『ララミー玩具』の子ノ渡分室
ジャック・ルビーのマスターは苛立っていた。
常連の小野寺善行や江守友和や谷垣が、義妹の始めたバー『オズワルド』へ流れてしまって、滅多に顔を見せなくなったからだ。
アルバイトバーテンのロリ山田に、ぐちをこぼしている。
「あーあ、ここんとこ、すっかり暇になっちゃったな。誰もこない、誰もいない。あはははは」
常連客だったロリコンの山田君は、現在ジャック・ルビーでアルバイトをしていた。
ロリ山田とは、小野寺善行がつけたあだ名で、今はすっかり定着している。
ロリ山田が慰めている。
「元々めちゃくちゃ暇な店でしたからねえ。それにしても小野寺さんも冷たい人だね、前は週に3日は来てくれたのに」
マスターは棚のボトルの埃を、一本づつ拭いている。
「まあ本来ならば、小野寺さんはサラリーマンだった頃ならともかく、今は同業者だもんなあ。つまり商売がたきなんだ。……『ロマーノ』の筋の客を流してくれてるだけでも有り難い事なんだ。それにしても、こうまで皆さん小野寺筋だったなんて、ちっとも気がつかなかったよ」
「あーあマスターは、一見客には冷たいからなあ。それと、酔っ払うと平気で客の秘密バラしちゃうしなあ」
「なんだか俺が、商売人失格みたいな事、言うじゃないか。あ、いいんだ、分かってるんだ。何も言うな、山田君。……向いてないんだ俺は、分かってるんだ。……どうせ婿養子なんだ。潰れる前に、この店、畳んで、『J・F・K』にでも行って、意地悪ババアと冷たい女房に虐められながら皿洗いでもするのが分相応だって……」
マスターの奥さんは、新子ノ渡駅前で母親と一緒に、もっと若者向きのバブ『J・F・K』を営業していて、結構繁盛していた。
ロリ山田は呆れ顔だ。
「わっかりましたよ。もう。電話かけますよ。小野寺さんは仕事中だし、江守さんでいいですね?」
「仕方がない、江守でいい。うん、江守友和でいいから。頼むよ」
ロリ山田は友和に電話をかけた。
文太橋の、喫煙所があるたもとの、対岸である西側のたもとの『おでんの屋台』で、一杯やっている友和であった。
携帯越しの友和である。
「どうせ暇なんだろ? ロリ君。おでん食べにこいよ、おごってやるから。ちょっとマスターに代わってくれ」
「あ、どうも江守さん、ジャックです。ご無沙汰で」
友和はすでに酔っ払っているようだ。
「おいマスター、どうせ暇なんだろ? たまには出てこいよ。ロリと二人でさ。ここのおでん旨いんだよ。決算賞与出たから、たまにはおごってやるよ」
こんな時、怠け者の、にわかマスターの小野寺善行なら、喜んで飛んで来るに違いないのだが、やはりジャックのマスターにはプロ魂がある。
「いやあ、私はやはり商売ですから、勝手に閉める訳にはね。せっかくのお誘いですから山田君そっち、やりますんでよろしく。江守さん、ウチにも後で、必ず来て下さいよ」
「ああ、ひっく、もったいつけてないで、さっさとロリよこせ」
仏頂面になったマスターが言う。
「なあ山田君、最近の江守さんの、あの、もの言い、な。傲慢無礼だよなあ」
ロリ山田は元々常連客である。だから常連仲間の身体が心配なのだ。
「江守さん、酔いが早くなってますね。身体が心配だな。超特急で酔っ払いになるのは危険な兆候だって……」
「山田君、余計な事言うんじゃないぞ! 江守さんにゃ、まだまだ飲んでもらわなくちゃ困るんだ」
「まったく、どっちが無礼なんだか? この因業マスター!」
切り替えの早いマスターであった。
「いってらっしゃい。お土産のおでん忘れんなよ! ハンペンは入れなくていいから大根とゲソ揚げは必ず入れてくれよ。それと、ごぼう巻きもな」
帰ってきた友和である。
この世界が厳密な意味で、元の世界かどうかは友和にも解らないのだが、まあ、おおむね同じでいいではないか。
少なくても善行は携帯小説を書いているし、ナミちゃんはオカマのままだし、会社もロマーノもジャック・ルビーも、冷たいまりもちゃんも、そのままであった。
しかしその懐かしの世界とは、二十年以上前に、結婚生活三ヶ月も経たずに破局を迎えた、バツイチと言うのもはばかられる、長ーいチョンガーライフに戻ってくる事をも意味していた。
ところで、新子ノ渡に住んでいる友和が、何故いつも子ノ渡で飲んでいるのか?
会社が子ノ渡にあるのだ。
株式会社ララミー玩具の本社は都心に在るのだが、子ノ渡市には分室があった。
元々、ブリキやビニールの玩具を作る町工場だった頃の、社屋の跡地に建てられた、小さいながらも結構立派なビルである。
その後、ゲーム・ソフトや、パソコンで作動するロボットの玩具などで業績を上げたララミー玩具は、今や上場企業となり、本社も都心のビルに移転したのだった。
子ノ渡分室は、別名『ララミー・世界の玩具の展示館』と言って、一般公開もしていた。
今は亡き創業者の、先代、猫田又三郎社長のコレクションである世界の玩具が、ララミー社の玩具と共に展示されている。
先代社長は通称、猫又社長と呼ばれていた粋人で、友和を可愛がってくれた。
その玩具のコレクションは猫又コレクションと呼ばれ、世界的にも有名であった。
分室ビルの中には『資料編纂室』が有り、友和はそこの室長なのだ。
もっとも、分室にはララミー社員は三人しかいないのだったが。
定年間近の、小さくてしなびた鳥飼日出男。この人が分室長であり、展示館の館長も兼ねている。
そして、資料編纂室長の江守友和。
それから、OLの佐野瓜子。彼女は唯一パソコンが使えた。
瓜子は友和よりも5センチ身長が高い176センチで、体重120キロを越える巨漢女である。
記憶力の抜群に良い、独身で三十路のおデブちゃんだ。
さて、一階の玩具の展示館なのだが、これは実質的には先代猫又社長夫人である珠美未亡人の管理下にあり、週四日の開館日には派遣会社から専門の女性二人が出勤して来る。
開館時間中の鳥飼は、モギリのおじさんとなって、暇な館内の管理をするのだが、鳥飼の都合によって、或いは稀に、忙しくなった時などには、友和も瓜子も展示館の仕事を手伝っている。
筋金入りのメルヘンおばちゃんである珠美未亡人はめったに来ないのだが、ハロウィンとかクリスマス・イブとか節目節目に現れては、猫又コレクションに囲まれながら、今は亡き夫を偲ぶのだ。
それから、セキュリティ会社から出向していて、展示館の中のブースに常駐している、ガードマンの小森のおじさんがいるのだ。この人は、鳥飼分室長の茶のみ友達といったところだ。
このメンバーならではなのだが、分室は毎日しめじめと、お通夜のようであった。
更にこの分室には、たまにリストラ要員が飛ばされて来るのだが、三ヶ月を経ないで辞めてゆくのが常だった。
リストラ部屋としての威力は抜群なのである。
本来、友和自身もリストラ候補者として、本社からこの分室に異動して来たのだったが、天性の鈍さと楽天的な性格が幸いしたのか? こうして居座っているのだった。
もっとも、友和は知る由もないのだが、大株主である珠美未亡人が、息子である猫田社長や、実力者の犬山専務のリストラから、夫の子飼いの部下であった鳥飼や友和を、影に日に守ってきた事も事実なのである。