恵澄美恵近
「ピザ屋があるって聞いたから喜んでみりゃ、アンソニーかよ!?」
そう言うとキャロライナは、両手に積み上げた薄い箱を机の上に置いた。
「ったく。ピザはドミノ・ピザのハラペーニョって相場は決まってんだろっ!?」
そう言って、キャロライナは缶のプルトップを引き上げた。
炭酸ガスの小気味良い音がする。
そして、口をつけて、喉を鳴らして黙々と飲み下していく。いつの間に冷やしたのか、彼女が私物に紛れこませたバドワイザーの縁には小さな水の粒をいっぱい滴らせている。
「……じゃあ、なんでそのアンソニーでピザを買うんだよ?」
しかも、こんなに沢山。
文字通り――というよりも文学的な比喩などではなくて、本当に――山のようにキャロライナが買い込んでしまうものだから、そこで事実上買い物は終了し、宿舎へ引き返す羽目になった。お陰で、ボク達までも、このピザ屋で夕食を選ぶことになる。
「買い込む理由はただ一つ。それがピザだから、に決まってんだろ」
能天気な息を吐き出すと、そんなことをのたまうキャロライナ。
ボクとエリンはそんな彼女を目の当たりにして、憂鬱な気分になる。是非ともクレアにも加勢してもらいたいところだけど、この子はそんなボク達を朗らかな笑みを浮かべて見守っている辺り、期待薄なのは火を見るよりも明らかだ。
「身体に悪そう」
エリンは嫌悪感をこれっぽっちも隠さない。
エリンの厳しい一言には精神的に堪えるものがあるのだけれど、黙々とピザを頬張るキャロライナに利いているとは思えない。残念。
とはいえ、キャロライナが文句をぶうぶう言ってるこのアンソニーのピザ、なかなかおいしいと思う。
とりあえず、しばしの間、黙々と目の前に積み上げられたピザと格闘する。
なんだかんだ言いながらも、この面子でピザを食べるのも悪くないな、なんて思っていると、唐突に玄関のチャイムが鳴った。
「おっ、誰かのネットショッピングか?」
手に乗ったピザを無理矢理飲み下してみせたキャロライナが立ち上がる。
誰もこの部屋に届けさせるような真似はできなかったはずだけど、それはこのキャロライナだってわかっているはずだ。つまりは、突っ込み待ちなのだけれど、みんな口のなかにまだピザの欠片が残っていて、何も言えない。
「ったく、お上品なことで」
誰にも突っ込んでもらえなかったからか、文句を垂れながら、キャロライナは玄関へ向かう。ピザの油で滑った手のまま壁に触れ、解錠するのを見ると、今後同じ動作をする気が思いっ切り削がれる。
「……来ちゃった」
朗らかな声と、嫌々しいまでに爽やかな笑み。ジョシュアだった。
「くんな」
瞬時にドアを閉めた。
そして、部屋に戻って来るキャロライナ。クレアを除くみんなが、まるで何事もなかったかのように、ピザを再び頬張り始めた。慎ましくドアが叩かれているのを華麗に無視していると、そのうちベルが押され、しまいには連打されるようになる。
「エリー、今度はあんたが行け」
「嫌よ。オリーブオイルで汚れた壁を触りたくないもの」
「手を汚さずにピザが食えるかっ!?」
「クレアを見なさい。ナイフとフォークで食べてるわよ」
「そんな上品に食えるか。……って、おおおいっ!? クレアっ、ピザくらい手で食えよぉっ!!」
度胆を抜かれているキャロライナ。
エリンとキャロライナが不毛な争いに終始し、おろおろし始めたクレアが腰を浮かせそうになったので、仕方なくボクが立ち上がった。おしぼりで手を覆いながら、さっきキャロライナが汚したところを拭うようにして、解錠。
「きみ達はっ、ぼくにっ、恨みでもあるのか……っ!」
げっそりしたジョシュアが本当に恨めしそうな声を上げた。
「ったく。今日は素敵なゲストがいるっていうのに」
そう言って、ジョジュアは華麗な足捌きで横飛びしてみせる。
すると、ジョシュアの長身に隠れていた姿が現れた。
その姿に、ボクは息を飲む。
何故だろう、ボクはその姿を一目見ただけで、この娘が日本人であると直感的に感じていた。中国人かもしれないし、韓国人かもしれないし、ボクと同じように日系アメリカ人なのかもしれない。
でも、そういった可能性を、ボクは本能的な部分で排除していた。
黒髪の少女がボクに向かって微笑を投げかけ、そして、お辞儀をする。
「ツクモとよく似ているわね」
エリンは言う。そんなことはないと思う。
確かに、同じような髪型だけど、似ているのは精々それくらいだろう。
ボクの方が背が高いし、鍛えられてる。顔だって、この女の子の方が可愛い作りだ。ボクの顔が一瞥して男か女かわからない作りだとすれば、彼女はどこからどう見ても女の子で、しかもボクがどんなにねだっても得られない愛らしさをその顔に湛えている。
ボクがそんな趣旨の言葉を放つと、びっくりするくらい綺麗な英語で返された。
「……そんなことはない。あなたはとても美しい。中性的で、男性的な格好の良さと、女性の柔らかさを兼ね揃えていると思う」
エリンがぎょっと目を剥き、キャロライナが口笛を吹いた。
まるで、機内アナウンスのような、癖のない整った英語に、すでに面識のあるはずのジョシュアまで驚いているくらいだ。日本人と言えば、日本語のノリでのっぺりとした英語を喋るものだから、ネイティブからするとお笑いなんだけど、彼女からはそういった要素はまったく見受けられない。
「わっ、綺麗な英語なんですね。どちらで習われたんですか?」
「こう見えて、一時期イェールで政治学を学んでいたことがある。英語はそれまでに日本で。でも、今まで日本で学んできたどんなことよりも、実際にアメリカで学び取ったことの方が多かった」
「おいおい。イェールって、あのイェール大学だよな? アイヴィー・リーガーかよ」
目の色を変えたキャロライナの問いに、恵澄美はそっと頷いてみせる。
「彼女は才媛だよ。イェールで早々に比較政治学で学位を取りながら、同時に母国でも国際政治学で学位を取っている。現在も博士課程に所属する、現役の研究生でもある」
「日本にも飛び級ってあるのね」
「ええ。まだアメリカほど一般的ではないけれど。わたしの場合は、たまたま機会に恵まれていた、ただそれだけのこと」
そう言って、彼女は笑ってみせる。
それはちょっとぎこちない笑みだったけれど、作り笑いよりはよっぽど好感が抱けた。
「あ、紹介する機会を逸してしまったね。彼女は恵澄美恵近。国連が紛争地で活動を認めたジャーナリストのひとりであり、我々が受注した警備業務を打診した、立派な依頼人でもある」
「ユニットAの皆さん、どうぞよろしく」
そう言って、恵澄美は会釈する。
そういえば、頭を下げる人間を久しぶりに見た気がする。なんせ、アメリカ人はそういう仕草はなかなかしないから。だから、彼らが日本に来て、頭を下げて下げて下げまくる日本人の姿を前に、半ば驚いてしまう――というか、ドン引きしてしまうのも、なんというか頷ける話だ。
「はい、質問」
「恵澄美さん、この無遠慮で生意気な彼女がキャロライナ・カロッサ。みんなは親しみを込めて、キャロルと言っています。彼女が未成年の癖に飲酒を嗜んでいることは、どうかご内密にお願いします。当局も一切関知しておりませんので」
「てめぇ、後で殴る」
と言いながら、手加減なしの蹴りを入れてみせるキャロライナ。
一応、現役の軍人で、職務上の上司であるジョシュアに対して、本当に情け容赦がない。かなり痛そうだったのに、ジョシュアも鍛え方が違うのか、すぐに立ち直る辺りはさすがだ。
「エスミ・エチカ。どっちがファーストネーム? ジョッシュの説明じゃよくわからん」
「日本でも中国でも韓国でも、先にファミリーネームが来るんだ」
「この子がユニットAのリーダーの、筑波九十九。名前の通り、日系です。ご両親も日本人で、東京にも滞在したこともあり日本語が堪能、しかも優秀な戦闘要員ですので、ぼくが捕まらない時は彼女に頼んでみてください」
「こんなに若い依頼人は初めてね」
「この子はエリン・エヴァレット。第一印象はそんなによくないかもしれませんが、おそらくいい娘だと思います。ぼくが今まで彼女がいい娘だと実感したことは一度もありませんが……たぶん、いい子なので話してやって下さい」
エリンが冷たい視線を向けるも、ジョシュアはなかったことにしている。
「で、先程質問した彼女は、クレア・クリーヴランド。見た感じ通りの、優しい人格者です。皆よりも一つ年下ではありますが、トレーサーも努める優秀な社員です。もしも我が社の社員があなたが担当した紙面を飾るのなら、彼女ほどふさわしい人間はいないでしょう」
ジョシュアのべた褒めに、頬を染めるクレア。お世辞を真に受けてしまう初心なところも、クレアがやると絵になるんだから、世のなかは本当に不公平だとも思わなくもない。
「ユニットAの諸君、きみ達の任務は、スフェールの惨状を伝えるこの恵澄美嬢の身辺警護。なお、この任務には、恵澄美嬢がきみ達社員の日常と、過酷なミッションを密着取材するという、後方活動も含まれている。よって、PMCブラスト社の社員に恥じない行動と……」
「はい、質問」
芝居っ気たっぷりのジョシュアの言葉を遮る、キャロライナの大声。
「なんだよ、キャロル。人がせっかく説明しているのに」
「あたしらは非公式契約社員だろ? いいのかよ、報道の密着取材なんて許可して」
「ああ、年齢はちゃんと嵩上げしておくから、そこは心配いらないよ」
「ぶっ殺すぞ!?」
キャロライナが殴りかかる。
ぽかぽか殴るといった可愛らしいものではなく、容赦ない拳骨のラッシュが繰り出される。筋肉を、そして骨を打つ鈍くて低い音が木霊する。なんというか、傍で聞いていて心地の良いものじゃない。思わず自分の身体をさすって、無事を確認したくなるような、そんな音だ。
「痛い痛い!? これは、国防次官がお墨付きを与えた、正式なお仕事なんだよ。真実をありのままに伝えるジャーナリズム精神の体現者である恵澄美嬢だって、うちの処々諸々の不都合な真実に関しては見逃してくれるっていう、かなり譲歩した契約なんだから」
広告代理店による政府にとっては不都合な世論形成を防ぐべく、先手。それが、紛争地域で活動するために民間軍事請負会社と契約を結ばざるを得ない報道と、色々と腹のうちを探られるとマズいPMSCsとの、奇妙な利害の一致。
「未成年の請負社員は子どもの権利条約をはじめとする国連の各種条約、ならびにジュネーヴ条約にも違反する点だけど……。わたしはその点に関して、一切の情報を報道することはない。その点を、どうか安心してもらいたい」
恵澄美は微笑を浮かべる。
なるほど、ボク達の痛いところも、しっかり押さえているというわけだ。
とはいえ、国防総省の当局者や兵士達が、捕虜達を日常的に虐待していたことなどが公に暴露された今、ジュネーヴ条約をはじめとする一連の規定を破り続けていることなんて、いまさらな感じもするけれど。
「わたしの関心事は、このスフェールの地で起きた悲しい紛争。わたしは、それを世界に向かって発信し、無事に日本に帰ること。……それができれば、細かいことに拘泥しない」
「いいねぇ、そういうの。気に入ったよ」
キャロライナが缶を呷る。アルコールが入っているからか、頬が薄ら赤くなっている。
「で、エスミ。エチカって呼んだ方がいいのか? まぁ、いいや。さっそくあたしの武勇伝をここで披露したいところだけど、ここには女が五人だ。シャワーは各部屋にあるけど、バスタブは一つだけ。日本人は風呂が好きだろ? 一番風呂は譲るぜ」
そう言って、ウインクしてみせるキャロライナ。
その意味合いがわかったボクは、クレアにそっと目配せする。
「じゃあ、お湯を張ってきますね。……そうだ! わたしがお部屋に案内します」
言うが早いか、クレアはさり気ない仕草で恵澄美の腕を取ると、部屋からそっと引っ張り出す。
それでいいと思う。これは、恵澄美にとってもクレアにとってもいい判断だ。
「さて、ジョッシュ。ボク達が一体何を訊きたいか……わかってるよね?」
ボクはなるべく感情のこもらない声音で訊く。




