第1話 さよなら、オウス・オブザ・セブン
「ウェンデル、君はもうこのパーティには必要ない」
聖王国サンクトレアの冒険者ギルド、最上階の特別室。
王国最強と謳われる『オウス・オブザ・セブン』専用の部屋で、俺はその言葉を聞いた。
セリファーナの声は、いつもと変わらず凛としていた。
金髪を一つに結い、青い瞳で俺を見据える。そこに迷いは見えない。
「は?」
思わず間の抜けた声が出た。
つい数時間前、俺たちは王国の脅威だった竜を討伐したばかりだ。
確かに戦闘の記憶は曖昧だが、作戦は成功したはずだ。
「聞こえなかったのか?君を追放する」
リーダーであるセリファーナの隣で、他のメンバーも黙っている。
いつも明るいカイディンも、お喋りなノヴルも、優しいリアラも。
ユーリスは相変わらず無表情で、手元の書類を整理していた。
「待ってくれ、俺が何かしたのか?竜討伐で失敗でも―」
「いいから出て行け」
セリファーナの声が、部屋の温度を下げた。
これ以上の問答は無用、そう言っているようだった。
俺は仲間たちの顔を見回す。
2年半、共に冒険してきた仲間たち。
家族同然だと思っていた。
だが、誰も俺と目を合わせようとしない。
「なぜだ?」
俺は必死に声を絞り出した。
「2年半、みんなで一緒に冒険してきたじゃないか。苦しい時も、嬉しい時も、ずっと一緒だった。家族みたいなものだって、そう言ってたじゃないか」
誰も答えない。
「俺が何かしたなら言ってくれ。謝るから。直すから。だから―」
「足手まといなんだ!」
セリファーナの叫びが、俺の言葉を断ち切った。
その声には、怒りとは違う何かが混じっていた。だが、それが何なのか理解する前に、彼女は続けた。
「君は、もう足手まといなんだ。分からないのか?」
その言葉は、剣よりも深く俺の心を貫いた。
「......分かった」
これ以上、みっともない真似はしたくなかった。
俺は置いてあった自分の荷物を手に取る。
「セレニティ村だ」
部屋を出ようとした時、ユーリスが口を開いた。
彼はいつもの冷静な口調で、懐から地図を取り出す。
俺は地図を見つめた。南の平原を越えた先、王都から最も遠い村の一つ。
「......ちょうどいい」
自分でも意外なほど、素直にそう思えた。
王都にいれば、どこへ行っても『元オウス・オブザ・セブン』の肩書きがついて回る。
同情か、嘲笑か、どちらにしても耐えられない。
それに―
この街で、一人で冒険者を続ける自分を想像してみる。
ギルドで依頼を受ける時、きっとセリファーナたちと鉢合わせることもあるだろう。
同じ酒場で、あいつらが笑い合っているのを見ることもあるだろう。
(無理だ)
人生最大の、いや、唯一と言ってもいい仲間を失った俺に、もうこの街に居場所なんてない。
家族だと思っていた者たちに拒絶された場所で、何事もなかったように冒険者を続けるなんて、俺にはできない。
「宿は『陽だまり亭』がいい。マスターは元冒険者で、腕の立つ護衛を探している。君の実力なら問題なく雇ってもらえるだろう。日給は銀貨5枚、食事付きだ」
ユーリスの説明は続く。
なぜこんなに詳しいのか。まるで、俺が遠くへ行くことを望んでいるような―
「おい、ウェンデル」
カイディンが革袋を放ってよこす。
ずしりと重い。中を確認すると、金貨が30枚も入っていた。
「君の取り分だよ。ちゃんと計算したから」
ノヴルが付け加えた。
竜討伐の報酬の、正当な分配額だ。
「......ありがとう」
これ以上、この場にいる意味はなかった。
俺は背を向け、扉に手をかける。
「ウェンデル」
リアラの声が、震えていた。
振り返ると、銀髪の少女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「......達者でね」
それだけだった。
何か言いたそうにしていたが、結局それ以上は何も言わなかった。
俺は静かに扉を閉めた。
廊下に出ると、胸の奥が急に痛んだ。
何が起きたのか、まだ理解できていない。
竜討伐の後の記憶が、どうしても思い出せない。
いや、正確には竜との戦いの最中から記憶が曖昧だ。カイディンが竜の尾に吹き飛ばされ、セリファーナが必死に盾で攻撃を受け止めていた場面までは覚えている。
だが次の瞬間、俺は何をしていた?どうやって竜を倒した?
記憶の中で、ただ眩い光だけが残っている。
そして気が付いたら、ギルドの部屋で追放を告げられていた。
(俺は......何か取り返しのつかないことをしたのか?)
でも、仲間たちは理由を教えてくれなかった。
ただ「必要ない」と。
階段を降りながら、過去を振り返る。
2年半前、駆け出しの冒険者だった俺を、セリファーナは最初の仲間として選んでくれた。
「君となら、本当の仲間になれる気がする」と言って。
その後、カイディン、リアラ、ノヴル、ユーリスが加わり、俺たちは王国最強のパーティーになった。
苦楽を共にし、命を預け合い、まるで本当の家族のように―
(全部、終わりか)
ギルドの玄関を出ると、午後の日差しが眩しかった。
通りを行き交う人々は、俺のことなど気にも留めない。
つい今朝まで、王国最強パーティーの一員として尊敬されていたのに。
ふと、ユーリスが教えてくれた地図を広げる。
セレニティ村。聞いたこともない辺境の村だ。
南の平原を越えるのは、一人では少し危険だが、俺の実力なら問題ないはずだ。
もう、王都にいる理由もない。
(仕方ない、か)
俺は地図をしまい、南門へ向かって歩き始めた。
何が悪かったのか、まだ分からない。
でも、きっと俺の実力が足りなかったんだろう。
王国最強のパーティーについていけなくなった、ただそれだけのことだ。
そう自分に言い聞かせながら。
---
三日後、俺は南の平原を歩いていた。
商隊に同行させてもらい、途中まで馬車で移動できたのは幸運だった。
ここから先は徒歩で行くしかない。
「本当に一人で行くのか?」
商隊の隊長が心配そうに声をかけてくる。
「ああ、大丈夫だ」
「平原には魔物も出る。気をつけてな」
隊長の親切に礼を言い、俺は平原へ足を踏み入れた。
見渡す限りの草原が広がっている。
風が草を揺らし、波のような模様を作っていく。
平和そうに見えるが、魔物が潜んでいることもある。
(なぜセレニティ村なんだ?)
歩きながら、ふと疑問が湧いた。
ユーリスはなぜ、あんなに詳しくあの村のことを知っていたのか。
まるで、俺が行くことを前提に調べていたような―
いや、考えすぎだ。
きっと、ただの情けだろう。
さすがに路頭に迷わせるのは忍びないと思ったのかもしれない。
夕暮れ時、ようやく村が見えてきた。
木造の質素な家々が並び、畑や牧場が広がっている。
聖都と比べれば、あまりにも小さく、あまりにも静かだった。
門番もいない。
俺は特に誰に断ることもなく、村へ入った。
通りを歩く村人たちは、俺を見ても特に驚かない。
よそ者に慣れているのか、それとも無関心なのか。
ユーリスが言っていた『陽だまり亭』はすぐに見つかった。
村の中心、小さな広場に面した二階建ての宿屋だ。
扉を開けると、カランと鈴の音がした。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、恰幅の良い中年男性が顔を出す。
「一晩泊まりたいんだが」
「ああ、もちろん。一泊銀貨2枚だ。食事付きでな」
金貨を崩しながら、俺は切り出した。
「護衛の仕事を探している者もいると聞いたんだが」
主人の目が、少し鋭くなった。
「ほう、腕に覚えがあるのか?」
「......まあ、人並みには」
もう、王国最強パーティーの一員とは名乗れない。
ただの、追放された冒険者だ。
「ちょうど良かった。明日、村の外れの農場へ荷物を運ぶ仕事がある。魔物が出ることもあるんでな、護衛が欲しかったんだ」
「引き受けよう」
「助かる。じゃあ、部屋は2階の突き当たりだ。夕食は1時間後に出すよ」
部屋は質素だが清潔だった。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
(これから、どうすればいい?)
王国最強を目指していた日々は終わった。
仲間と笑い合った時間も、もう戻らない。
でも、生きていかなければならない。
この小さな村で、一人で。
窓の外を見ると、村に夕闇が降りていた。
静かで、平和で、何もない村。
(これが、俺の新しい人生か)
ため息をつきながら、荷物の整理を始めた。
しばらくして、階下から夕食の準備ができたという声がかかった。
俺は部屋を出て、一階の食堂へ向かう。
食堂には数人の客がいた。
商人らしき男、農夫の親子、そして―
「君が、ウェンデル」
突然声をかけられ、俺は振り返った。
そこには、不思議な少女が立っていた。
白銀のショートヘアが顔を柔らかく包み、透き通るような白い肌が印象的だ。
幾重にも重なる白い衣。
古い物語から抜け出してきたような、時代を感じさせない装いだった。
腰に巻かれた鎖と革紐、そこから下がる小物入れが、彼女が単なる村娘ではないことを物語っている。
17歳前後だろうか。
その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
だが、親しみやすさを装いながら、真意は霧の向こうに隠されているような―
そんな不気味さすら感じさせる笑顔だった。
「え、ああ......」
この村にも俺を知っている人間がいたのか。
王国最強パーティーから追放された男として、噂が届いているのだろうか。
急にバツが悪くなった。
「悪いが、人違いじゃないか?俺はただの―」
「ウェンデル・アッシュ」
少女は静かに俺の名前を口にした。
その瞳は、まるで全てを見通しているような、それでいて何も映していないような、不思議な色をしていた。
「......誰だ?」
「ミスナ」
それだけ言うと、少女は微かに微笑んだ。
その笑みの意味が、俺には全く分からなかった。
「楽しくなりそう」
子供のような、それでいて深い意味を含んだ笑みを残し、ミスナと名乗った少女は食堂を出て行った。
(なんだったんだ?)
釈然としない気持ちを抱えながら、俺は空いている席に腰を下ろした。
この村で、また何かが始まろうとしているのだろうか。
宿の女将が運んできた温かいスープを一口すすると、ふと、懐かしい味がした。
素朴で、飾り気のない、どこか優しい味。
(そういえば、初めてセリファーナと出会った時も、こんな気持ちだったな)
あの時の俺も、今と同じように一人だった。
特別な力もなく、ただ生きていくために依頼をこなす日々。
でも、あの日から全てが変わった。
運命の歯車が回り始めた、あの日から。
窓の外を見ると、夕暮れの空が2年半前のあの日と同じ色に染まっていた。
まるで時間が巻き戻されるように、記憶が鮮明に蘇ってくる。
ーーーー
時は遡り、2年半前。
聖王国サンクトレアの冒険者ギルド。
その日も、多くの冒険者たちで賑わっていた。
依頼掲示板の前で、一人の少女が困った顔をしていた。
金色の髪を背中で一つに結い、真新しい騎士服を着ている。
手には『パーティメンバー募集』と書かれた羊皮紙。
セリファーナ・ローゼン、17歳。
五大貴族ローゼン家の三女にして、将来を期待される若き聖騎士。
だが今は、ただの新米冒険者だった。
「今日も誰も来ないか......」
すでに募集を始めて五日。
しかし、応募者はゼロ。
(募集文が悪いのだろうか?)
セリファーナは羊皮紙を見つめる。
簡潔で分かりやすい文章のはずだが。
周りの冒険者たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「貴族様の道楽だろ?」
「すぐに泣いて帰るさ」
「付き合わされる方はたまったもんじゃない」
だが、セリファーナは全く気にしていない様子で、募集の羊皮紙を真っ直ぐに掲げていた。
周囲のひそひそ話も、どこか他の誰かの話だと思っているようだった。
「おい、お嬢ちゃんよ」
ガラの悪い冒険者が、セリファーナの前に立ちはだかった。
筋骨隆々とした大男で、酒臭い息を吐きながら彼女を見下ろしている。
「ここは甘っちょろいガキが遊びで来るような場所じゃねえんだよ。飯が不味くなるから、とっとと帰りな」
男は顔を近づけ、羊皮紙を覗き込む。
「『共に高みを目指す仲間求む』だぁ?ガッハッハ!貴族のお嬢様が冒険者ごっこか?どうせ爪が欠けたら泣いて逃げ出すんだろ?それともパパに泣きついて俺たちを処刑でもするか?」
周囲の冒険者たちが下品な笑い声を上げる。
「そもそもよ、剣なんか握ったことあんのか?その白い手じゃ、ゴブリン一匹も倒せねえだろうな。あ、そうか!男を集めて盾にする気か?さすが貴族様は考えることが違うねえ」
男はわざとらしく感心したような声を出す。
「冒険者証も持ってねえくせに仲間募集なんて笑わせるぜ。どうせ気に入らないことがあったら『私は貴族よ!』とか喚くんだろ?そんな使えねえ女、誰が仲間になるかよ」
(大変なことになってきたぞ...)
少し離れた場所から見ていた俺は、内心で緊張した。
あの男は酔っているし、手を出しかねない。
しかし、セリファーナは微動だにしない。
そして、凛とした声で言った。
「聞き捨てならない言葉があったな」
その一言で、ギルドの空気が変わった。
騒がしかった冒険者たちが一斉に口を閉じ、先ほどまで怒鳴っていた男も言葉を失った。
セリファーナは真っ直ぐに男を見据えて続ける。
「私はもう17歳だ。ガキと呼ばれる年齢ではない。今の発言を撤回してもらおう」
(......そこ?)
俺は思わず心の中でツッコミを入れた。
あれだけ貴族として、騎士として侮辱されて、反論するのが年齢のことだけ?
「はあ?てめえ、ふざけてんのか!」
男は逆上し、拳を振り上げた。
「待った待った!冒険者同士の争いはご法度だろ!」
俺は反射的に飛び出し、男の腕を掴んで必死に止める。
「ああ、そうだ!お嬢さん、冒険者証がないんだよな?俺が発行場所まで案内するよ。ほら、こっち来て!」
有無を言わさず、セリファーナの腕を引いてその場を離れた。
人気のない廊下まで来て、ようやく俺は息をついた。
なんとか大事にならずに済んだが......
正直、俺が助けに入ったのは彼女を守るためじゃない。
男が殴りかかった瞬間、彼女が腰の剣に手をかけたのを見て、慌てて止めたのだ。
「あの、さ」
俺は恐る恐る切り出した。
「俺が止めてなかったら、あの人のこと......その、殺したりとか、してないよな?」
セリファーナは驚いたように目を見開いた。
「まさか!あの程度のことで人を殺すわけがないだろう」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
しかし―
「せいぜい指を一本落とす程度だ。それで十分懲りるだろう」
彼女はさらりと恐ろしいことを口にした。
「あ......そう......」
俺は引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
(この人、普通じゃない)
でも、なぜだろう。
恐怖と同時に、妙な興味も湧いていた。
この貴族のお嬢様は、一体何を考えているのだろうか。