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01-05

 無言のチヒロを差し置いて、母親は話を続ける。


「面接は明後日の午後二時からだからね。会社の場所とか詳しい仕事内容とかは後でメッセージで送るから、ちゃんと確認しておきなさい。口利きでの面接だから形ばかりにはなるけど、だからといって気を抜かず、先方に失礼のないよう、しっかりとした格好で行くのよ。いいわね?」


「……はい、分かりました」


 息子の意思などお構いなし。

 急な話だと思いながらも、暴走状態に入った母親を止める術をチヒロは持たない。


 こうなってしまった以上は致し方なし。

 返事とは裏腹にチヒロは、如何にして面接を辞退するかを考えていた。


「それと、こっちに帰って来たら本部での会合に出席しなさい。面接の後、夜にあるから」


「会合――」


 地元にあるイルミンスール記念会館で催される会合では、信者が集い、祈りに始まり、教祖と信者によるスピーチと勉強会が行われ、祈りに終わる。

 会合は全国の各支部でも開催されるが、記念会館での会合は特に規模が大きい。


 大人数が参加し、法人の幹部も顔を見せる。

 信仰心の無い二世信者であるチヒロにとっては、この上なく退屈で無駄な時間であった。


「ちょっと、その日はバイトがあって……」


 チヒロは苦し紛れに逃げ道を提案する。

 しかし、それは虚しい抵抗であった。


「アンタねぇ、バイトと会合どっちが大事なの? 会合に決まってるでしょ!」


「……そうですよね。すみません」


「そう、会合優先。バイトなんか休みなさい。なんならいっそ辞めちゃったら? どうせこっちに帰って来るんだから」


 ふざけんな、勝手に決めんな。

 そう吐き捨てたい気持ちをチヒロは必死に抑える。


「……じゃあ、とりあえず、その日は休みます。辞めるのは店長に相談してからじゃないと、何とも」


「たかがバイトなんだから、ちゃちゃっとバックレちゃえばいいのよ。馬鹿ねぇ。ま、そんなくだらないことはどうでもいいわ。なんと、今度の会合の〈ラタトスク〉代表スピーチはね、ヒカリが話すことになってるのよ。妹の晴れ舞台を見ないなんてね、アンタ家族失格よ?」


 イルミンスールの信者は自分たちのことを「ラタトスク」と称している。


「……へぇ、それはスゴい」


 母親に対する不快感はさて置き、チヒロは妹のヒカリに対して素直に感心する。

 会合のスピーチで信者代表として選出されるのは、余程の優秀な人間か、イルミンスールへの貢献度が格別に高い人間に限られるからである。


「そうなのよ、すごいのよ。アンタなんかと違って」


「……ははっ、まったくもって」


 チヒロは昔から、ことあるごとに優秀な妹と比べられてきた。

 しかし、誰の目から見ても明らかに妹は圧倒的に優れた人間であった。


 文字通りに、眉目秀麗。

 頭も性格も良く、誰に対しても分け隔てなく優しい。


 兄としてチヒロは、そんな妹の存在を誇りに思い続けてきた。

 故に、自分が貶められることには慣れており、妹に対する妬みや嫉みなどの感情が湧くことはなかった。


「実はね、今年の秋から海外の大学に入学することになっているのよ。本当にあの子は天才だわ。そして、それが教祖様にも認められてスピーチすることになったってわけ」


「……なるほど。海外の大学だなんて、思いもよらなかったな」


 浮かない表情を浮かべるチヒロ。

 想定外の妹の進路に困惑する。


「何よ、リアクション薄いわね。アンタももっと喜びなさいよ」


「いやはや、国内の大学に進学するものだとばっかり思ってたからさ、驚いちゃって……」


「そんな小さいスケールに収まる子じゃないのよ、ヒカリは。世界に打って出て、イルミンスールの未来を背負って立つ子なんだから」


「……そうだね」


 チヒロが就職活動の時期を敢えて遅らせていたのには訳があった。

 大学への進学を機に実家から出るであろう妹のヒカリを自分の部屋に住まわせ、母親から引き離した上で棄教させようと目論んでいたのである。


 そのためにチヒロは勤め先を決めるより前に、ヒカリの進学先を知る必要があった。

 ヒカリの通う学校から近い場所に就職し、賃貸を借りるために。


 妹には自分のように、宗教絡みのいざこざや金銭的な苦労を味わってほしくはない。

 それこそがチヒロの兄としての強い願望であり、実家に帰ることを渋るもうひとつの理由であった。


「……ところでさ、海外の大学って学費が高いんじゃない? 物価も高いだろうから生活費も馬鹿にならないだろうし、やっていけるの?」


「それなら心配ないわ。何から何までイルミンスールから補助金が支給されるから。将来有望な若者をサポートする〈神の子〉制度の審査を通過したのよ。今やヒカリは神に選ばれし子なの」


「……なるほど」


 今までの献金が丸々返って来たとして、ヒカリへの補助金とどちらの金額の方が高いだろうか。

 チヒロの頭にうっすらとそんな考えが過ぎるが、虚しくなり考えるのを止めた。


「……それは本当に誇らしいことだね。会合、楽しみにしているよ」


「そうね、私も楽しみでしょうがないわ」


 これにて話題が一段落。

 ここで切り良く通話を終わらせよう思ったチヒロであったが、母親の話は続く。


「しかし人生ってのは不思議なものよね。悪いことが続くかと思えば、逆に良いことが続いたりしてさ。最近は嬉しい知らせばっかりよ」


「……ヒカリの進学とスピーチの他に何か良いことでもあったの?」


 仕方なく母親の話に付き合うチヒロ。


「今日ね、アイツがね、死んだんだって」


「……アイツ? アイツって、誰?」


 アイツが死んだ?

 急に何の話だ?


 そう思ったチヒロの胸はざわつく。

 嫌な予感しかしない。


 母親が「アイツ」と呼ぶ相手は、この世でたった一人である。

 それを分かっていながらもチヒロは、「アイツ」が誰なのかを確認する。


「誰って、そりゃアンタの父親に決まってるじゃない」


 チヒロの呼吸が止まる。

 一瞬にして息の吸い方と吐き方が、チヒロには分からなくなってしまっていた。

Satie / Gnossienne No.4

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