ヒューゴ・ヘイデン・ヒギンズ
「よう。ユニット・アイリーンの諸君。きみ達にここで出会えたことを、光栄に思う」
グロリアから降り立ち、周囲を見渡していると、先ほどの通信の声がした。
ボクとキャロライナはほとんど同じ動きで声の主へと視線を向ける。
視線を合わせようとすると、顔を上げなくちゃいけない。
ジョシュアのように、ただ単に背が高いというだけじゃない。長身だからパッと見じゃ気付かなかったけれど、腕や足が太い。皮の下にあるはずの筋組織が、ぼんやり眺めているだけでもなんとなくわかる。
手入れの行き届いた口髭と顎髭。あれ、陸軍で髭はオッケーだっけ、とちらっと思う。それとも、デルタみたいに「外見に対しては大目に見てくれる」部隊の人間なんだろうか。
もっとも、デルタはその活動に潜入任務などもあって、「パッと見」で軍人であるとわかるような姿――例えばレンジャーの、側頭部と後頭部を完全に剃り上げる独特のクルーカット――ができないだけだけど。
髭と微かに混じった皺と、それに低音の声。だけど、それがまったく気にならないくらい、周囲に発散されている、年齢を感じさせない若々しい雰囲気。それでいて、年相応の落ち着きや冷静さはまったく曇らない。
市街地戦用の、灰色を基調とした新しいタイプの戦闘服を腰に巻いている。鍛えに鍛え上げられた厚い胸板が、黒いカットソーをこれでもかと押し上げている辺りが、いかにも軍人の武骨さと、そして屈強さを見る者全てに抱かせる。
「ヒギンズだ。ヒューゴ・H・ヒギンズ。彼氏もヒューゴで、よりにもよって愛しのカレと同じ名前をこのジジイに向かって呼びたくないなら、是非ヘイデンと呼んでくれ」
印象的な微笑の仕方だ。
一つのパラグラフを語り終えた後、一呼吸をおいて。それは、普段異性に対して関心の薄いボクでも油断していると「くらっ」ときてしまうような、男の魅力に溢れていた。
ボクは口元に自然と浮かんでしまう、意図せざる笑みを慌てて消して、真面目ぶる。
「ヘイデン、陸軍だろ? 階級は?」
まったく間を置かずに、「ヘイデン」と呼んでみせるキャロライナ。キャロライナ、きみに愛しのカレはいないはずだけど。何ちゃっかりヘイデンって呼んでるんだよ。
だけど、そういう意味で、このヒギンズという男は女の子慣れしているな、なんて思った。この問いで、さり気なく彼氏の有無を確認している。
とはいえ、もしかしたらこのヒギンズさん、ボク達と同い年くらいの娘がいてもおかしくない感じがする。そういう意味では、娘の友達に会った、という感じのノリなのかもしれないけれど。いや、その可能性はかなり高いものだとボクは予想する。
「一応、陸軍中佐だ。だが、同期よりもかなり出世が遅れたからな、あんまり階級では呼んで欲しくないな。きみの名は? アイリーン?」
「キャロライナだ。キャロライナ・カロッサ。うちのユニットにアイリーンはいねえよ、ややこしくなるから」
「キャリーちゃんか。カロッサ……ふむ、ご先祖様はドイツ出身かな?」
「変な名前で呼ぶのはやめろよ、居心地が悪い。ああ、母さんがクライノート系スフェール人だったんだ。……あれ? あたし、あんたのことをどこかで……?」
瞳をぎりぎり細めて、低い声で唸るキャロライナ。それで脳に収められた記憶にアクセスすることができるのか、とボクは思うけれど特には指摘せず、なかなか面白い顔になっているキャロライナを見守る。
ヒギンズもまた、そんなキャロライナを面白そうに眺めている。
「実は初対面じゃない。キャンプ・ポロロッカのアンソニーで、ピザをたらふく買い込んでいたキャロライナを見かけたからな。異国の地で出会った、同じ志を持つ者を見てあまりに嬉しくなったもんだから、ついジョッシュに連絡したくらいさ。あんなに若い、しかも女の子となると、PMCのプライベート・オペレータしかいない」
「……もしかして、ジョッシュの知人の陸軍犯罪捜査局?」
ボクは思わず訊ねる。
後から、かなり砕けた訊き方になってしまったことを悔やむ。もう遅い訳だけど。
「ああ、おれもアンソニーのピザが好きなんだ。本当に、ここにアンソニーがあって良かった。アンソニーのピザ以外はピザじゃない、MREみたいなもんだからな」
調理済糧食。
保存性を重視していた初期のMREの、あまりのマズさに辟易した兵士達は、その三文字の頭文字に対して、新たな意味を与えた。「食べ物に似た何か別の物体《MRE》」だとか、あるいは「みんなに拒絶された食事《MRE》」だとか。
「あー、そっか。ヘイデンはアンソニーが好きなんだ……」
自然とキャロライナの口調が一本調子になる。
本当は、ドミノ・ピザのハラペーニョ一択なのだから。他のピザは異端呼ばわりの癖に、あの日一番ピザを食べたのは、他ならぬキャロライナな訳だけど。無類のこだわりが一見あるようでいて、ボクから見ればその差異はひどく小さく見える。
「だから、これが終わったら、ポロロッカのアンソニーで好きなだけピザを食べさせてやる。もちろん、おれの奢りだ。財布に気にせず、沢山食べてくれ」
「……そいつはどーも」
「良かったじゃん、キャロル」
ボクがしれっと言ってみせると、キャロライナは肘でど突いてきた。この娘、なかなか容赦がない。
「さて。立ち話もなんだ、なかに入って、我らがギーツェンの話で盛り上がろうじゃないか」
そう言って、ヒギンズは静かに笑みを浮かべる。
いい人そうに見えて、その根はやはり軍人なのだ。
人の頭を大口径のライフルで吹き飛ばしておきながら、ガッツポーズをしてみせるような。雄叫びを上げてしまうような。絵になる笑い方だというのに、その笑顔の裏側に秘められた感情に、ボクは心を震わせていた。




