第2話 構えただけで終わる試験
俺たちは、ギルドの奥へと続く廊下を歩いていた。
人通りの少ない通路を進むと、やがて冒険者証発行受付と書かれた部屋にたどり着く。
(なんで俺がこんなことを......)
とはいえ、先ほどの騒動を考えれば、このまま放っておくわけにもいかない。
この世間知らずのお嬢様は、また何か問題を起こしかねない。
受付の小窓から、若い女性職員が顔を出した。
「あの、冒険者証の発行でしょうか?」
「ああ、そうだ」
セリファーナが堂々と答える。
「それでは、お名前と出身地を......」
受付嬢が書類を取り出しかけた時、セリファーナの顔をまじまじと見て、急に目を見開いた。
「あ、あの、もしかして......ローゼン家の......」
「セリファーナ・ローゼンだ」
その名前を聞いて、受付嬢の顔が青ざめた。
「ろ、ローゼン家のご令嬢が、ど、どうして冒険者証を......」
慌てふためく受付嬢を見て、セリファーナは首を傾げた。
「冒険者になるためだが?他に理由があるのか?」
「い、いえ!そうですよね!あの、えっと......」
受付嬢はあたふたしながら書類をひっくり返している。
明らかに動揺していた。
「あの、冒険者証を発行するには、まず必要書類を記入していただいて......」
震える手で羊皮紙を取り出す。
「それを提出していただいた後、内容を審査させていただきます。受理されましたら、その方の希望職種に合わせた適切な試験を準備させていただいて......」
「ふむふむ」
「試験に合格されましたら、ようやく発行手続きが完了となります」
受付嬢は恐る恐る顔を上げた。
「手続き完了まで、2週間ほど頂戴いたしますが、よろしいでしょうか?」
沈黙が流れた。
「2週間!?」
セリファーナの声が、狭い部屋に響き渡った。
「そんなにかかるのか!それは困る!」
彼女は受付の小窓に身を乗り出した。
「何とか今日中に手続きを済ますことはできないか!?」
「む、無理です〜!!」
受付嬢は半泣きになりながら首を振った。
「規則ですから!私にはどうすることも......ひぃ!」
(なんて無茶を言うんだ......)
俺は呆れながら、二人のやり取りを見守っていた。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
奥から、いかつい顔をした中年男性が現れた。
筋骨隆々とした体格で、歴戦の冒険者という雰囲気を漂わせている。
(ゴードンか......)
戦闘職専門の試験官で、かつては『鉄壁のゴードン』と呼ばれた凄腕の冒険者だ。
引退後はギルドで後進の指導に当たっている。
厳格な性格で知られているが、面倒事を嫌う一面もある。
「その......セリファーナ様が、今日中に冒険者証を発行してほしいと......」
ゴードンは、セリファーナを頭から爪先まで眺めた。
「ほう、ローゼン家のお嬢ちゃんか」
そして、ニヤリと笑った。
「身元ははっきりしてるな。それに、その腰の剣と背中の盾......立派なもんじゃねえか。戦闘職希望ってことでいいんだろ?」
「その通りだ」
「なら話は早い」
ゴードンは腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。
「めんどくせえ手続きが嫌なら、俺と戦って勝てば合格にしてやるよ。どうだ?」
「本当か!?」
セリファーナの顔が輝いた。
「助かる!では早速始めてもらっても良いか?」
「ちょ、ちょっと!」
俺は思わず声を上げかけたが、すぐに口をつぐんだ。
(待てよ......)
このゴードンという男の目を見て、俺は気づいた。
(このオヤジ、面倒事を避けるために確実にセリファーナを落とすつもりだ)
試験官との実戦なんて、聞いたことがない。
だが、冒険者証の発行手続きすら知らないほどの世間知らずだ。
どうせ本来の試験内容も知らないだろう。試験官に勝つという無茶な条件でも、疑いもせず受けるに違いない。
(まあでも、ここで落とした方が本人のためでもあるか)
貴族が冒険者をやって、良い結果になった試しがない。
以前、ある貴族の子息が道楽で冒険者になった時のことだ。金で雇ったパーティの実力も確かめず、初依頼で危険な魔物に挑んだ結果、全員が命を落とした。
遺族は「ギルドの管理不行き届きだ」と抗議し、ギルドが潰されかけたこともある。
それ以来、ギルドは貴族の冒険者登録に慎重になっていた。
「こっちだ」
ゴードンに案内され、俺たちは隣接する訓練場へ移動した。
広い空間の中央で、二人が向かい合う。
俺は入口近くの壁際に立ち、遠巻きに見守ることにした。
「ほらよ」
ゴードンは木剣を放り投げた。
セリファーナは片手でそれを受け取る。
「ルールは簡単だ。どちらかが『参った』と言ったら試験終了」
ゴードンも木剣を構えた。
「手加減はしねえぞ。じゃあ、始めるぞ!」
合図と同時に、ゴードンが地面を蹴った。
凄まじい速度でセリファーナとの距離を詰めていく。
(速い!)
さすがは元凄腕冒険者の試験官だ。
並の新人なら、反応すらできないだろう。
一方のセリファーナは―
目を閉じていた。
「!?」
深く、ゆっくりと息を吸い込んでいる。
まるで精神を集中させているかのように。
(何をやってるんだ!?)
ゴードンはすでに彼女の目前まで迫っていた。
木剣を振りかぶり、一撃で決めようとする―
その瞬間。
セリファーナの瞼が、ゆっくりと開かれた。
次の瞬間、何が起きたのか、俺の目には捉えられなかった。
ゴードンが木剣を振りかぶる前に、セリファーナの木剣が動いていた。
目にも止まらぬ速さで振り下ろされた木剣は、ゴードンの眼前でピタリと止まった。
ゴォッ!
遅れて、凄まじい風圧が訓練場を襲う。
セリファーナの一振りが生み出した衝撃波が、地面の砂を巻き上げ、波紋のように広がっていく。
ゴードンは、完全に固まっていた。
あと数センチ、いや、セリファーナがその気なら―
(当たっていたら、死んでいた......)
その事実が、誰の目にも明らかだった。
訓練場に、静寂が訪れた。
砂埃が収まり、二人の姿が露わになる。
セリファーナは構えを解かず、ゴードンは固まったまま動けずにいた。
「......参った」
ゴードンの口から、掠れた声が漏れた。
「え?」
セリファーナが首を傾げる。
「まだ構えただけだが?」
「構えただけ、だと......」
ゴードンは震える手で木剣を下ろした。
額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいる。
「あんたの実力は、よーく分かった。合格だ」
「本当か!やった!」
セリファーナは無邪気に喜び、俺の方を振り返ると、大きく両手を振った。
まるで子供のような仕草に、さっきまでの凛とした騎士の姿はどこにもない。
「さすが私の仲間だ。良い試験場を教えてくれた」
満面の笑みでそう言われ、俺は思わず耳を疑った。
(え?仲間?聞き間違いか?)
いつの間に俺は仲間になったんだ。
確かに手伝いはしたが、仲間になった覚えはない。
(まあ、今は訂正する雰囲気でもないし......)
とりあえず曖昧に頷いておくことにした。
受付に戻り、正式に冒険者証を受け取ったセリファーナは、改めて俺の方を向いた。
「改めて自己紹介をさせてもらおう。私はセリファーナ・ローゼンだ」
「ああ、知ってるよ。ローゼン家の令嬢でありながら騎士をやっているって話題だからな」
実際、彼女の名前は俺も聞いたことがあった。
五大貴族の令嬢が騎士になったという話は、ちょっとした騒ぎになっていたのだ。
この聖王国サンクトレアは、神託者による強力な防護結界に守られている。
外敵の脅威はほとんどなく、1200年もの間、他国との大きな衝突もなかった。
そんな平和な国で、騎士という職業は重要視されていない。
彼らの仕事といえば、結界の及ばない辺境の村や集落の警備、定期的な巡回、そして冒険者が嫌がる厄介な依頼の処理くらいだ。
給料は安く、危険は多く、名誉もそれほどでもない。
国と弱者に尽くす崇高な職業ではあるが、貴族の令嬢が選ぶ道ではなかった。
「君の名前は?」
セリファーナが尋ねてきた。
「ウェンデル・アッシュだ」
「ウェンデルか。君のおかげで無事に冒険者証を手に入れることができた。本当にありがとう」
彼女は満足そうに頷くと、早速クエスト掲示板へ向かった。
「それでは最初の依頼を選ぼう」
当然のように俺の腕を引っ張る。
「ちょっと待て!」
俺は慌てて抵抗した。
「俺はただ手続きを手伝っただけで、仲間になったわけじゃ―」
「?」
セリファーナが振り返る。
その顔は心底不思議そうだった。
「仲間じゃないのか?」
「いや、だから......」
「でも、助けてくれた」
「それは、まあ......」
「冒険者証の取り方も教えてくれた」
「それくらい誰でも......」
「一緒にここまで来てくれた」
「......」
言われてみれば、確かに俺の行動は誤解されても仕方ないかもしれない。
「違うのか......」
セリファーナの表情が、みるみる曇っていく。
さっきまでの凛とした雰囲気はどこへやら、今は捨てられた子犬のような顔をしていた。
「私はてっきり、ようやく仲間ができたと......」
肩を落とし、とぼとぼと掲示板から離れていく。
罪悪感が胸を締め付けた。
確かに俺は仲間になるなんて一言も言っていない。
でも、彼女の勘違いを訂正しなかったのも事実だ。
それに......
『仲間募集』の羊皮紙を持って、五日間も一人で立っていた姿を思い出す。
貴族の道楽だと馬鹿にされても、諦めずに待ち続けていた。
(くそ......)
俺は頭を掻きむしった。
「おい、セリファーナ」
声をかけると、彼女がゆっくりと振り返った。
「一回だけだぞ」
「え?」
「一回だけ、クエストを手伝ってやる」
セリファーナの顔が、パッと明るくなった。
「本当か!?」
「ああ」
「分かった!ありがとう、ウェンデル!」
(まあ、いいか)
俺は内心でそう思った。
セリファーナは、あの試験を見る限り俺よりも格段に強い。
一緒にクエストをこなせば、きっと俺の実力なんて大したことないと気づくはずだ。
そうなれば、向こうから「やっぱり他の仲間を探す」と言い出すだろう。