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01-06

 唐突に知らされた父親の死。

 つい前日まで話をしていた肉親の死を、チヒロがすんなりと受け入れられる道理はなかった。


「いやいや、そんな馬鹿な。何かの間違いでしょ……」


 今にも消え入りそうな声。

 チヒロは僅かに肺に残った空気を絞り出し、呼吸を取り戻す。


「間違いなんかじゃないわ。死んだわよ、アイツ」


 母親は淡々とした口調で、飄々と切り返す。

 片やチヒロは前のめりになり、卓上のスマホを両手で握り締める。


「だって、父さんとは昨日も電話で話をしたし、そんな急に死ぬなんてことあり得る? 悪い冗談はよしてくれよ」


「ふーん、アンタ、アイツと電話したんだ。私、アンタに、アイツと連絡取るなって言ってあるわよね?」


 チヒロは母親に、父親との連絡を禁じられていた。

 それは教義による禁則事項でもあり、母親の私怨によるものでもあった。


 感情に駆られ、教義を破ったことをうっかり暴露してしまうチヒロ。

 しかし今は、そんなことを気に留めていられないほど頭に血が上っていた。


「そんなことはどうでもいいんだよ。父さんが死んだって、なんでさ? いつ? どこで? どうやって?」


 チヒロは自分の心臓の鼓動が速く、大きくなるのをありありと感じる。

 まるで全身の血管が強い自我を持ったかのように、強く、熱く脈を打つ。


「アンタ今、そんなことって言った? どうでもいいって言った? イルミンスールの神を冒涜し、離別した家族は家族に非ず。一切の便りを断つべし。この教義を破ったアンタが悪いのに、なに逆ギレしてんのよ? 謝りなさい」


 母親に真っ向から抵抗するなんて、いつ以来だろうか――?

 と、チヒロの頭の中で理性が囁き、怒り任せの衝動がそれを掻き消す。


「……謝ってほしかったら、父さんについて教えてくれ」


「教えてほしかったら、まずは謝りなさい」


 無言。

 そして、長い沈黙。


 電話越しに牽制し合う親子。

 両者の荒い息遣いをスマホのマイクが拾う。


 呼吸を整え、先に口を開いたのはチヒロであった。


「……ごめんなさい。すみませんでした。俺が悪かったです。反省しています。なので、父さんが死んだことについて教えてください」


「アンタ、本当に反省してんの? 口だけなら何とでも言えるわよ?」


 チヒロは再び体内の血が一気に巡るのを感じたが、歯を食いしばり、怒りをぐっと堪える。


「ビデオ通話に切り替えなさい」


 母親に言われるがまま、チヒロはビデオ通話のボタンをタップする。

 スマートフォンのインカメラが起動し、画面に映し出されたのは鬼の形相をした母親と自分の顔。


「頭を下げなさい。誠意を見せるのよ」


 チヒロはカメラを壁に立てかけ、後ろに数歩下がり、ゆっくりと頭を下げる。


「……反省しています。間違っていたのは俺の方です」


「誠意が足りないわ。もっとちゃんと謝って」


 膝、両手、額を床につき、土下座をするチヒロ。


「……誠に申し訳ございませんでした」


「神に誓って?」


「神に誓います」


「――まぁいいわ、今回は特別に許してあげる。二度と教義に反することのないように。もしまた私に歯向かったら許さないわよ?」


「はい」


 額を床から離し、頭を上げるチヒロ。

 しかし、体勢はそのままである。


 これは昔からの桜田家での慣わしであった。

 母親からの許しが下りるまで、チヒロは体を動かすことが出来ないのである。


 幼少の頃からチヒロの心の奥底に蓄積された、どろどろと渦巻くドス黒い感情。

 その濃度と純度が一段と高くなる。


「――で、何だっけ? あぁ、そうだ、アイツが死んだって話よね。そうそう、アイツ死んだのよ、昨日。自殺だって。今日の昼にイルミンスールの弁護士から連絡が来たわ」


「自殺、ですか?」


「自宅で首吊ったんですって。それを再婚相手の子どもが見つけたとかで。それもまた可哀想な話よね。何かねぇ、すごく借金してたみたいよ。闇金にも手を出してたらしいわ」


「借金……」


「そう、借金。アンタの養育費で首が回らなくなってたんじゃないかって弁護士は言ってたわ。そこら辺の支払いはアンタが大学を卒業するまでの約束だったから、あともうちょっと頑張れば良かったのにね」


 俺のせいか――?

 俺のせいなのか――?


 そう思ったチヒロの心に、自責の念が芽生える。


「やっぱり神を信じないと人間こうなるのよ。きっと罰が下ったんだわ。間違いないわよ、絶対。だってアイツ、私と別れる時にね、私とイルミンスールをこれでもかっていうくらい馬鹿にしてから家を出て行ったの。今でも昨日のことのように思い出せるわ」


 母親の恨み節がチヒロに追い打ちをかける。


「だから良い気味よね。私にとっては素晴らしい知らせだったわよ、アイツの訃報。心がスッとしたわ」


 チヒロは茫然自失となり、返す言葉が見つからない。


「ちょっと、チヒロ。アンタ、ちゃんと聞いてるの?」


「……あ、はい」


 振り絞るようにして相槌を打つチヒロ。


「ちゃんと返事くらいしなさいよ。人が話してるんだから。アンタが聞きたいって言うから、こっちは一生懸命話してるんじゃない」


「……ごめんなさい」


「ったく……。で、明日がお通夜で、明後日が告別式らしいんだけど、アンタ行っちゃ駄目よ」


「……駄目ですか?」


「だってイルミンスール式じゃないんだもの、当たり前じゃない。イルミンスール以外の宗教は全て邪教なんだから」


「……そうですね」


「アンタ、しばらく帰らないうちにかなり教義を忘れてるんじゃない? ちゃんと教典読んでるの?」


「読んでます」


 読んでねぇよ――。


「毎日欠かさず神に祈ってるでしょうね?」


「祈ってます」


 祈ってねぇよ――。


「ならいいわ。それがアンタのためなんだからね。忘れるんじゃないわよ。それじゃ」


 通話が切れる。

 途端、チヒロは立ち上がり、スマートフォンを拾い上げて壁に思い切り投げつけた。


 鈍い衝撃音が部屋に響き、勢いよく床に転がり落ちる。

 壁には小さな穴が空き、画面には大きなヒビが入った。

Satie / Gnossienne No.5

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