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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第二章 神のご加護を《ゴッドスピード》
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処刑場《キリング・フィールド》

 処刑場(キリング・フィールド)

 遠目から見ると、それはうず高く積み上げられた薪の山にも見える。

 その空間で、微細な塵が舞って、まるでダイアモンドダストみたいな白い輝きが爆ぜている。

 埃の臭いが周囲に立ち込めて包み込んでいるけれど、それでも死臭――命が朽ち、枯れていく臭いをひしひしと、現実感を持って感じることができた。

 最初に視界に飛び込んできた一山が、全てだと思った。

 けれど、無数の白や茶褐色の山々が、まるで山脈のように連なっているのがわかる。大型トラックが何台も止められそうな、高々とした天井のある倉庫。そこに、築き上げられた薪の丘。

 それは、人骨だった。

 腕の骨がいっぱいに積み上げられて、零れ落ちたものがうちっぱなしのコンクリートの床に散らかっている。ざらざらした床にも、砕け散った白い破片が、まるでボクらの足場を無くそうと企んでいるかのように転がっていた。


「骨端が閉じていない。……一〇代前半のものだな」


 ヒギンズはそれらのなかから一本を選び出して、掲げてみせる。

 捕虜をとらない。

 その場で殺すか、連れ帰って練習のために殺すかだ。

 つまり、どっちにしろ殺すのだ。

 メンバーである子ども達ですら、負傷すると指導者達や組織にとっては「無駄な存在」でしかなく、代わりはいくらでもいると見なされて、仲間達の手によって処刑される。


「処刑を担当した『看守役』の多くも、また同年代だった。エーファからの証言も得られた」


 有史以来、食料や領土、富や権力、それに威信を賭けた争いは繰り返され過ぎて、もはや飽和状態だ。

 明らかな供給過剰と言ってもいい。

 とはいえ、社会的暴力のなかでも最悪のこうした領域においてさえ、様々な行動規範は発達した。そのごく初期のものに、戦闘員と民間人の区別があった。

 民間人は略奪や暴力から守られるという、例外の数は山ほどあったとはいえ、保証されていた。

 それは武装していない全ての人々に適用されると同時に、特定のグループには特別な免責が与えられた。高齢者、身体の弱い者、女性、そして子ども。民間人を――とくに子どもを故意に狙うことは――古代中国の哲学からアフリカの伝統的な部族社会、ひいてはジュネーブ条約調印国に至るまで。

 いついかなる時も、唯一にして最大のタブーだった。

 そう、最大のタブーだったはずだ。


「ところで、子ども兵の定義はわかるか?」

「子ども兵、と言うからには、やっぱり子どもの兵隊なんじゃないのかな。ごめん、よくわからない」

「一八歳未満で軍隊もしくは武装組織の構成員となり、戦闘あるいは支援業務に従事する者のこと」


 滑らかな口調で恵澄美が言う。

 つまり、ボクも、ってことになる。

 恵澄美は積み上げられた人骨を写真に収めていく。

 一体、ここで何人の命が果てたのか。いくつかの戦場をかいくぐってきたはずのボクでさえ、想像することができない。見当もつかない。頭部の、特徴的な髑髏でもあれば、大まかな人数は把握できると思ったのだけれど、あるのは腕や足と思われる細長い骨ばかりだ。

 専門外のボクにはわからないことだけれど、部位ごとに保管場所が違うのかもしれない。あるいは、ショッキングな頭部やまだ白骨化していない遺体は恵澄美には見せられないだけかもしれない。そっちの方があり得る話だ。


「……大変なお仕事だよね、恵澄美も」

「自分でもそう思う。でも、人間の慣れとは残酷。テレビの露出が増え、映像がより多く放送されるようになれば、遠からず人々は慣れ……そして飽きる。迫真の訴えも市民の流血を見ても、何も感じなくなる。そして、アフリカや中東みたいな、世界の他の場所で起きるもっと新鮮な紛争の話題に、世論はすぐに関心を移してしまう」


 恵澄美はそう言うと、ファインダーから目を放した。

 びっくりするほどの能面。

 そこに、憂いや悲しみは一切見い出すことができなかった。まったくの、無表情。ボクは彼女の希薄なリアクションの方に驚きを禁じ得ない。

 これだけの現実を前にして、眉一つ動かさないなんて。ボクはついつい、彼女の顔をまじまじと見入ってしまう。


「新しい言葉が必要になる。ユダヤ人とホロコースト、ボスニアと民族浄化エスニック・クレンジングのような。いえ、『ホロコースト』みたいな、『民族浄化』みたいな。みたいな、じゃ駄目。その新しい言葉を一言言えば全部伝わる、そういうキャッチコピーが」


 キャッチコピー。

 ボクはぞっとした。

 ウィンストン・チャーチルはナチスによるジェノサイドを指して、「名前のな(ア・クライム・ウィズ)い犯罪(アウト・ア・ネーム)」と呼んだ。

 そして、ジェノサイドという言葉もまた、ユダヤ系ポーランド人法学者ラファエル・レムキンが、古代ギリシャ語とラテン語を組み合わせて編み出した造語だ。

 彼は、自身の一族四九名を強制収容所で、ワルシャワ・ゲットーで、ガス室で、あるいは解放後の「死の行進」で失った。彼に残されたのは兄エリアスだけだった。

 悲劇を何か新しい言葉で装飾しなければ、人の関心はまたどこかへ移っていってしまうのか。

 でも、恵澄美に指摘されるまでもなく、ボクやキャロライナだってこの場所にこういう形で関わらなければ、世界のどこにでもある、ありふれた戦場の一つとして、気にも留めなかったかもしれない。


「この言葉の何が特別だと思う? それは、ボスニアではセルビア人も、クロアティア人も、モスレム人も、誰もが同じことをしていた。にも関わらず、セルビア人が被害者となり、他の民族に追い出された場合には『民族浄化』と呼ばれなかったこと」

「確か、あの紛争は……」

「そう、セルビアが他の民族を殺戮し、迫害していたと報道され続けた。メディアは『民族浄化』という、あまりにも象徴的な言葉を意図的に使い続けることで、紛争の現実が必要以上に単純な構図として伝えられた。現地の状態は、遥かに複雑なものだったのにも関わらず」


 恵澄美は笑った。

 その笑みは儚くて、ともすれば悲しみに顔を歪めているようにも見える。いや、恵澄美はそもそも、笑っていないのかもしれない。悲しんでいるのかもしれないし、静かなる怒りに心を震わせているのかもしれない。

 ただ、多くの感情を内包したその表情は、ボクには読み解けなかった。

 いや、もしかしたら、さっきと変わらない無表情で、ボクが必死にその人形のような相貌から、必死に感情と呼べる何らかの変化を見出そうとしているだけなのかもしれない。


「これはホロコーストだって、同じ構造。何もユダヤ人だけじゃない。ナチスに反抗的なドイツ人だって、沢山殺された。なのに、ホロコーストという言葉はユダヤ人と不可分。ホロコーストの『ホ』の字を聞いたら、脳裏にユダヤ人を連想せずにはいられない」


 恵澄美は続ける。

 その一文一文がどんなに長くなっても、決して彼女は言い淀んだりしない。まるで、脈々と歌を歌いあげていくかのように。何かの儀式の呪文であるかのように。びっくりするくらいの、余所余所しさだ。本当に、定型文であって、言葉が内包していた意味が死んでしまったかのよう。


「そもそも、ホロコーストでは、ガス室に送られたナチスにとって好ましくないドイツ人を、ユダヤ人が殺めるケースだってあった。なのに、ホロコーストという言葉では、そういった事実は容易に抜け落ちてしまう……というよりも、それこそがこの言葉の狙い。ナチとユダヤ人。このシンプルな関係に全てを落とし込んでしまう」

「何故、それを知っているきみが、新しい言葉が必要だなんて言うの?」


 ボクがかろうじて、その言葉を絞り出すと、恵澄美の笑みは困惑に変わった。

 多分、困惑だったと思う。

 たとえ、恵澄美が意図していたものが困っていることをボクに表すために浮かべた表情でなかったとしても、ボクはそれを困惑だと思いたかった。

 何故だろう、ボクはそうせざるを得なかった。


「……わたしは、この数多の人骨を前にして、それでも言葉に忠実になる必要性を説くことができなかっただけ。言葉に真摯になるということは、その高潔な精神と引き換えに、さらに多くの人骨の山を築き上げることにも繋がるから。わたしは、あえて汚れた言葉を使うことで、人々が殺されて骨になるのを食い止めたい」


 慣れているはずなのに。

 ボクは次第に気分が悪くなって、恵澄美との話もまだ途中だというのに、彼女を置いて先に出てきてしまった。

 彼女に背を向けたというのに、眼下の奥、網膜には恵澄美の華奢な姿と、儚い笑みが張り付いて、なかなか消えてくれない。


「大丈夫か?」

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― 新着の感想 ―
[一言] 一切の慈悲なく高く積まれた骨骸とジャーナリストという人種の内面。 「虐殺の構文」ではなく「死したるモノ達への造語」。 ツクバが自ずと恵澄美に嫌悪感・恐怖心を抱く内面描写と情景との対比が素晴ら…
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