この世の果てにある正しき道
その心構えと覚悟は、しかし時間が経つごとに杞憂の色が強くなっていく。
仲間のグロリアが、急に視界から消え始める。
投影迷彩。コンピュータが周囲の色の傾向をパターンとして読み取って、外装に投影する光学的迷彩の一種だ。完全に消えるような迷彩なのではなく、あくまでディスプレイを通して見ると「見えにくい」擬態だ。
ユニットBのグロリアが、赤いヴォーリャに襲いかかる。
エーファが影武者を演じた、武装集団の長の機体なのだろう。だが、その動きは明らかにエーファの方が一段も二段も上だ。
見えない敵からの高圧電流の鉄拳を食らい、機体を大地に跪かせた。
グロリアから操縦手がアサルトライフルを片手に降りようとした、まさにその瞬間。
地面に両手をついたこのヴォーリャが爆散し、周囲に向かって破片を散らした。
「うわっ。ありゃ自爆か?」
「どうでしょうね。自害に見えなくもないけど、わたしにはそんな気概があるようには見えなかったけどね」
エリンが冷たく吐き捨てる。
「こちら、パパ・ワイバーン。ユニット・アイリーン聞こえるか?」
「誰に向かって言ってるのかしらね? パパ・ワイバーン」
高機動多用途装輪車両に乗り込んだヒギンズだ。
エリンがそう突っ込みを入れるのだけれど、生憎彼女の声はヒギンズには届かない。エリンは通信係だけど、ボクに何かあった時に、その権限を代行することでしかこの回線では発言できない。現場指揮官のみが使える通信回線だからだ。
「こちら、アイリーン・ワン。感度良好、ちゃんと聞こえている。……詳細を乞う」
「アイリーン・ワン。そちらで是非とも確認してもらいたいことがある。……貴官から見て九時の方向に――山側の方だ、人影がないか?」
ちょうど、右手にアドリア海の青い海があり、反対側には遠くバルカン山脈まで繋がる山々がある。ボクが画面を凝視すると、その詳細なディティールが明らかになる。だけど、ヒギンズが言う「人影」とやらは、影も形も見当たらなかった。
「人影は特に見当たらない。光学機器か何かで捕捉したのか?」
「いや。ただ、山際で人工的な反射を見た……ような気がした」
「パパ・ワイバーン。……それは誰が?」
しばしの間、無言の時間帯が続く。
「……おれだ」
ボクは溜息をついた。
「……了解した。こちらでも警戒する。何か分かり次第、連絡を入れる」
「うん、頼む」
ボクは思わず頭を掻いた。
確かに、光学スコープの反射光という恐れもある。一概にヒギンズを馬鹿にはできない。とはいえ、電子欺瞞下では、高度な情報索敵システムは使い物にならない。光学機器のズームで、運よく人の姿を確認できればいいけれど。
「エリー。一応、あの辺りの風景を、記録しておいてくれない?」
「了解。……と言っても、あそこに初恋の人がいても、気が付くのは基地に戻ってからになるけど」
「……それでもいいよ」
あれ、エリンってこういうこと言う女の子だっけ。
グロリアが外の音声をイヤホンから流してくれる。
見ると、ブラスト社の攻撃ヘリが二機こちらに向かってくるのが見えた。小翼にミサイルやロケット弾をフル装備した有人機は、満足な敵対空砲火を持てない貧乏組織のFHには充分な脅威になる。
「なんか、ここのところ張り合いがないな」
キャロライナは言った。
「……張り合いがないのに、越したことはないよ」
◆
キャンプ・ポロロッカの米軍航空基地に戻った頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ユニットAの面々がぞろぞろ格納施設から出てくると、非武装のハンヴィーがすべらかに向かってくる。その運転席に収まってこちらに笑いかけている大男がヒギンズで、助手席でのんびりとくつろぎながら携帯端末を弄っているのがジョシュアだ。
ヒギンズはボクを見つけるなり、太い指でこちらを差し示す。
「えっ、何……?」
「指輪」
そう言うと、相好を崩す。
厳しい表情が似合う、屈強な男であるヒギンズの微笑は、ボクの心に訴えかけてくる何かを確実に有していて、それがなんなのかはともかく、ボクを動揺させるのに充分な威力を有していた。
残念なことに、こういう方面の耐性が全然出来ていないので、ボクは戸惑うばかりだ。
「まさか、つけてるとは思わなかったよ」
なんだよ、それ。まさか、ゴミ箱に捨ててくれば良かったのだろうか。
一言そう言ってやりたかったのに、ボクは頬を真っ赤にして、口元をもごもごさせるだけしかできなかった。そういう時、決まってボクは自らを恥じる訳だけど。自己羞恥に走るだけで、なんらの進歩もない。
後部座席を見ると、そこには恵澄美が腰かけている。
なかなかタイトでハードな一日だったというのに、疲れを顔に見せないでいる。顔や身体を見ても、とてもじゃないけれど屈強とは程遠い繊細さなようでいて、案外ボクらが思っている以上に、タフに出来ているのかもしれない。
全員で七人だったけど、非武装で積荷が全然ないハンヴィーはそれなりに広い。お蔭で、もう一台の車を回さなくてもよかった。この前は運転手だったクレアが、今は恵澄美の隣に座って、今日の出来事を熱心に話しかけている。すっかり二人とも打ち解けたみたいで、何故かボクの方がホッとしてしまう。
米軍管理区域を抜けて、ヒギンズがアンソニーまで乗り付ける。エリンが「えっ? 二日連続でピザなの」という顔を一瞬だけしたけど、すぐにその表情を引っ込めて無表情になった。
その気持ちはわからない訳ではない。せっかく、レストランだってあるのだから、と言うこともできたけど、どうせこれから先、いくらでも行く機会があるのだから、と思うと焦らなくてもいいような気もする。
何より、キャロライナと一緒にピザを買い込むヒギンズの姿を見ていると、自分の悩みがまるで些細なことのように思えてくるから不思議だ。子どもみたいに無邪気な顔をして、キャロライナと笑い合っている姿は、幸せとはこういうものだ、と示されているような、そんな気がした。
「おー、こりゃまた凄いな」
買い物を終えると、ハンヴィーを宿舎へと走らせる。到着早々、部屋を見つめながらヒギンズは言った。
「なんだよ、ヘイデン。あんたの部屋だって、これと同じか、もっと凄いだろ?」
確かに、ヒギンズやジョシュアといったクラスの人間は、それこそ広い部屋――というよりも、それこそ家をまるごと独り占めできるだろうに。
一体何を驚いているのだろう、とボク達が逆に不思議そうな目でヒギンズを見つめる。
ヒギンズはまじまじと部屋の有様を見下ろしてから、言う。
「いや、散らかり様が」
共用スペースのリビングに散らかる、私物の数々。
それも、ダンベルや家庭用ゲーム機があるのはまだわかるけれど、トーテムポールや自由の女神像、ミロのヴィーナス像がさり気ない風を装って置かれている。それでいて、全然自然に溶け込めず、東南アジア風のインテリアから明らかに浮いている。
「あーっ!? 誰だよ、こんなに部屋汚した奴ー!」
「……あなた以外の誰がいるのよ、キャロル」
「はいはい、悪い悪い」
「大体なんなのよ、これ」
エリンがトーテムポールを指で突っつく。
「これな、なか抜きされていてだなー」
なかに入っていたのは、隙間なく敷き詰められたバドワイザー。
やれやれ。変なところで努力を惜しまないんだから。ボクとエリンの顔が自然と険しいものに変わるも、キャロライナは気に留めようとはしない。ちょっとはこっちのことも鑑みてもらいたい。
「こっちは、これだけが楽しみで……」
途中まで言って、凍りつくキャロライナとジョシュア。
それもそのはず、ヒギンズが笑いながら腕を組んでいる。
笑っているのに、怒りのオーラが背中から発散されているように見えた。
それは、まさに闘気とも言うべきか、見えないはずの何かがまるで帯を引いて見えているような、そんな気がするのはきっと、気のせいではないと思う。その雰囲気に、皆圧され息苦しさに似た何かを感じ取っていた。
「忘れていた……。ヘイデンがCIDだってことを」
キャロライナが力なくソファに埋まる。
「さて、キャリー。おれが何を語りたいか、わかるな? ん?」
陸軍犯罪捜査局の陸軍中佐であるヒギンズはバドワイザーの缶のプルタブを指で弾く。ぴんぴんという軽い音が出る。
「どうせ、その冷蔵庫のなかには、冷えた奴が入っているんだろ? 出せ」
「別に、いいじゃんか……」
と口先だけは往生際の悪いキャロライナだけれど、ヒギンズの身体から発せられる刺々しい雰囲気に負けて、ちゃんと冷蔵庫から缶の山を引きずり出し、彼の前へと差し出す。
「おいっ! ジョシュアっ!!」
「へっ!? ぼく!?」
「おまえ以外に誰がいる? おまえもそこに座れ!」
二人の姿を見て、思わず恵澄美が声を上げた。
なんと、キャロライナもジョシュアも何故か正座だ。ボクも心底驚いてしまって、変な声を上げてしまう。一体、ふたりはどこで正座なんて習ったんだろう。ひどいお笑いを見ているみたいだ。
「エチカ。悪いが、ちょっと外してくれないか? おれも、できればこんなことはしたくないし、まして、報道関係のきみには見られたくない。……安心してほしい。この世の果てにも正しき道はあり、正義は必ず行われることを」
ヒギンズはそう言うので、ボクは恵澄美の背中にやんわりと触れて、部屋からそっと押し出す。
エリンもクレアも、それにならってピザの箱のいくつかを持ち、二階の個室の方へ移る。自然と、ボク、恵澄美、エリン、それにクレアの組と、キャロライナ、ジョシュア、そしてヒギンズの組に分かれた。
いそいそと階段を上っていると、ヒギンズの怒号が駆け上がってきて、ボク達は自然の成り行きで部屋へと滑り込んで行く。