親玉《キングピン》
後方支援を担うPMSCsが一報を受け駆けつけ始め、さっきまで湧き上がっていた戦場が再び活気付く。
見ると、キャロライナとクレアが身柄を確保した親玉が、引き渡されているところだった。
ボクはグロリアのハッチを跳ね上げて、大地に降り立つ。
親玉は激しい暴行を受けたのが、遠目から見ても明らかだった。
状況説明の際に見た顔写真とは似ても似つかないくらいに腫れ上がった顔。一〇本の指がそれぞれ、あらぬ方向を指差している。足の付け根も明らかに向きが変わっていて、真っ直ぐ歩けなくなっているように見えた。
「あっ、アイリーン・ワン……」
クレアの声は心なしか震えていた。
「……キャロル。これは一体どういうことなのかな?」
今し方、親玉を別会社の人間に引き渡したキャロライナは、芝居がかった仕草で肩を竦めてみせる。
「別に。見りゃわかるだろ? ボッコボコにしてやったんだよ」
キャロライナは抑揚のない言葉で言うと、弱々しくその場にしゃがみ込んだ。そして、遠くの方をぼんやりと見つめている。決して、ボクやクレアに目を合わせようとはしない。
あの親玉はオランダに引き渡されるまで、不当に暴力を加えられることはない。それが、ジュネーブ条約だ。そして、アメリカ合衆国政府との間に交わした契約には、ボク達もまたジュネーブ条約を遵守する項目も含まれている。
「もし、この件がヒューゴみたいに、PMSCsを監督する機関に調べられたら、問題になることはわかるよね?」
「なんとでも言えよ。どうせ、この糞みてえな半島から追い出されるだけだ。最悪、ブラスト社を首になるだけ、だ。あたしは合衆国の刑務所にぶち込まれて電気椅子で死ぬ訳でも、訴訟で破産する訳でもない。……ただ、転職するだけさ」
キャロライナはよくわかっている、と思う。
結局、ボクらもあの親玉連中と同じだ。
ジュネーブ条約を守るか、守らないか。本来ならば選択の余地がない選択を、選ぶことができてしまう。絶対遵守の条約規定を、ここでは堂々と破り、犯すことができるのだから。
「……クレア。ボクはきみの意見も聞きたい」
そう言ってクレアの方に向き直ると、彼女はボクの視線をしっかりと受け止める。
本当に、ボクは意地悪な人間だ。
わざわざ、ここでクレアの言葉を訊く意味が自分でもちっとも見出せない。でも、ボクはここでクレアに訊かずにはいられなかった。やり場のない怒りが身体の奥底で揺らいでいるのが、はっきりとわかる。
「キャロルの暴行は正当な判断だったと思います。彼は、条約の留保事項である、所謂『暴力的な状態に陥り』、正当な業務の執行に支障が出るばかりか、契約者に危害を加える恐れすらありました。もしも、キャロル……キャロライナを処分するような時になったら、わたしも……」
「うん、もういいよ」
ボクはキャロライナを見下ろした。
「クレアがそう言うんだったら、そうだったんだろう」
ボクは辛うじてそれだけ言うと、ふらふら歩き出した。
疲れた。酷く疲れた。
嫌な気分だった。
いっそのこと、ここで胃のなかのものを全て吐き出してしまいたい気分だった。けれど、お腹は空っぽで何も吐き出せそうにない。それに、たとえ胃のなかに何かが残っていたとしても、嘔吐することはなかっただろう。
ボクは慣れてしまった。
人を殺すことにも、人が殺されることにも。そして、人が死ぬことにも。
慣れ切ってしまっていて、今更涙を流すことも、吐き気を催して胃の中のものを全て吐き出すこともできない。愚鈍と慣れで、辛い現実に耐えることを、覚えてしまったのかもしれない。
「紛争における民間人の殺戮が一般化していることを考えると、戦争という概念を考え直さざるを得ない」
振り向くと、そこには恵澄美が立っていて、地平線の果てまで続く惨状を写真に収めていた。
時おり、カメラを縦に持ち替えながらも、淡々と自らに課せられた使命を全うすべく、シャッターボタンを静かに押していた。
「かつて、戦争といえば確立された国家の軍隊同士が、大抵は領土の征服といった戦略上の明確な目的をもって交戦することを意味した。だが、現在の紛争はこうした基準と類似した箇所がほとんどない」
そこまで言うと、恵澄美はカメラを顔から放した。大きな目を伏せて、眼下に広がる地獄絵図を眺める。
何時ぞやの、無表情がそこにはあって、ボクは彼女になんて言葉を投げかければいいのか迷った。
「大部分が単一の国家のなかで発生し、準軍事組織や非正規軍が、略奪、強姦、あるいは民族的殺戮――もしくは三つ全てを目当てに、丸腰の民間人を標的にする」
だが、今ではそれがスタンダードだ。
親達の間を歩いていた子どもを故意に銃撃したセルビア人狙撃手から、ルワンダのラジオ放送まで枚挙に暇がない。
ここ一〇年間、三分にひとりの子どもが紛争で死に、その犠牲者の数は二〇〇万人を超えてしまった。その三倍の子ども達は障害か重傷を負った。
「子どもを使うと紛争の件数は増えて、単に紛争が長期化するだけじゃない。戦力創出の上で組織の基本方針があまり重要でなくなってくる。つまり、組織の表向きの大義、根底にある組織の指導者達の動機付け、これらと戦闘部隊を戦場に配備できる見込みとの結び付きが断たれる」
恵澄美は言った。
「大義では草の根の支持を得られない組織でも、誘拐もしくは教化によって新兵を引き入れることで兵を集められる。これで、支持を得られずに滅びる恐れも少なくなる。子ども達を戦闘員にすることで、組織の背後にある主義主張はほとんど意味を失う」
そう言うと、彼女はぼくの目を見つめてきた。もし、ボクが男の子で場所が場所なら、きっと恋に落ちていただろう。
同性のボクでさえ、思わず心臓の音を一回り大きくさせてしまうのだから、男性はひとたまりもないだろう。
ボクはわかってる、と言う代わりに頷く。
「何故なら、ほとんどの子どもは、組織の大義が正しいと信じて組織に加わっている訳ではないから。組織の信条について根掘り葉掘り訊き過ぎると、殴られたりするくらいだもの」
こうした変化と共に、指導者と部下との間で報酬や取引の必要が薄れる。
なんの見返りもなしに自分の命を危険に晒すとなると、大人は二の足を踏む。
だけど、少年兵・少女兵の場合、兵士にする過程を経ることで彼ら彼女らは次第に躊躇わなくなる。
そうなると、組織の方でも、地域社会の繁栄だの協力だのを必要としないので、ますます善政を行おうという意欲が薄れる。むしろ、より略奪的、破壊的になる。
その悪循環が出口のない迷宮へと誘う。
そうやって、戦争を継続する上で政治的なイデオロギーはあまり重要でなくなっていく。そして、実際のところは、子ども兵に支えられている多くの紛争は、個人の欲望で満ちていて、富の掌握が全てになっている。
それは、このスフェールでもまったく同じだ。
「小火器の技術的な進歩によって、集められた子ども達が戦いに加わって、成果を上げることが可能になった」
ベルリンの壁崩壊後、供給過剰は明らかだったのに、旧ソ連圏をはじめとする各国の兵器産業は自らの生存を第一とした。結果として、武器の製造ペースはここ二〇年でさほど変化がない。
ということで、世界中のどこでも、小火器は驚くほど安く、そして簡単に手に入る。
「コスト上は世界全体の武器取引のたった二パーセントにも満たない小火器が、現在でも民間人を攻撃する上で最もポピュラーな手段になった。小火器による死者数は戦場における死傷者の九〇パーセントを占めている。五キロ未満の重さ、可動部品はわずか九つという、シンプルさ。三〇分で覚えられる使い方。比較的高い価格の南アフリカでさえ、一挺一二ドルという驚きの安さで」
恵澄美はそこで、ボクの方をまっすぐ見つめてくる。
澄んだ瞳だ。
この世の何よりも美しく、宝石のような高貴な輝きを放っている。戦場でなければ、ボクがついさっきまで人殺しをしていなければ。もっと素直に彼女と向き合えただろう。
だけど、血塗られたボクの手がそれを赦さない。
「これからは、もっと酷い紛争に突入する。時代は、カラシニコフからFHへと確実に移行する。ひとりの子どもがFHに乗る。ただそれだけで、今までは敵わなかった数多くの戦闘車両と戦えるようになる。多くの兵士と戦えるようになる。虐殺のペースが今まで以上に加速する」
恵澄美はいつの間にか、ボクの隣に立っていた。
戦闘が終了したとはいえ、ここはついさっきまで戦場だった。なのに、ボクは彼女が歩いている間、それに気付かなかった。彼女の忍び足が優秀なのか、ボクが放心していたのか。やれやれだ。
「いつになるかはわからないけれど。わたしは、この加速に抗っていくつもり」
恵澄美はそう言うと、ボクに向かって背を向けた。
「……よく喋るね」
「そうね。きっとわたしの旅もそろそろ終わりに近付いているからだと思う」
「旅の終わり?」
「そう。終わりのない旅なんて、ないから」
恵澄美はそう言うと、笑ってみせる。その笑顔は美しく、均整の取れたものだった。
けれど、命が絶えるその一瞬だけ見せる刹那の微笑みにも似ていて、ボクの背筋から体温を奪っていった。




