春のおすそ分け
「いい天気だな」
それは、3月半ばのある晴れた日だった。
無事に大学進学を決めて、通学の為に新しい街で一人暮らしを始める準備を、ひと通り整え終えたある日の午後。
真新しい白いカーテンや、買い揃えたばかりの新品の家具が目にまぶしい。
部屋の片隅にはまだ包みをほどいていない段ボール箱も残っているけれど、初めての一人暮らしで高まる開放感と、どこか見慣れない他人の部屋のようで落ち着かない気持ち。
事前の下見で近くのスーパーやコンビニの位置は確認してあったけれど、正直あまり自炊には自信が無い。
少し遠出をすれば、ファストフードやファミレスもあるけれど、既製品ばかりだと飽きてくるだろう。
できれば、いい感じの喫茶店や、後は時間がつぶせるような本屋とかもあれば⋯⋯。
そうだな、少し生活に慣れたら、バイト先も見つけたい。
とりあえずの荷解きが落ち着いた今、新生活への期待が膨らんでいく。
「少し散歩でもしてみるか」
誰に聞かせるでも無く呟いて、捨てられずに持ってきた高校時代からの自転車を引っ張り出す。
車の免許も早く取りたいけれど、とりあえずはこいつがあれば充分だ。
地図アプリもあるけれど、少しばかりの探検気分を味わおうと、僕は街へと漕ぎ出していった。
日差しは暖かさを感じるけれど、少しの肌寒さと、どこか懐かしさを感じる柔らかな風にのって鼻をくすぐる何かの花の香り。
なんだかスパイシーな匂いが混じってきたと思ったら、こんな所にエスニック系の料理屋だ。
あまり刺激が強いのは得意では無いけれど、疲れている時にはこういうのも有りかもしれない、とりあえずリストの中に入れながら、更に足を伸ばす。
今度は少したどたどしいピアノの音色だ。
ちょうど習い始めた頃なのだろうか、1音1音をなぞる様に時折止まりながらもゆっくりとした旋律が聞こえてくる。
その音に導かれる様に角を曲がると楽器店があった、最近では珍しく、レコードやCDもあるみたいだ。
気分転換したくなったら、何か探しに来るのも良いかもしれない。
その後も、今の所予定は思いつかないけれど、ペットショップや花屋、古着屋の軒先をひやかしながら探索を続けていた僕は、喉の渇きを覚え始めていた。
コンビニでもいいけれど、折角だから少し落ち着いて休める場所はないだろうか。
そんな事を考えていると、小さな白い固まりが目の端を横切った気がした。
「猫でも居たかな」
そんな事を思いながら、固まりの消えていった方を見ると、少し古ぼけた1件の店が目に入った。
『Cafe RABBIT HOLE』
シルクハットをかたどった看板にはそんな文字が書かれていた。
「ウサギの穴?」
ウサギと帽子ってどこかで見た気もするけれど、すぐには思い出せない。
外観は少し色あせた感じもするけれど、カーテンのかかった出窓や少し重そうな木の扉は綺麗に磨きあげられている。
デートするには良さそうだけれど、今の僕には少し入りづらいかな。
そんな事を考えながら足を止めると、ちょうど涼し気な鈴の音と共に扉が開いた。
「あら、お客様?」
花壇の手入れでもしにきたのだろうか、手には小さなハサミとジョウロ、少しクラシックな白いエプロンドレスとハウスメイド調の黒のロングスカート。
肩に少しかかる程度の、今時珍しい位の艷やかな黒髪。
ぱっと見は、ちょうど大学生のバイトみたいな女の子が少し訝しげに訊ねる。
「えっと⋯⋯」
「良かったら少し休んでいかない?ちょうどヒマしていたし」
ずいぶんと馴れ馴れしいけれど、この店大丈夫かな?
「なんか変な事考えてない?」
「いや、別にそんなんじゃ無いけれど⋯⋯」
「心配無いわよ。見かけない顔だし、この春新生活を始めた学生さんって所でしょ」
「はぁ、まあ⋯⋯」
「大丈夫、ぼったくったりしないから」
こうして、僕は偶然見つけた怪しい(?)カフェへと足を踏み入れたのだった。
「それじゃあらためて、いらっしゃいませ」
いらっしゃませというか、捕まえたのはあなたなのでは、そんな事を思いながら僕は店内に足を踏み入れた。
ここは散策中に偶然見かけた、少し古ぼけた感じの喫茶店『RABBIT HOLE』。
よくわからない器具が並べられたカウンターとその奥にはカップやポットが並ぶ大きな飾り棚。
後は数台のテーブル席と壁際には何故か大きめのソファと本棚が置かれていた。
「そこに座ってちょっと待ってて」
先ほど僕を招き入れた女の子はカウンターの1席に僕を案内すると、中に入ってごそごそとティーポットらしい物を用意し始めた。
「あの、メニューとか⋯⋯」
「ちょうどいいヒマつぶ⋯⋯、折角この街に引っ越してきたのだったら、引っ越し祝いでサービスしてあげる」
今、ヒマつぶしって言ったよね?
そんな僕の事にはお構いなしに手慣れた手つきでポットの中に茶葉を入れ、お湯を注ぐとほんのりと柑橘系を思わせる爽やかな香りが立ち込める。
「紅茶ですか?」
「あのね、カフェといったらコーヒーだけだと思ったら大間違いよ」
確かにカフェといえば、アフタヌーンティーとかいうのもあったっけ。
「はい、お待たせ」
少し間を置いて、僕の目の前にはティーカップとポットが差し出された。
「熱いから少しずつ注ぐのよ」
そう言いながら女の子はいつの間にか用意していたもう1つのカップにも中身を注いでいく。
自分の分も用意しているなんて、ちゃっかりしているな。
「ストレートがお勧めだけど、ミルクとシュガーはいる?」
「じゃあとりあえずそのままで」
よくわからないままに勢いで口を付けると、微かなリンゴを思わせる風味と、すっきりとした後味が喉を駆け下りていった。
「へぇ⋯⋯」
紅茶なんて、あまり飲む機会は無かったけれど、意外に飲みやすいな。
「セイロンティーよ」
「セイロンティー⋯⋯」
とりあえずよくわからないままに相槌をうつと、女の子は堰を切ったようにそのまま話を続ける。
「セイロン系は標高によって味の違いがよく出て個性的でね⋯⋯」
「あー絵夢、また勝手な事してる」
その声は突然どこかから聞こえてきた。
慌てて周りを見ると、クスクスとした笑い声がソファの方から聞こえてくる。
「どうせヒマなんだから少し位いいでしょ、ゆりあ」
他にもお客さんが居たのかな?
そう思いながらソファの方を振り向くと、そこには別の女の子が座っていた。
午後の陽射しを浴びてしなやかに輝くブロンドのロングストレートヘアと淡い水色のフリルのついたエプロンドレス。
全てが日本人離れしているけれど、目の前の絵夢と呼ばれた女の子とどこか同じ雰囲気を感じさせる女の子だった。
「どうも、お邪魔しています」
とりあえずよくわからないままに挨拶してみる。
「私はゆりあ。絵夢、ポテト」
「あんたもうちょっと愛想よくしたら?」
「だって疲れたし」
見た目とは違って喋り方は完全に日本人だし、絵夢さん(?)と姉妹の様なやり取りをしているけれど、気配に気付かなかった事も含めて、これ以上突っ込んでいいのかよくわからない。
「ごめんね、邪魔が入って」
「ゆりあ、邪魔じゃないよ」
「邪魔してるでしょうが」
常連さんにしては距離が近すぎるし、家族にしてはあまりにも容姿が違い過ぎるし⋯⋯。
2人のやりとりをぼんやりと眺めながらそんな事を考えていると、1枚のお皿が差し出された。
「良かったらお茶うけに。意外と合うのよ」
「あー、ゆりあのポテト⋯⋯」
「あんたの分はちゃんと有るでしょうが」
「全部ゆりあのだよ」
⋯⋯えっとここは本当に、喫茶店なのだろうか。
本当は、僕は夢を見ているのかもしれない、そう思いながら謎の争いをただじっと見守る。
「全部ゆりあのだよ」
突然招かれた喫茶店に突然現れた不思議な女の子。
引っ越し作業で疲れて、夢でも見ているのかも、そう思った僕は思い切って、そのゆりあと呼ばれた金髪碧眼の女の子に話しかけてみた。
どうせ目が覚めたら、こんなハーフっぽい(?)美少女とお近づきになる事なんて無いだろうし、何事も経験だ。
「こんにちは、このお店によく来るんですか?」
「ゆりあ、休憩中なの」
やっぱり変に思われたかも、そりゃあ、いきなり知らない男に話しかけられたら、怪しいよな⋯⋯。
「気にしないでいいよ。その娘はいつもそんな感じなんだから」
そう言ってこの喫茶店(?)『RABBIT HOLE』の絵夢さんがとりなす。
そういえば、この人はここの店主なんだろうか。
見た目はほぼ同世代に見えるのに、見ず知らずの僕をいきなり店内に招き入れて、勝手にお茶を振る舞ったりしているけれど。
「そう思うなら、そう思ってていいんじゃない」
まるで僕の考えが読まれたかの様に勝手に返事がきた。
やっぱり夢なのかもしれない、どうせなら、もう少し楽しんでいこうか。
「すいません、ここ、営業時間とかは?」
「来たい時にくればいいよ」
「モーニングとかもやっているんですか?」
「ゆりあ、トースト焼けるよ」
「あんたは火を使っちゃダメって言ってるでしょうが」
⋯⋯トースト焼くだけでなんで?
というか、ゆりあさんも店員さん?
「一緒にお仕事しているんですか?」
「ゆりあは今、前線で忙しいの」
「今は、桜の季節でしょ」
確かに最近、暖かくなってきたし、そろそろ桜が咲く頃か⋯⋯。
「だから押し上げなくちゃ」
桜前線を押し上げるって事!?
「ねー、甘い物も欲しい」
困惑する僕を横目に絵夢さんに追加オーダーをするゆりあさん、自由すぎるというか不思議すぎるというか⋯⋯。
「全く自由なんだから⋯⋯」
ぶつぶつと言いながらも手早くボウルに材料を入れて、かき混ぜ始める絵夢さん。
なんだかんだと面倒見は良さそうだけれど、結局この2人の関係がよくわからない。
「パンケーキならゆりあ焼くよ」
「だから、あんたは火を⋯⋯」
そう言いかけた絵夢さんからボウルを奪うと、ゆりあさんはフライパンを火にかけるて勢いよく中身を流し込む。
「ちょっと、あんたまだバター入れてないでしょっ」
「えっ?!」
「しかもいきなり強火でっ」
「ふふん、ふーん」
なんだか少し煙たくなってきたのは多分気のせいでは無いし、夢にしてはリアルすぎる謎の焦げ臭さ。
1人陽気に鼻歌を歌いながらフライパンを揺するゆりあさんと、全てを悟った様な顔で、別の材料を用意し始める絵夢さん。
「ふふん⋯⋯ふ⋯⋯」
しばらくして僕の目の前には、謎の黒い物体が乗った皿が差し出された。
「あの⋯⋯、これ⋯⋯」
「おいしくなーれ、おいしくなーれ」
確かに服装はメイド服に見えない事も無いけれど、多分それは別の喫茶店(?)のオプション的な物で、しかも食べ物にかけるおまじないで⋯⋯。
「絵夢、このフライパン壊れてるよ」
「だから、あんたは火を使うなって言ってるの」
自信満々に失敗をフライパンのせいにするゆりあさんと、突っ込む絵夢さん。
「ぷぷっ」
目の前の光景に口をはさむ事も出来ずに眺めていると、どこかから呆れている様な、気の抜けた声が聞こえた気がした。
「なんだ、今の?」
鳴き声(?)のした方へ視線を走らせると、長い耳の白くて丸い物が、飾り棚のティーカップの裏へと、隠れる様に駆け込んでいった様な気がした。
「あっ」
「「えっ!?」」
思わず声をあげた僕に2人が驚いてこちらへ振り向く。
「どうしたの?」
「今、そこの棚の上に何かがいたような⋯⋯」
「きっと気のせいじゃないかな」
「そうだよ、ここには害虫なんか入ってこれないし」
「ゆりあ?あんたまた⋯⋯」
そこまで言いかけて、1度言葉を止めた絵夢さん。
「そうだ、そろそろ遅くなっちゃったから、仕込みしなくちゃ。」
そう言われて窓の外を見ると、いつの間にか、陽が沈みかける時間になっていたみたいだった。
「すいません、長居しちゃって」
「こちらこそ、ごめんね。よかったらまた来てね」
2人のやりとりにかすかな違和感を感じながらも、僕は席を立つことにした。
「ごめんよ。焦がしちゃったお詫びに」
そう言ってゆりあさんが僕の方へ向けて軽く手を振る。
「?」
「本当はもう少し後だけど」
よくわからないけれど、とりあえず2人にお礼を言って店を出た僕の目の前にひとひらの桜の花びらが舞い降りた。
「えっ?!」
確か、開花予想はもう少し先だった気がするけれど⋯⋯。
「春のおすそ分けだよ」
そんな声が後から聞こえた様な気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。
今すぐ戻って確かめたい気もするけれど、何故かその時の僕はそんな気にならなかった。
「まあ、いいか」
店には、近いうちにまたくればいい。
新生活の楽しみが少し増えた気がした僕の肩に、花びらがふわりと舞い降りた。




