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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第三章 悪には悪を《バッド・ペイ・バッド》
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事実は小説よりも奇なり

 ボクはそう言って、ヒギンズの方へ向き直った。ヒギンズは片目だけを器用に閉じてみせ、慎ましい笑みを浮かべてみせる。

 あの時のヒギンズの判断は正しかった訳だ。なんだかにわかに信じられない話だ。

 とはいえ、戦場で起こる出来事は往々にして、「事実は小説よりも奇なり《ファクト・イズ・ストレンジャー・ザン・フィクション》」を地で行く世界でもある。あり得ないこと、なんてない。


情報軍(インフォメーションズ)がアクセス可能なキーホール(KH)型の人工衛星が、ちょうど作戦地域上空を通過し、映像を記録していた」


 KH型人工衛星は極めて長い長円を描きながら地球を周回し、もっとも接近するところでは、地上三二〇キロ、遠いところでは三六〇〇〇キロという長い円を描く。一周を一二時間かけて周回しながら、地上のターゲットの写真を撮影して回る。

 二〇メートル程度の深度であれば、地下でも見渡す探査能力を持っている。一〇〇平方メートル単位で映像を精査し、地上の物体は一五センチ大のものまで認識して、煙草一箱でも以前にはなかったものがあれば「異常」と判断し警告までしてくれる優れものだ。

 その名の通り、まさに鍵穴覗き(キーホール)。この類のものを、アメリカ一国で約一〇〇基のスパイ衛星を打ち上げている。

 とはいえ、今では衛星写真の情報は民間だって、まだ未熟なところはありつつも利用している。組織犯罪は人身売買やドラッグの密輸に、鉱業は原材料の発見に、企業スパイ会社は株式市場での思惑に、それぞれ用途がある。

 つまり、衛星云々の話は別に大袈裟でもなんでもない。

 むしろ、時間を経るにつれ、どんどん当たり前になっていく。ボク達が普段意識しないところで、未来はこちらに歩み寄っている。


「じゃあ、奴の足取りは」

「……残念ながら、見失った」


 キャロライナが素っ頓狂な声を上げ、エリンが溜息をついた。

 なんだか、このふたりの反応はお約束というか、ある種の様式美にすらなっているような気がする。

 ちなみに、クレアとヒギンズは表情をまったく変えない。ふたりとも、黙って映し出されているギーツェンの姿を、その相貌を見守っている。


「やはり、ネズミ(スパイ)か」


 ヒギンズの問いに、ジョシュアは頷いて応える。


「しかも、完全にこちらの手の内を把握しているとしか考えられませんね。情報軍の衛星軌道、いつ衛星が上空を通過するのか、最大撮影時間までバッチリ押さえられています。前回のステルスヘリ同様、このネズミは、単に情報をリークするだけでなく、ギーツェンを確実に逃がす『手段』を持っています」


 ジョシュアの言葉に、場の空気が重たくなるのを感じる。


「……なぁ。話を整理して欲しいんだけど」

「いきなりどうしたのよ、キャロル」

米国情報機関群インテリジェンス・コミュニティ内に、内通者(スパイ)がいるっていうのは、前回の身柄確保業務の失敗とか、今回の偵察衛星の監視を振り切ったことからわかる訳だ」


 キャロライナはそこで一旦言葉を切って、皆の顔を窺う。


「だけど、ギーツェンを助けることに、一体どんな意味があるんだ?」

「確かに。ただお金を積まれて場当たり的に情報を横流していた訳じゃなさそうだしね」


 キャロライナが目を合わしてきたので、ボクは答える。

 勘の良いジョシュアとヒギンズが、苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない表情に変わる。

 ちなみに、苦虫っていうのは「噛めば苦いだろうなぁ」と想像された虫のことで、つまり実在する虫じゃない。

 もっとも、噛んで甘かったり、おいしそうな虫なんて、ボクには皆目見当がつかない。たとえおいしくても、やっぱり虫は口にしたくない。


「つまり、ギーツェンを組織的に支援することが、巡り巡って合衆国(ステイツ)の利益になると判断したから、ということ?」


 クレアはそう言うと、軽く息を吐き出した。


「妙な話だね。少なくとも、そういうことならば、そもそも我らのようなPMSCsへの逮捕業務は発注されなかったはずだ」


 ジョシュアはそう言ってやんわりと、クレアの言葉に反論する。

 そこで会話が途切れるのかと思いきや、鍛え上げられた両腕を組んでいたヒギンズがゆっくりと口を開いた。


「いや、そうとも限らん。ギーツェンの存在や行動自体は癪に障るし、害悪以外の何物でもない。だから、逮捕業務の認可は看過する。だが、ギーツェンが『今』捕まるのはマズいと考える連中がいたとしても、不思議じゃない。PMSCsや軍需産業複合体。そして、何よりも、そういった連中と密接に繋がる利害関係者(ステークホルダー)達だ」


 ヒギンズはそこまで澱みなく言うと顔を上げて、クレアを見る。

 視線を真正面から向けられて、心なしかクレアの両頬が薄ら赤くなったような気がしたのは、ボクの気のせいだろうか。


「ただ、合衆国(ステイツ)の機関が組織的に、あるいは計画的に、ギーツェンに関わっているとは、現時点では断定できん。ネズミ(スパイ)一匹と金を積まれたPMSCsの組み合わせも充分考えられるからだ。今のところは、獅子身中の虫がいることくらいしか、確定的なことは言えないと思うぞ」


 なんの規制もなく、開けっ広げの世界市場で、PMSCsは武器と軍事業務の売買斡旋において、日増しに大きな役割を演じるようになっている。

 しかも、大抵は会社そのものは表舞台に姿を現さないで、下請けや自社の子会社に行わせる。

 特にヤバい話になると、孫請けに出したりするものだから、最終的には一体だれがゲリラとかテロリスト集団とかに武器を供給し、支援しているのか、まるでわからなくなってしまう。

 アンゴラ、コンゴ、シエラレオネの例は一部の例外――というよりも、例外中の例外なのだ。

 ボクらのPMCブラスト社だって、実態は本社が乗り込んでいっているけれど、書類上は現地法人が「最終的な執行」を実施していることになっている。

 ちなみに、ボクらの扱いは「出向」――と言いたいところなんだけど、非公式請負社員(NOC)は端的に言えば幽霊社員な訳だから、そんなことはいちいちしなくていい。


「ただ、今回のケースは、情報軍(インフォメーションズ)の人工衛星がいつスフェール上空を通過するか、をあらかじめ知ることのできる人間が、どうしても必要です。ステルスヘリといった実働部隊がアメリカの非公開組織なのか、PMSCsなのか、あるいはそれ以外の誰かなのかはともかく、その情報にアクセスできたネズミ(スパイ)がいることだけは……確実に言えるでしょう」


 ジョシュアはそう言うと、壁に映し出されたギーツェンの姿を見据えた。

 まるで、ボクらの置かれた状況を見て、見下しているかのような表情を浮かべているギーツェンに、苛立ちに似た感情が沸々と湧き上がるのがわかる。


「ちょっと待った。ジョッシュ、最初のギーツェン逮捕作戦の時、アメリカ人(ヤンキー)の存在を仄めかしてたじゃねえか。……本当に目星がついてないのか? あたし達に言えねえだけで、本当はそいつの身柄を確保するミッションが立案されてるんじゃないのか?」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ジョシュアは嫌そうな顔をした。

 恐らく、ヒギンズが目の前にいるからだろう。だけど、ジョシュアはすぐに平生の態度に戻る。


「それについては、この前も話した通りだよ。目星がついているなら、わざわざ人工衛星に頼るまでもなく、悪戯ネズミを絞り上げて、今頃ギーツェンを捕まえてるって」

「……陸軍犯罪捜査局(CID)の方も、委託したPMSCsからの情報漏洩の線から捜査したものの、成果は得られなかった。PMSCsにはもともと機密情報の暴露を恐れて、必要最小限度の開示しかされていなかった」


 ヒギンズはそこまで言うと不意に、ジョシュアの方へ顔を向けた。

 そこで急に黙り込むものだから、皆の視線も自然とジョシュアの方に集まっていく。

 当のジョシュアは何を考えているのかわからない、作り笑いっぽい涼しい顔をして佇んでいた。


「仮に、PMSCsの関係者が犯人だったとしたら、米国情報機関群インテリジェンス・コミュニティに参加するなりして衛星の詳細にアクセスできた者に限定されるだろう」


 ジョシュアは、これっぽっちも動揺していない。少なくとも、ボクの瞳にはそう映っていた。

 そこで、会議はお開きとなった。 

 だけど、この場に生まれた息が詰まるような雰囲気は、そのまま周囲に漂い続けていた。

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