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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第二章 神のご加護を《ゴッドスピード》
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人生、宇宙、全ての答え

 びっくりした。

 調査団は、髪の毛一本どころか塵一つ残さない勢いで、その空間に残されたものを全て回収していく。この廃墟に残された空気すら、サンプルとして集めて回っている始末だ。きっと硝煙反応なんかを見るんだろう。


「ところで、ユニットリーダー。まだきみの名前を訊いていなかったな」

「ああ、ごめんなさい、ヒギンズ中佐。わたしの名前はツクモ・ツクバ。ユニットAの指揮を執っています」

「えっ、トゥクトゥク? ……えっ?」


 ヒギンズは目に見えて狼狽えた。

 トゥクトゥクは東南アジアの三輪タクシーだ。サムローとも言う。


「ツクモです」

「トゥ、トゥクモォ……」


 惜しい。

 とはいえ、日本人がアクセントや抑揚を意識した発音ができないように、アメリカ人もまた日本語の抑揚やアクセントに欠ける言語を話しにくい、というのは強く実感する話ではある。

 あのエリンでさえ、慣れるまではボクのことを小枝(ツイッギー)と呼んでいたくらいだし。今でも、「トゥクーモォー・トゥクーバー」みたいな感じで言われることもある。誰だよ、それ。思わずそう突っ込みを入れて回りたくなる。

 その辺りは、それこそ恵澄美のような流暢さでなければ無理かもしれない。

 ヒギンズはわざとらしい咳払いをしてみせる。

 その仕草はなんか、可愛い。狼や熊を思わせる大男なようでいて、意外と茶目っ気がある。この男は完璧なようでいて、意外な隙があって、そこに愛嬌を感じさせる。


「ふ、ふむ。その名は、どういう意味を表すんだ?」

「直訳すると、九九(ナインティ・ナイン)です」

「なるほど。……ますます訳がわからない」


 ヒギンズは真面目な顔をしながら言った。

 正直な人だ。変なところで知ったかぶりをしない。わからないことは素直に答える、というのはコミュニケーションの基本みたいなもので、ただ単にその基本に忠実なだけかもしれないけど。


「はあ? なんでまた、名前が数字なんだよ?」


 キャロライナも思わず、といった風に口を挟む。

 自然と二人の視線がボクの口元に集まっているような気がした。

 一瞬、反射的に口を噤んでしまいそうになるのをどうにか堪える。


「九九。つまり、『九九年』や『九九種類』ということ。長い時間や経験、多種多様な万物、っていう意味だよ」


 二人とも大いに頷く。

 うん、そういう反応は、図らずともボクが期待していたものなのかもしれない。

 そして、二人揃って大声を張り上げた。

 調査団の人達が目を剥いて、彼らの刺さる様な尖った視線が一気にボク達の元へと浴びせかけられる。

 なんというか、凄く恥ずかしい。

 さっきまでの目立たないためにあれこれ策を巡らしていた行為が、途端に、そして無性にバカバカしく思えてきたから悲しい。


「なんてこった! じゃあ、『人生、宇宙、全ての答え』は、日本では九九なのか!?」


 ヒギンズは唸る。

 それは、日本でも四二だと思う。

 そんな下らないことを話していると、女性下士官に連れられてエーファが出てきた。

 どこで手に入れたのか、飾りの少ないワンピースを着ている。キャロライナの顔を見ると、パッと顔を明るくさせて駆け寄った。

 何やら熱心に、キャロライナへ語りかけている。

 生憎、ボクにはスフェール語がわからないけれど、なんとなく楽しげな雰囲気は伝わってくる。キャロライナの手を引き、軽快に走り出す。

 ボクはそんなふたりの姿を遠巻きに眺めていた。その姿は姉妹そのもので、見ているこちらが微笑ましい気分になる。


「知ってる、九十九? スフェール語という概念は、実は存在しない」


 綺麗な日本語。

 ごてごてしたカメラを持った恵澄美が姿を表す。

 自分の体重の半分くらいの重量の背嚢を担ぐボクらでも嫌になってしまうような、見るからに重たそうなケースやリュックを軽々と背負っている。ちょうど、一通り写真を撮り終えたみたいだった。


「そうなの?」

「ええ。スフェール語というけれど、スフェール語そのものはない、と言い換えるべきかもしれない。クライノート語、シュペルク語、それにシャーリク語があって、そのなかでも一番使用人口が多かったクライノート語が採用されて、いわば『スフェール語』として、公用語化された」


 知らなかった。

 作戦地域で、ボク達は酷く神経を尖らす。状況説明(ブリーフィング)でも地理や地形について見ていくなかで、さらっと歴史についてもレクチャーされたりする。でも、ボクはスフェール語関連についての知識はまったく有していなかった。


「クライノート語というけれど、実際のところはかなりドイツ語に近い言語。残りの二つはスラヴ語圏の言葉。シュペルク語はチェコ語と言い切る言語学者もいるくらい、チェコ語にそっくり。そういう意味では、シャーリク語はロシア語ね。命名の仕方も似通っているし」

「詳しいんだね」

「キャロライナさんはともかく、クレアさんがクライノート語ができるのは、ほとんどドイツ語だったから、言語の習得が楽だったからみたいね」


 クレアの話になって、何故か彼女のほっそりした身体がボクの脳裏に浮かんだ。

 クレアはドイツ語が堪能なのだけど、かなり鍛えているにも関わらず全然筋肉質じゃないからか、全然ゲルマン人に見えない。日本人が常日頃言うところの、外国人らしい「背が高くて体格ががっちり」というのが全然ない。

 そういう意味では、クレアは女の子の体型だ。曲線美に富んでいて、きゅっと細い。鍛えた筋肉が表にまったく現れないタイプなのかもしれない。ちょうど、ヒギンズとは真逆のタイプ。あるいは、筋組織ではなく、身体全体がしなることで、力を引き出しているのだろうか。

 ボクやエリンは皮膚の下で筋肉が割れ、筋になって見えて、お互いに「女の身体じゃないね」とシャワールームで言ったりする訳だけど。そういう意味で、いくらトレーニングをしても筋肉質にならないキャロライナやクレアは羨ましくもある。


「……別のことを考えているでしょう?」

「恵澄美は結構勘が鋭いんだね……」


 吊り目の大きな瞳が、嬉しそうに細められている。

 その姿は、ネズミの小さな背中に襲いかかろうとする可愛らしくも無情なネコにも似ていて……何故だろう、ボクは本能的な部分において、はらはらしてしまう。

 微笑みの裏に潜む、野性味みたいな、ある種の気配。それをボクは人よりも過敏に感じているのかもしれない。


「ご、ごめん」気圧されて、つい反射的に謝ってしまう。

「……別にいいけれど」

「大和撫子達、話すんならこっちに来ないか? 日本じゃなかなか見れないものがあるんだ」


 ヒギンズが「手招き」をする。

 ちなみに、日本で一般的に行われているボディ・ランゲージだと、アメリカンは「あっち行け」と受け取ってしまう。というのも、アメリカ人は腕を掲げるような、およそ日本の「手招き」とは程遠い動作になるからだ。


「すまんな。うちの部下が働き者ばかり揃っているもんだから、肝心の見るものがなくて、特にエチカは退屈しただろう?」

「いいえ。こういうことは心得てますから」

「戦場となると、色々と……民間人には少々刺激的過ぎるものが多いからな」

「ええ、本当に」


 恵澄美は笑う。

 この面子のなかでは一番民間人な彼女も、こういった場面で笑ってみせられるだけの余裕がある。その余裕は、現実世界を生きる上で常に求められているスキルではある。だけど、その技術を会得することの、その残酷さはなかなか論じられない。

 言葉の裏に、笑みの裏に。

 それらの裏に潜んでいる、生々しい現実の死。

 そういったものに、言葉や笑顔のレイヤーを重ね合わせていって、死や暴力の真の姿にモザイクをかけていく。そういった技巧が、たとえばヒギンズのような軍人や、恵澄美のような報道や、そしてボクらのような人間には求められているともいえる。


「ところで、エチカ。きみのご両親は……」

「日本人です」

「む。エチカは確か、ラテン語じゃなかったか?」

「ええ、倫理を意味する言葉です。オランダの哲学者スピノザの著書の名としても有名ですね。母はその意味も加味したのかもしれませんが、日本語で『恵近』と書き、『恵みや慈しみ、暖かさ、穏やかさ、賢さに近い』という意味です」

「なるほど、日本語とはオクが深い」


 ヒギンズは神妙な顔つきで頷く。


「もっとも、母は戦国武将みたいな名前を恥ずかしがっていた節もあったので、その名の響きが先走って、案外意味は後付けだったのかもしれないと思わないでもないですけど」

「淑女の名が雄々しいというのは、ギャップがあっていいものだと思うがね」


 ヒギンズはさり気なくウインクして見せた。

 うん、勘違いしている男がやると鬱陶しいことこの上ない仕草も、何故かヒギンズがやると、なかなか決まっているような気がする。広告媒体で日々行われている、自らが「美しい」ということに自覚的な人間達の仕草。そういったものを、彼は違和感なく、自然体でやってのける。


「さて、エチカ。きみが求める絵は、一体なんだ?」

「それは、インパクトのあるドキュメンタリーを撮るために必須なものとは何か、ということです。……そして、それは、取材対象の本質がわかりやすい形で『映像化』できる事件が起きること」


 恵澄美は淀みなく言う。

 取材対象の本質。そして、それがわかりやすい形で「映像化」できる事件。言葉のそこここに彼女の言葉の技術を感じずにはいられない。言葉の技巧。二重話法(ダブルスピーク)。結局、それが指し示す現実とは、圧倒的に見たくもない現実で、そのむき出しになった「本質」とやらは、時に受け手の心を無残に挫く。


「おめでとう、エチカ。ここから先には、まさにそれがある」

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