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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第二章 神のご加護を《ゴッドスピード》
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儚き恋心

 バック・グラウンド・ミュージックにヒギンズの説教というのも、意外と悪くない。

 結局、ボク達の夕食は、二日連続でアンソニーのピザになってしまった。ボク達は昨日のように、黙々とピザを頬張る。ときより、下の階から上がるヒギンズの怒号と、キャロライナとジョシュアの情けない弁明が微かに聞こえてくる。


「あ、お風呂どうしよっか?」


 クレアが言った。

 ボクとエリンは顔を合わせる。

 別に、図った訳じゃないけれど、ぴったりのタイミングだった。

 死線を共にすると、案外こういったところで似通ってくるのかもしれない――というのはまったくの嘘で、同じく死線を共にするクレアとはなかなか共通項を見出せない訳だけど。


「……今日はシャワーでいいんじゃないかしら?」


 よりにもよって、疾風怒濤が吹き荒れるリビングを突っ切って、湯船を張りに行きたくない。それが、ボクとエリンの共通認識だった。

 ボクとエリンの顔に浮かんだ疲れたような笑みを見て、クレアも心得たと言わんばかりに、何度も何度も頷いた。相手の気持ちを察し、それを尊重してくれるクレアは本当にいい娘だと思う。


「そう言えば、昨日は結局、恵澄美が一番風呂だったの?」

「ええ。ただ、わたしとクレアだけれど」


 一緒にお風呂入ったんだ。

 恵澄美は普段通りのしれっとした無表情に近い顔で、クレアは別に照れなくてもいいところなのに、必要以上に照れてみせる。

 こういうところは、クレアは全然アメリカ人っぽくない。極めて日本的な、しかも、昨今急速に失われている繊細な慎み深さが、彼女にはあるような気がする。


「エスミはクールに見えるけど、そこまで冷たくはないのね」


 エリンは口元を上品に拭いつつも、そんなことを言う。

 ボクから言わしてもらうと、同じくクール系なエリンがそれを指摘するんだ、と少なからず驚く場面でもある。

 恵澄美とエリンは生き方や境遇は違うけれど、その実、ネコ科のまったく同じ種族が発している雰囲気みたいなものを感じさせる。見た目は可愛らしいけれど、野生に生きているだけあって、食いっぱぐれのないように、計算高さと大胆さを合わせ持っているように見える。

 あと、恵澄美は目がちょっと吊り目がちで、エリンは目付きが鋭いという意味でも、だ。そういう意味で、二人は美少女だと思う。羨ましい。実に、羨ましい限りだ。


「ところで、ツクモ。今日の出来事、恵澄美にも報告しなさいよ」


 エリンがボクの肩をとんとんと突く。

 恵澄美がボクを見据える。

 ボクは聞えなかった振りをして、どうにかこの場を切り抜けようかと思ったものの、恵澄美の無言の視線に耐えるのが、段々辛くなっていく。


「……何かあったの?」恵澄美の問いが、どことなく重く感じる。

「いや、特に何も」

「ほらっ、せっかくここは女の子だけの集まりなんだから。集合知を結集して、今後の戦術に反映させましょうよ?」


 うわぁ、よりにもよって、あのエリンがノリノリだ。

 なんでだろう、すっごいやりにくい。

 ボクはエリンの猛攻から逃れようと頭のなかで策を練ろうとするものの、恵澄美の双眸に、いよいよ受け止め切るのが困難なものになっていくのがわかる。まるで日焼けした後の肌のような、ひりひりした感じがした。

 マズい。この場の空気、雰囲気、そして何よりも風向きが自分に対して、余所余所しい。これはボクにとって、手強さすら感じさせる。


「ツクモからなの? それとも中佐からなの?」


 傍目から見ても、とても楽しそうなエリン。

 もしも、彼女から尻尾というものが生えていたら、きっと今頃はぱたぱたと内なる情動に呼応していただろう。

 まったく、人の気も知らないで。

 ボクは黙ってこの場を乗り切ろうかとも一瞬思ったけれど、そんなエリンを前にすると、何か一言言ってやりたくなる。


「エリー。きみは一部始終を知ってるはずだけど」

「ええ。視覚情報はバッチリ。だけど、ガンマイクの音の方は芳しくなくて……」


 そう言って、まさに興味深々といった感じで、ボクへ意味深な目を向けるエリン。

 ボクは迷ったけれど、そろそろ抵抗するのに疲れてきたというのもあって、口を開いた。

 とはいえ、心のどこかではこの問題に対して、誰かに打ち明けてしまいたいという気持ちがないと言ったら嘘になるだろう。


「そうだね。まず、最初に。ボクは後悔しているんだ」

「……何を?」


 話をまったく把握していない恵澄美が問う。

 その辺りのところをフォローするように、エリンが簡潔に諸事情を説明してくれる。当事者のボクから言わせてもらえば、かなりエリンの妄想と言っても過言ではない主観が入り混じっているような気がするけれど。


「……よりにもよって、ヒューゴに女々しいところを見せちゃったこと。差し伸べられた手に、思わずすがってしまったこと」


 ボクはそこまで言って、首にぶら提げた指輪を弄ぶ。

 無地の指輪。

 一体、何が刻まれる予定だったのだろうか。ボクはそれが知りたいというのに、指輪は当然の如く、何も答えてはくれない。

 ただ、そこにあって、間接照明の輝きを受動的に反射させているだけ。それだけだ。

 ふと顔を上げると、エリンの顔色が曇っていた。彼女の顔に出来た陰の部分が、妖しい雰囲気をさらに湧き立たせている。


「……何?」

「いえ。わたしが予想していたよりもはるかに、重い恋をしてると思っただけよ」

「……恋、なのかな?」


 ボクはエリンに訊く。だけど、彼女は力なく首を左右に振った。

 その動きに合わせて、彼女の艶やかな長髪が周囲に漂う。ボク達よりも年上に見られるような、大人な雰囲気が彼女にはあって、しかも彼女はそれに自覚的だ。その役所(やくどころ)を意識的に演じ分けているようにもボクからは見える。


「さあ。それはツクモ、あなたにしかわからないことよ」


 ボクはちらっと恵澄美の顔色を窺う。


「ごめんなさい。わたしにはあまり経験の薄い出来事で、九十九になんて助言をしていいか、わからない」

「……それもまた凄いね」


 恵澄美は心底困っているようで、髪をそっと掻き揚げた。


「哲学的な思案に耽ることはあるけれど。誰か個別具体的な対象を設定して、その人が愛しいだとか、大切だとか、その人の心の動向が気になるだとか……。本当に、そういったことに関心がなくて。正直なところ、誰かにとっての切実な問題だとは思うけれど、自分にとって、重要な問題になるとは思えない」


 それもまた、不思議な考えだ。

 ボク達はともかく、少なくとも恵澄美は普通の女の子な訳で、むしろ、そういった出来事に馴染みがない方がよっぽどおかしい――と表現するのはさすがに言い過ぎかもしれないけれど、ボクにとっては、にわかに信じ難い話だ。

 そう思ったのだけれど、考えてみれば、ボクはずっと恵澄美のような女の子だったのだ。

 その人が愛おしいだとか、大切だとか、その人が誰が好きなのか、とか。

 そういったものとは疎遠なのではなくて、無縁だったのだ。

 遠いのではなく、ボクの世界には、そういった概念自体が存在していなかったのだ。だから、質感を持って感じることができない。どこか遠くの世界の出来事のようで、自分のことのように考えることが、受け止めることができない。


「ちなみに、エリン。わたしはあなたの意見を訊きたい」


 恵澄美が興味津々といった趣で、逆に質問する。

 エリンは二度大きく頷いて見せると、その身体が崩れ落ちた。

 前後の文脈から外れた、突然のエリンの挙動に、ボク、恵澄美、クレア、三者が三様の驚き方をする。いや、本当に驚いた。エリンの身体から、今し方背骨を抜き取ったかのような、手足に張られた見えない糸が切れたかのような、そんな感じに驚きを隠せない。


「……何故、わたしが皆にこの話題を振ったと思う? わたしだって、わからないからよっ! エスミはともかく、わたし達は五年前からずっと、女の子達だけの生活で、異性と言えば教官か、上司か、たまに戦場で一緒になる軍人達だけで……。正直なところ、ディスプレイの向こう側の事象で、リアルに肌で感じられたことなんて一度もないわよっ!」


 やっぱりそうか。

 半ば涙ぐんでいるエリンを見て、ボクはちょっぴり安堵してしまった。

 ボクが思っているほどエリンは大人じゃなかったということがわかって、ホッとしているところがある。こんなところで親近感を感じるのもあれだけど、彼女が見せた一面をボクはひどく愛おしく感じた。


「じゃあ、逆に考えてみようよ。ボクが、あるいはヒューゴが、でも良いんだけど。どっちかがどっちかを好きになるっていうのはアリかな?」


 エリン、恵澄美、クレア。

 それぞれが押し黙る。押し黙ったまま、固まる。

 固まったまま、時間だけが過ぎていく。時間がさらに、皆を押し黙らせる。

 そうやって出来た無言のループのなかに、ボク達はいて、そのまま抜け出す術を見出せないまま、口を閉ざし続けていた。


「……やっぱりナシ?」


 みんな、なんとも言えない顔になる。


「というか、ヒギンズ中佐って、妻子がおありなんじゃないのかな?」


 クレアの一言が、結構身に染みた。

 いや、そう言ってあたかも自分にダメージがなかったかのように振る舞うのはフェアじゃない。

 衝撃、とも言っていいものが、ボクの身体に襲いかかっていた。キツいボディ・ブローにも似た一撃で、さっきのエリンのようにその場に崩れ落ちそうになる。

 今日は色々あり過ぎて、ボクはすっかり忘れていた。

 ヒギンズには、一〇歳年下の奥さんと、ボクと同い年くらいの娘さんがいるんだった。

 ボクはクレアに何か答えようとしたけれど。

 喉からは言葉を発せられなくて、唇をただもごもごさせただけだった。

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