ストゥルトゥスのシナリオ
パーティーはまさに今ここから始まるのだという雰囲気の中、威風堂々としたその声は広間の中央からしっかりと響き渡った。
「マリエッタ!出てこい!!聞こえているはずだマリエッタ・ローダム!!」
瞬間、場の空気はざわりと揺れ、かと思えば波が退くようにすーっと重く静まり返る。
演奏するはずだった曲はとても披露できる空気ではなく、楽団の奏者たちは緊張した面持ちでそれぞれの楽器を手にかたまり、乾杯の為に手にしていたグラスをどうする事もできぬまま気まずそうに年頃の令嬢子息たちが近くの友人たちと顔を見合わせる。
この国の王子も通う学園の、今日をもって卒業する学生たちの卒業とこれからの門出を祝う為のパーティーだった。
そのパーティーの始まりの声より早く、声をあげたのがまさにこの国の王子であるオリバーだったわけだ。
「マリエッタ!」
短期なオリバーが再び声を張り上げてその名前を呼ぶ。彼はこの会場に己の婚約者がいると確信しているのだ。
誰もが身動きひとつ躊躇うようなピリリとしたそんな空気を変えたのは場違いな程おっとりとした軽やかな声だった。
「はいはい、こちらにおりましてよオリバー様。」
彼女の為にさっと人垣が割れ、できあった道をゆったりと進み出る彼女にオリバーが眉を寄せる。
「王国の小さき太陽オリバー様、ご機嫌麗しく・・・」
「ええい、やめろやめろ!!
」
「あらあら・・・」
困った人ねとでも言わんばかりに頬に手をあて首を傾げる様までもが上品なマリエッタの仕草はオリバーを完全に逆撫でるものであったらしい。
「聞け!これまでの貴様の悪行から今日で貴様との婚約を破棄し、俺はこのガブリエルと婚約する!!」
この、という言葉に誘われるようにしてオリバーの隣に視線を向ければ、淡いピンクのドレスがよく似合う小柄で可愛らしい令嬢の姿がある。
今まで気付かなかったわけではないが、皆なんとなく彼女から意識を外していた。と言うのも、彼女ガブリエル・サウローは子爵家の令嬢で学園内ではその可愛らしい容貌以上に
王子との関係について有名になっていたからだ。
つまり、いつか絶対に問題が起きると予想されていたから、関わりたくなくて、彼女の存在から意識を外すことで無関係無関心のポジションを貫こうと賢い令嬢子息たちは考えていた。
「オリバー様ぁ・・・」
「大丈夫だガブリエル。俺がついているからな!」
媚びる甘え声にオリバーは力強い笑みで応えているが、周囲は呆れ顔を浮かべてしまう。
そしてそれはマリエッタもまた同じ。
「あらあら・・・。」
呟かれた声は、しかしはっきりと響いて、次いでふぅと吐かれた息の音も皆しっかりと聞いていた。
「恐れながらオリバー様、その話しは今ここですべきではないかと思うのですが、改めて時間と場所を設けませんこと?」
「ならん!どうせ、侯爵家の力で揉み消そうという腹だろうがそうはいかんぞ!!」
「まぁ・・・。私が何を揉み消そうと仰有るのでしょう?」
「惚ける気か!?無駄な足掻きだな!!」
話が通じないというのはこう言うのを言うだろうか。
利かん坊を相手にするような口調のマリエッタの方が余程冷静な対応をしている。
「・・・婚約破棄、でしたわね。」
「そうだ!貴様がガブリエルにした非道な仕打ちを俺が知らないとでも!?」
「非道な仕打ち・・・。」
「身に覚えがないとは言わせんぞ!!」
またひとつ、マリエッタは息を吐く。そしてパッと開いた扇子で口元を隠すと、何かを確かめるようにちらりとどこかへ目をやると、コクりと微かに頷いてから眼差しを細めて淑やかな微笑みをオリバーに向ける。
美しいマリエッタが浮かべる微笑みは美しい。だが、微笑むその目が冷えているのにオリバーは気付いていないのだろうか。
「オリバー様・・・いえ、もう殿下と呼ぶべきですわね?非道な仕打ちとは例えば教科書を破かれたり、頭上から水を浴びせられたり、殿下に近付くなという脅迫めいたお手紙を貰ったり、でしょうか?」
「ふん、自分でやっておきながらよくもぬけぬけと・・・」
「あとは誰からもお茶会に招待されない、とかもあるかしら?」
つらつらとガブリエルがされたであろう仕打ちの内容を正解に挙げてゆくマリエッタに皆はまさかという顔をする。
だがマリエッタの堂々とした声や表情は揺らぐ事なくオリバーへと向けられたまま。
「惚けるな!全て貴様の仕業だろう!」
「残念ながら私ではございませんわ。」
「ふん!自分の手は汚さず取り巻きの者にやらせたと!?」
「それも違いますわね。まぁ、でも事実そちらのご令嬢はそれらの被害に遇われたのでしょうね。」
パタンと扇子を閉じたマリエッタがガブリエルへと一瞥向け、そして再びオリバーへと視線を戻す。
どこか覚悟を感じさせる目だった。それでいて諦めと哀れみがまじった、そんな目でもあった。
「往生際の悪い・・・!では誰がやったと言うつもりだ!?」
「殿下は王妃の試練と呼ばれるものをご存知?あぁ、きっとご存知ではないのでしょうね。簡単に申し上げますとね、王国の次代を担う者とその伴侶となる者に王妃がその器が正しく釣り合っているかを試す為の試練なのですわ。」
「母上が・・・?」
「恋に身を滅ぼすといった事は誰にでも起こりえる事。年頃の者なら尚更に理性よりも感情を優先してしまい易いもの。でも、王国を担う者ともなればそれは許されませんもの。」
その決断に、その行動に、その発言に王国の将来という責任が存在する。それが王となるものが背負うという事。
「過去に王族の王子が身分が低い者を選び、国に混乱をもたらしかけた前例がこの国にはありますの。
あまり表立っては語られてはおりませんが・・・でもきちんと王家の戒めとしめとしてそれを殿下も教えられているはずでしてよ。
まぁそれは今は置いておきましょう。とにもかくにもそう言った過去の出来事の過ちから代々の王妃は次代に試練を課すのですわ。
婚約者が他の者に現を抜かした時に冷静にその状況に対処できるか。
不条理な目に遇ってもきちんと1人で立ち向かい対処できるか。
己の伴侶となる者を、きちんと守り抜けるか・・・。」
それが、それぞれに下された試練だったのだろう。
学園内で起きたトラブルを対処できぬ者が、国家で問題がおきた時に対処できるはずもない。
そしてそれを冷静に対応できたのはマリエッタだけだった。
マリエッタだけが、王妃の試練を通過した。
「う、嘘だ!言い逃れをしようとしてもっ・・・」
「殿下、私たちには王家の影が常に私たちの動向を観察しておりましてよ。彼らが私の無実を、そして王妃様が真実を証明して下さるでしょう。」
それすらもこの国の第一王子であるはずのオリバーは知らなかったのかもしれない。
何がなんなのかわからぬのは隣で混乱しているガブリエルだけで、そんな彼女の存在すら最早オリバーの意識はからは消えているのだろう。
がくりと崩れた膝が、青ざめた顔が、自身の今後をオリバーが理解したのをありありと示している。
「残念ですわ。」
えぇ、本当に残念。
彼が描いたシナリオは崩壊し、王位継承権は未来永劫失われたのだ。
どこからともなしに現れた者たちが、引き摺るようにしてオリバーを連れて行くのを見ながらマリエッタは何度目からもわからぬ息を吐く。
瞼を閉じ、再び開いて顔をあげた時、そこにはいつもの淑女然としたマリエッタが存在していた。
その傍らに、公爵家の子息が並ぶ。今この場において最も身分が高いのは彼である。
彼は一度にこりと微笑みをマリエッタに送ると、しっかりとした声を発した。
「さぁ皆さま、そろそろ。パーティーを始めましょう。」
さっと手を挙げて、楽団に音楽を奏でる合図を出せば、それに応えるようにして明るい音楽が鳴り響く。
この場にいるのは貴族の令嬢子息である。彼らもまた、心得たようにそれまでの空気を切り離すようにして明るい表情を浮かべ、きらびやかで楽しいパーティーを演出するその一部となる事を選択したのだ。
「美しい方、どうぞ私に一夜の夢を見させてはいただけませんか?」
キザったらしく演技かがったような言い回しはきっとわざとで、マリエッタはくすりと笑んで差し出された手に自身の手を重ねる。
パーティーのダンスは身分が一番高い者が最初に踊るのが貴族のマナー。王子がいない今、その役割を果たすのは確かに自分たちなのだろう。
広間の中央へとエスコートされながら進み出て、ダンスのポーズをとれば、あとは音楽にあわせて流れるようにステップを踏んでゆく。
「僕が言えた事ではないが、ローダム嬢、貴女が気にやむ必要はない。」
「ドルマン様・・・。ありがとうございます。」
国王の妹君がドルマン公爵家に降嫁し、そして生まれたのがユリウス・ドルマンだ。
つまり彼には王家の血が流れており、彼にも王位継承権がある。
王家には王子は1人だけだった。その王子も王位継承権が先程の出来事により失われる事がはっきりとしている。
「・・・ドルマン様は宜しいのですか?」
何をとは敢えて言わなかった。だが、ユリウスにはきちんと伝わったようだ。
彼は一瞬だけ、苦く笑う。
「覚悟はしていたよ。それに、貴女が共にいてくれるなら悪い話ではない。寧ろ有難いと言うべきか。貴女は高嶺の華だ。手が届くとは想像もしていなかった。」
お世辞だとしても嬉しかった。
そう、嬉しかった。
くるくると踊りながら、マリエッタは数ヶ月前の事をふと思い出す。
身分の低い令嬢とオリバーの距離が近いと噂になっていると躊躇いがちに報告を受けた時、マリエッタはただ呆れていた。
婚約者がいながら別の令嬢と噂になるぐらい親密になるようなオリバーにも、婚約者がいると知っていながら身分も弁えずオリバーにすり寄るガブリエルにも。
それと同時に思ったのだ。もしかしたら・・・と。
マリエッタは侯爵家の令嬢に相応しいだけの教養と美貌をもった令嬢であり、知的で洗練された立ち振舞いに尊敬と憧憬を抱く令嬢は多い。
理想と慕うマリエッタを何だと思っているのかとガブリエルに対して苛立ちと不満を募らせる令嬢たちに、けれどけして手を出しはしないようにと厳命し、マリエッタは傍観を決め込んだ。
オリバーにも一応忠告はした。どうせ言ったところで聞かないとわかっていても、だ。
令嬢たちはマリエッタの言葉に従い、ガブリエルには何もしなかったはずである。それどころか貴族としての礼儀も知らぬような令嬢とお近づきにはなりたくはないと遠巻きにしていた。
ガブリエルが誰からもお茶会に呼ばれず独りぼっちであり続けた理由はこの辺りだろう。
にも関わらず、彼女が嫌がらせをされているという報告があがり、マリエッタは怪訝と首を傾げたのだ。
だがその答えはすぐにわかった。王妃に招かれたお茶会で、王妃は愚かな息子が申し訳ないと失望を滲ませながら教えてくれたのだ。
王妃の試練についてを。
きっとあのこはダメでしょうね・・・。
そう呟いた王妃にあの日のマリエッタは目を伏せた。
そして思ったのだ。もしかしたら・・・と。
「貴女には申し訳ないが国は貴女を手放さないだろう。」
「国の事情に巻き込まれているのは貴方様も同じでしょう?」
「いや。僕にはこの国の王家の血が流れている。であるならば大きな義務と責任を果たす必要がある。」
次の王になるのはユリウスで間違いない。
王妃教養を修め、王妃の試練に合格したマリエッタは王妃になる以外の選択肢はない。
だけど、それを幸運だとマリエッタは微笑む。
けして口には出さないけれど、手が届くと思っていなかったのはマリエッタの台詞だ。胸の内に秘めていた恋が叶うなど思ってもいなかった。
だからオリバーがガブリエルと親密になった時、もしかしたらと淡い期待を抱いてしまったのだ。
「共にこの国をよきものに導こう。」
「はい。微力ながらお支え致しますわ。」
後の世にこの日のことはどのように語られるのだろう。ふとそんな事を思った。
きっと愚かな王子が転落していった事は王家の教訓のひとつとして語られ、けれど後の王妃となった彼女の細やかな企みなど誰も知ることはないのだろう。
それでいいとマリエッタは微笑む。




