39 そこはかとない違和感
「再現……」
聞き返しかけて燐は口を閉じた。
けれど、言葉の意味は分かった。その場所へ残った魔力や物質の痕跡を拾い、以前の状態を一時的に組み直す魔法のことだ。
「できると思う」
「それなら、現場を見た方がいいですね」
東雲はすぐに燐の言葉を拾った。
「押収品だけでは、元の配置までは分かりません。荒菱が何をどんな状態で保管していたのか、残留した痕跡から確認できる可能性があります」
燐は一度、机の上の押収品一覧を見た。
そこまで考えていたわけではなかった。ただ、持ち出された物だけを見ても、元の家のことまでは分からないと思っただけだ。
けれど、東雲がその考えを捜査の手段として拾ってくれた。
膝の上に置いた指先へ、少しだけ力が入る。自分でも何か役に立てることがあるらしい。
「家宅捜索は終了していますよ」
篠井の声は穏やかだった。
「必要なものはすべて押収済みです。再現に使える程度の残留魔力が残っているかも分かりません」
「でも」
燐は答えた。
「残ってなかったら、残ってないって分かるから」
篠井は一度黙った。その沈黙の理由を考える前に、東雲が卓上の端末を自分の側へ引いた。
「第二班の捜索結果を疑っているわけではありません。再現を試して、何も出なければそれで終わりです。現場へ入ること自体に問題はありますか」
「……いえ。ありません」
篠井は資料板へ目を落とした。
「ただ、現場には本当に、ほとんど何も残っていないと思います」
燐は篠井を見る。
まただ。
難しいことは分からなくても、同じ言葉へ戻っていることくらいは分かる。
まるで、何か決められた回答があるような、しかしそれも違和感の域を出ないように巧妙に隠されているような。
何もないなら見ても困らないはずなのに。燐は目を細めた。
「何もないなら、それも見たい」
篠井の視線が燐から東雲へ移る。
東雲はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「俺たちは、押収漏れを探しに行くつもりではありません。荒菱がどういう環境で素材を保管していたのか、それを確かめたいだけです」
「……《梟》には協力するよう言われています」
篠井はそう答えた。燐はまた少し引っかかった。何かを気にしているように思えたからだ。
「現場へ行くこと自体に問題はありますか」
篠井は首を振った。
「では、住所をいただけますか」
篠井は資料板へ指を置いた。卓の中央に薄い地図が広がる。アマリ幻想地区の中心部からセイントミアへ視点が滑り、建物の密集する区域を抜け、古い水路が細く枝分かれする住宅区で止まった。
一軒の家に白い印が灯る。
「ここです」
「ありがとうございます」
東雲が位置情報を自分の端末へ移す。
篠井は地図を閉じかけたが、その指を途中で止めた。
「ただ、繰り返しになりますが、現場から新しく得られるものはほとんどないと思います。必要な確認はこちらで済ませていますので」
「そうですね」
東雲は柔らかく返した。
篠井は目を細め、上質な応接用のソファから腰を上げた。
「分かりました。では、お気をつけて」
燐も立ち上がったが、扉へ向かう途中で一度だけ振り返った。
篠井はまだ地図を消していなかった。荒菱宅を示す白い点を見たまま、資料板の上に置いた指が止まっている。
何かを隠しているようには見えない。だが、なぜだろう。話しているうちに感じるそこはかとない違和感が、燐の中で沈んでいく。
廊下へ出て扉が閉まると執務区画の音が戻ってきた。資料板を抱えた捜査官や杖を腰へ下げた者たちが行き交い、燐たちに気づいた何人かがさりげなく進路を空ける。
しばらく歩いてから、さっきの会話を頭の中でもう一度なぞる。どうしても一つだけ引っかかり、燐は隣の東雲へ顔を向けた。
「……篠井さん、変じゃなかった?」
「やっぱり気づきました?」
「場所も答えなかったし、家に行くって言ったら、なんだか拒否してるみたいだった」
「俺もそう思いました」
「あれって……、何か隠してる?」
「うーん」東雲は考えるよう瞼を伏せる。「だからこそ見に行きましょう」
「ええ」
燐は小さく頷いた。自分の考えが次の捜査につながった。そのことが、胸の奥でじんわりとほどけていく。
すると、前を歩いていた東雲がふいに振り返った。
「燐さん」
「なに?」
「さっきの杖ですけど」
「え?」
「いえ。ただ、あれを拾ったことで、今日一日は第二班で話題になるんだろうなって」
燐は顔をしかめた。
「意味分かんないんだけど」
「あははっ、意味分かんないままでいいですよ」
東雲が歩き出す。
燐もその隣へ追いつきかけて、ふと後ろを振り返った。さっきの二人はもう見えない。それでも、通り過ぎる捜査官は燐と目が合う前に視線を逸らし、すれ違うときだけわずかに距離を取っている。
ずっと気になっていた。
「……ねえ」
「はい?」
「なんで、みんな……ああなの?」
東雲の足が少し緩んだ。
「ああなる、……もしかして、気にされていたんですか?」
「それは、気にするでしょ」
東雲は目を瞬いた。
「私、怖がられてるのね」
今度は東雲も否定しなかった。
「まあ。それは――そうですね」
「なんで?」
尋ねると、東雲は少し考えるように燐を見た。
「燐さんが《魔法種》のギリアだから、というのもあります」
「ギリア……?」
「ギリアについては憶えていないですか?」
燐は首を横に振った。
「言葉は、聞いたことがある気がする。でも、よく分からない」
東雲は歩調を少し緩めた。
「《魔法種》には、大きく分けて三つの区分があります。魔法を扱えないハルフ、魔法を扱う資質を持つカリア、それから、その資質が特に強いギリアです」
「ギリアは?」
「ギリアは、魔法資質が特に高いと判定されたアデイラです。魔力量や制御力、魔力に対する身体の耐性なんかをまとめて見て決められます」
「判定されるの?」
「覚醒したあとに、一度は検査を受けますから。制度上は、その結果で区分されます」
東雲は少し肩をすくめた。
「俺は、ギリアもカリアも大して変わらないと思っていますけど」
「でも、みんなはそう思ってないのね」
「強い魔力を持っているだけで、警戒する人はいます」
燐は先ほどの執務区画を振り返った。
「じゃあ、第二班の人たちは?」
「ほとんどがカリアです。篠井捜査官はギリアだったかな。でも捜査官の中でもギリアはそう多くありません」
「あなたは?」
「俺もギリアです」
燐は思わず隣を見た。
「同じなの?」
「ええ、一応……、あなたと同じギリアではありますけど」
「一応?」
東雲が少し笑った。
「はは。燐さんと俺では、魔力量が違いすぎますから」
さらりと言われて、燐は返事に困った。
自分では何も感じない。手を動かせば魔法が出て、身体が勝手に使い方を知っている。それだけだった。
「じゃあ、みんなが私を避けるのは、ギリアだから?」
「それもあります。カリアの人には、強いギリアの魔力を近くで感じるだけでも圧になることがありますから。燐さんは、特にそれが強いんです」
「……東雲は平気なの?」
「もちろん、平気ですよ」
少しだけ間を置いて、東雲は付け加えた。
「まあ、燐さんが怖がられる理由は、たぶん、それだけじゃないけど」
「え、ほかにもあるの?」
燐が問うと、東雲は口を閉ざした。
「なんで?」
「それは、……うーん。今知らない方がいいかもしれませんね」
東雲は答えず、口元だけで笑った。




