展示館襲撃事件
此処はララミー玩具の子ノ渡分室である。
今日は本社から専務一行が来るというので、朝から落ちつかない鳥飼分室長であった。
一階の「世界の玩具展示館」は休館中であり、当然、二階の事務室でお迎えする事となる。
佐野瓜子も浮かぬ顔だ。
「あ~あ、せっかく分室に来て心安らかに過ごしているのにな。今日は厄日だわ」
「佐野さんも専務、苦手かね?」
と、お茶をすすりながら鳥飼分室長が言った。
「あのワンちゃんはハラスメントの固まりよ。そうだ! お守り、身体にくっつけとこ」
椅子を回転させ後を向いて、瓜子はブラにお守りを挟み込む。
「さあて、末期の一服だ」
友和は煙草に火を付けると深々と吸い込んだ。
犬山専務は切れ者と名高い男で、ここ数年間続いているリストラの波も、専務の決めたガイドラインに沿って進められているという噂だ。
さて犬山専務は、腰ぎんちゃくである痩せの板池営業部長と、用心棒の巨漢、牛尻販売促進本部長を引き連れて、殴り込みのような形相で入ってきた。
見事に禿げ上がった頭の、両脇に残る丸い形の毛髪は、まるで狩猟犬のワイマラナーのようである。
犬山専務は初っ端からテンションが高い。
「早過ぎたか? 鳥飼! ──
駐車場に誰も迎えがいないから、分室はてっきり休みかと思ったよ。
ああ、いいよ、言い訳なんて聞きたくもない!
トリカイ! もうすぐ定年だから、今更へこへこお出迎えもないだろって?
そりゃそうだよな!」
やれやれといった表情の鳥飼分室長は友和にアイ・コンタクトを送る。
「我慢しろよ」と言っているのだ。
子分のイタチと牛が笑う。
「あはははは」
「佐野さん、どお? 分室は。居心地良すぎて益々太ったんじゃないの? 油断して床を踏み抜かんようにな。牛尻、本社で相撲同好会作ったら、佐野さんも必ずお誘いするんだぞ」
佐野瓜子は屈辱にわなわな震えながらも、キッと犬山専務を睨みつけた。
子分共が笑う。
「うはははは」
「よお、江守せんせい。玩具の研究、精が出ますね。──
読んだよ、久しぶりで読・み・ま・し・た。
もお、ビックリしちゃったよ。
ララミー社版『詳細玩具史』ずいぶん集めたねえ。
感心するよ。
だけどこりゃなんだよ!
七十六章から始まった『大人の玩具編』
お前、この三年間、こればっかやってるじゃないか!」
犬山専務は板池営業部長に持たせていた『詳細玩具史』のコピーをふんだくると、顔を歪めて読み始めた。
「何? 何? べっ甲張り方。──
ほうほう、湯煎にて温めし張り方を使用する場合もあった。
お湯を中に入れて人肌にして(湯タンポの如く)使用する物もある。
江戸職人の技の深淵に触れ、感じ入る次第である。
え~、続いて肥後ずいき……。
こりゃ編纂室せんせい!
お前、会社から給料貰って、いったい何やってんの?
馬鹿か!」
子分共が笑う。
「うへへへへ」
「鳥飼、お前チェックしとらんのか? トリカイ! トリカイ! トナカイに改名せい!」
鳥飼分室長が弁明する。
「お言葉を返すようですが、──
江守編纂室長は先代社長から、世界中の玩具の全種類及び歴史を、全て集めて編纂せよとの業務命令を受けとりまして、その命令は撤回された訳ではありません。
従って私は、編纂室長は職務を忠実に遂行しておると判断してきた次第です。
この事は、猫田社長におきましても……」
「わかった。うるさい! トナカイ、もういい! わあかったつうの! ──
あーあ、猫田、猫田、何かと言えば猫田。
猫、猫、猫、嫌だねえ、猫は。
とにかく、お前らの給料なんて知れてるけどな。
問題はこのビルなんだよ。
有効活用しなくっちゃな。
展示館とか資料室とか、倉庫みたいな使い方には勿体な過ぎる立地条件なんだよ。
猫田家の私有物じゃないんだからな!
会社の為にくっきりすっきりさせなくちゃな。
ところでお前ら、犬と猫どっちが好きだ?」
即座に子分共が答える。
「もちろん犬です!」
ワイマラナーは満足げに頷いてから再び尋ねる。
「犬と猫、どっちが正しい?」
イタチと牛は唱和する。
「忠実な犬、気分屋の猫。だから正しいのは犬です!」
「そうだ。だから私は今度の役員会で、この分室を廃止して駐車場ビルに建て代える案を提出するつもりだ。江守と佐野さんには勿論、駐車場の管理人をやって貰ってもいいんだよ。さあタイム・イズ・マネーだ! 早速展示館を見に行くぞ!」
一同ぞろぞろと一階の展示館へ移動する。
休館中なので裏口から入ったのだが、照明を落としている館内はいささか薄気味悪いのであった。
なおも友和にしつこくからむ犬山専務なのだ。
「江守せんせい、いっその事、トナカイと一緒に退社して、田舎で秘宝館でもやったらどうかね? 好きなだけ大人の玩具の研究が出来るぞ」
その時、友和はあのムズムズを感じていた。
お待ちかねのテレキネシスである。
──よーし、目にもの見せてくれる!
「専務、先代社長の猫田又三郎さんね、業界での通り名がありましたよね」
と友和。
「ああ、そうだ。懐かしいな。江守、お前も昔はよく働いてたよな。猫又社長の旗の下。♪ララミー、ララミー。目指すは玩具の日本一。♪ララミー、ララミー、我らがララミー! 猫又ララミー!」
と犬山専務が歌い出した。
ニッタラと笑いながら友和が尋ねる。
「猫又の意味、ご存知で?」
「意味ってお前、猫又ってようするに化け猫だろ? ……うわっ! なんじゃこりゃ! よせっ! やめろ! キャ! キャ! キャイーン!」
犬山専務は人間離れした叫び声をあげて、イナバウアーのようにのけ反った。
なんと、アンティック・ドールが、犬山専務の顔に、逆さまの格好でペッタリと張り付いているではないか。
宙に浮いているその人形の長い髪の毛は、サワサワと不気味に波打っているのだ。
のけ反った犬山専務の後ろにいて、驚いた巨漢の牛尻本部長は、どしんと尻餅をついた。
その大きな尻の下敷きになったのが、なんと、超高級アンティック・オート・マタ(自動人形)であった。
無惨に破壊されたオート・マタは、ギチギチと不気味な音を奏で、不恰好な踊りを繰り返している。
友和は、後輩であるこの上司、牛尻販売促進本部長に話しかける。
「おいおい牛尻、このオート・マタ、1億は下らない代物だぜ」
鳥飼分室長が追い打ちをかける。
「えらい事をしでかしてくれたねえ」
みるみる牛尻の顔は青ざめ、身体中がぶるぶると震え出した。
更に瓜子が追い打ちをかける。
「あー! めちゃくちゃにしてえ! ──
このオート・マタ、まだ保険入ってなかったのよ。
牛尻本部長、あなたが、ぐずぐずとOKしてくれなくって」
「わひっ!」
と牛尻が叫んだ。
「……これは絶対に先代、猫又社長の祟りだわね。
こうなったらもう。一生かかって弁償するしかないわね」
と瓜子。
牛尻販促本部長は、尻餅をついたままジョワ~と大量に失禁した。
そしてめそめそと泣き出した。
全てのオルゴールが鳴り響く中、全ての人形が不気味に踊り出した。
館内照明もディスコのストロボライトのように小刻みに点滅する。
犬山専務はアンティック・ドールを顔から引き離そうともがいている。
人形のスカートをビリビリと破り、更には手や首をブチブチと引き千切ってほうり投げるのだが、すぐさま別の人形がぺったりと張り付いてくる。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
「ちっくしょう! 何なんだあ! 離せ! 離してくれー!」
床には、ちぎれた首や、手足や胴体が無残に散らかっている。やがてその残骸は、犬山専務の周りを、つむじ風のようにぐるぐると飛び回り、身体中にぺたぺたとくっついていく。
「キャンキャンキャイーン!」
最後尾を歩いていたイタチ営業部長は、持ち前の勘の良さ故にか、本能的に異変を察知して、素早く裏口のドアノブに跳び付いた。
しかし、鍵をかけた訳でもないのにドアは固くロックされており、びくともしない。
裏口のあたりにはララミー社製の玩具が陳列されていた。
男の子が喜んで遊んだ超合金の合体ロボである。
三十センチ程の大きさの物で、金属の重量感が人気の玩具である。
これがイタチ部長めがけて三十個ばかり降り注ぐ。
──ドドドドドーン
「わぎゃぎゃぎゃー」
タンコブとアザだらけになって昏倒したイタチ部長をめがけて、今度は、戦車とか鉛の大砲が並んでいるスチール棚が、ゆっくり倒れていった。
「わひっ! 猫又社長、許してー!」
イタチの断末魔である。
数日後、インターネット社内報を見て、分室の3人は腹を抱えて大笑いとなった。
『犬山専務一派の展示館襲撃事件の顛末』とタイトルがつけられていた。
日頃から最近の若者は行動力が乏しく、能書きだけは一丁前だ。
と深く憂いていた犬山専務(五十八さそり座)は、専務を慕う牛尻販売促進本部長(四十五おうし座)と板池営業部長(四十七てんびん座)と共に、日頃から採算性に問題有りと力説していた子ノ渡分室(ララミー世界の玩具展示館)を、業を煮やして襲撃したのです。
その結果、分室社員に取り押さえられるまでの間に、犬山はアンティック・ドール十五体(三千万円相当)をバラバラに引き千切り、牛尻は世界的美術品でもある超高級オートマタ(1億円相当)を破壊。
板池はララミー社製合体ロボとミリタリー・コレクション・シリーズ(十六万五千円相当)に傷を付けたのです。
現在これらの玩具の所有権を持つ猫田家との訴訟を控え、警察の取り調べを受けています。
確信犯にしては余りに幼稚な手口である事から、隙を見て放火するつもりではなかったか? との噂が、社内では囁かれています。
なお、板池は倒した棚に陳列してあった当社製の、合体ロボとミリタリー・コレクション・シリーズの下敷きとなり、全身打撲で入院中です。
日和杜松美常務の談話。
犬山をはじめ3名のこの襲撃行為は、一会社だけの問題に留まらず、日本人として、いや、人間として最低の、唾棄すべき行為に他なりません。
何故なら、この、身勝手で歪んだ自己主張こそが、現在、世界中が最も怖れるテロリズムそのものだからです。
暫くの間、噂の分室を見る為に、本社の人間が引きも切らずにやってきたのであった。
資料編纂室長・江守友和 終わり