。
まるで痛みを堪えるかのような、そんな顔色にボクも感化されそうになる。
端的に言えば、合衆国は軍を派兵したくない。
とはいえ、それは湾岸戦争、アフガン、そしてイラクと脈々と続く戦いの系譜のなかで育まれていったものだ。
結局のところ、その機能を補完するのがボク達の役割という訳だ。
公式な戦死者に加えられることもない、名無しの戦士たち。
そして、ボクたちは表向きには存在すらしない、幽霊のような存在だ。
「ブラスト社には、国連関係者や報道の警護だけでなく、専門計画執行業務についても委託できるよう、目下調整中だ。上院国防予算歳出委員会が臨時予算を承認し次第、執行してもらうことになるだろう」
「ありがとうございます」
ジョシュアは朗らかな笑みを浮かべながらそう言うと、国防次官を見据えた。
専門計画執行業務。
抽象的な言葉の羅列を、無理やり溶接した表現。
だけど、その意味合いとはすなわち、悪い奴を捕まえるということだ。
ドンパチをして、下っ端連中に情け容赦無く弾丸を叩き込むだけ叩き込んでミンチにして、親玉の首根っこだけを掴んでオランダはハーグの国際戦犯法廷送りにすることだ。
ボクはキャロライナのタブレットに表示された文字列と、目の前の壁に浮かび上がる地図を交互に見比べながら、アメリカから遠い大地スフェールに思いを馳せた。
当然、提示された情報からは、そこがどんな匂いで包まれているのか、具体的に想起させる材料なんてものはなかった。