幻影国家《ファントム・ステート》
冷戦中は、国家の破綻は問題じゃなかった。
米露という二つの超大国が、争うようにテコ入れしてくれたからだ。だけど、冷戦時代が幕を下ろす頃には、そういった国々は「名ばかり国家」に成り下がってしまっていた。
善政には程遠く、政府の機能は上辺だけ。財政的に脆弱で、旧来からの家父長制の構造のまま。アカウンタビリティや民間人と軍人を管理する適切な制度なんてない。
外部からの数多の援助にも関わらず、軍隊は非常に弱くて不安定で、持続的な軍事行動なんて夢のまた夢。そもそも、ロクな訓練もさせてもらえないから練度も低いし、教官の方もノウハウを上手く次の世代に伝承することができない。戦力も総人口――特に成人男性の割合と比べると少なかった。
こういう要因が積み重なって、弱体国家は国内の秩序を保つことができなくなる。冷戦終結で大国の援助がなくなって破綻してしまったことは、決して不幸な偶然なんかじゃない。
こうした国が一度暴力に陥ると、往々にして民族がらみの古傷が開き、国の資産は強奪されるがままになる。それが、武装組織を率いる、新たな紛争当事者達が混乱に乗じる「隙」になってしまう。
新興の軍閥や紛争当事者の多くは、政治的にも軍事的にも大した背景を持たない。ただ、古い規範を打破し、自分達の目的に見合うだけの戦力を動員しようという、「意欲」だけは旺盛だった。
シエラレオネのフォデー・サンコーは元カメラマンだったし、リベリアのチャールズ・テイラーは脱獄囚だった。ウガンダのジョセフ・コニーに至っては若い失業者に過ぎなかった。コンゴのローラン・カビラは三〇年間ほとんど無名のゲリラ指導者で、地元以外では問題にされていなかったくらいだ。
軍閥はひどく個人化されて、略奪だけが目当ての武装組織は、資産獲得に専念している。子どもを戦争に使う悪習に依存しきっている。戦力を動員しにくく、以前から疎ましいだけの存在だった小規模な過激派が、今では子ども達を使って勢力を大幅に拡大できる。
「ウガンダの反乱軍、神の抵抗軍で中心になっているのは、僅か二〇〇人の男達だけ。当然、民間人にも支持されていなかった。だけど、一四〇〇〇人の子どもを誘拐して『兵士』にすることで、軍と内戦を繰り広げることができたって訳ね」
ちょうど、向かいの席に陣取ったエリンがつまらなさそうな口調で言う。
ボク達はキャンプ・ポロロッカに作られたPMCブラスト社スフェール支社――と言っても、駐屯地にあるビルの一室を間借りしているだけ――に集められて、状況説明を受けていた。
「……まったく、嫌な時代だね」
「で、かのギーツェンくんも、そんなギャングスターのひとりなのか?」
キャロライナの問いに、ジョシュアが答える。
「グレゴール・G・ギーツェン。スフェール内戦前は、地方銀行の財務担当だった。調査部が入手した奇跡的に残っていた戸籍情報によると、郊外に妻と娘と共に住む、普通の男だった。課税状況からみても、真面目にこつこつと働いて買ったのが、家と車。金持ちでもないが、貧窮の渦中にあってこの世に対して恨みたっぷりだったとは思えないね」
ジョシュアが手元の携帯端末を弄ると、壁にでかでかと一枚の写真が映し出される。
二人の綺麗な女に挟まれた、冴えない風貌の男。実直さだけが取り柄、と言わんばかりの没個性っぷりに、ボクはなんだか妙な気分になった。この男が武装組織の大将として、少年少女の「部下」を引き連れているだなんて、事情を知らない人には到底理解できないだろう。
「……なんだか、想像してたのと違うわね」とエリン。
「なんだよ、こいつ、整形でもしたのか? 直近の写真と全然違うじゃねえか」とキャロライナ。
ちなみに、クレアはお上品なので、こういったことに関していちいちコメントしない。さすがのボクも、ついつい下世話な一言をうっかり漏らしてしまう時があるので、こういう時はクレアを見習わなくちゃいけないなと思う。
「ギーツェンの紛争後の足取りはなかなか掴めなかった。だが、ギーツェンをはじめとする準武装組織の連中の鬼畜外道な振る舞いに気付いた西欧諸国が中心となり、内戦の真っ只中であるにも関わらず、第一次国連スフェール活動《UNOSPH1》が開始され、国連の委任契約を受けたPMSCsが介入した」
珍しいこともあったもんだ。
大抵、国連が動き出す時には手遅れ、というケースが本当に多いのだけれど。
「これも、ユーゴスラヴィア紛争やルワンダ紛争のお陰さ」
「で、我らがギーツェンくん、チャールズ・テイラーにでもなるつもりか?」
「テイラー。ああ、リベリアを潰して大統領になった、マサチューセッツの脱獄者のことか。さぁ、それは捕まえてみてからのお楽しみになるだろうね」
ジョシュアはそう言うと、愉快そうに笑ってみせる。
その笑みの空虚さ、空々しさに、ボクはぞっとしていた。
モンティ・パイソンのギャグでも笑っているかのような、屈託のなさ。それでいて、彼が笑っていることは、暴力であり、殺人なのだ。そこに「正義」だとか、「平和」だとか、どんなに聞き心地のいい言葉を宛がったところで、本質は変わることはない。
けれど、ボクはわざわざそんなことを口に出さない。
そんな地道な努力を怠らなかった。




