01-10
大ホールの収容人数は約千人であり、建物同様、凝った造りになっている。
席は全て信者で埋まり切っており、老若男女が顔を並べていた。
ステージの上には演台とマイク、豪華な装飾の椅子が四脚置かれ、奥にはパイプオルガンがそびえ立つ。
相変わらず悪趣味だな、と場内に入ったチヒロは思う。
ヒカリが壇上でスピーチをし、チヒロが花束を渡す都合上、桜田家の席は最前列に用意されていた。
チヒロとヒカリが着く頃には、既に母親のチヨコが着席していた。
チヨコは二人の気配に気がつき振り返ると、三白眼でチヒロを睨みつける。
「遅かったじゃない。何をしていたのよ。メッセージも返って来ないし」
「すみません。ここには昼のうちに着いていたんですが、うっかり待ち合い用のソファで寝落ちしちゃいまして」
チヒロも、不機嫌を露わにするチヨコに負けず劣らずの無表情で返答をする。
「久しぶりに顔を出したかと思えば、馬鹿な子。しばらく見ないうちに、また一段とアイツに似てきたわね。時間にルーズなところとか、見た目もそう」
父親を話題に出され、一瞬どきりとするチヒロ。
いつでも嘘をつけるよう、平静を保つように心を落ち着かせる。
「父さんに、ですか?」
「そうよ。顔だけはイイのよね、アイツもアンタも。中身はからっきしだけどさ。てゆうか、まさかアイツの葬儀に行ってないでしょうね?」
「行ってませんよ。教義ですから」
「あらそ。ならいいわ」
チヨコの話が途切れたタイミングで、チヒロとヒカリは席に座る。
チヒロが花束を膝の上に乗せると、チヨコがそれを一瞥する。
「アンタ、その花束、何?」
「何って、ヒカリに渡す花束ですけど」
「ほんと馬鹿な子ね。花束はもっと豪華な物をこっちで用意してあるわ。そんな見窄らしい花束、壇上で渡せる訳ないでしょう。みっともない。私とヒカリをラタトスク中の笑い者にする気? 今日はね、教祖様もご家族でいらっしゃっているのよ。私に恥をかかせないでくれるかしら」
「……そうですか。分かりました」
チヒロは花束を座席の下に置く。
誰にも気がつかれないよう、密かに花束の中から折りたたみ式ナイフを取り出した上で。
「まったく。二十二歳にもなってこれじゃあ、先が思いやられるわ」
「すみません」
「教祖様の御子息もね、アンタと同じ二十二歳よ。ただし、比べるのも失礼な程に、人間としての出来には雲泥の差があるけどね。アンタは泥よ、泥。同じなのは年齢くらいのもんだわ」
「……泥で申し訳ございませんでした」
チヒロはうんざりしながら溜め息を吐く。
腕時計を見ると時間は午後七時。
会合開始の予定時刻である。
周りを見渡すとホール内の席は信者で埋まっていた。
照明がゆっくりと落ち、客席側が暗くなる。
壇上は明るいまま。
ステージの上手側から老いた男性が歩いて登場し、舞台の中央で止まると、深々と頭を下げてからパイプオルガンの椅子に座る。
続いて下手側から教祖である藤原ナユタが、笑顔で手を振りながら登場する。
場内から沸き起こる拍手。
ナユタに続き、妻のナミ、長男のルイ、次男のカオルが登場し、椅子の前で立ち止まる。
演台の前にナユタが立ち、マイクの電源を入れると、拍手が止んで場内は静まり返る。
ルイと同様に黒のマオカラージャケットを着た初老の男である。
体型は長身の痩せ型。
真っ白な髪は長く伸ばしており、後ろで結いて腰まで垂れている。
「ラタトスクの皆さま、こんばんは。今宵は会合にご参加いただき、誠にありがとうございます」
頭を下げるナユタ。
場内に再び沸き起こる拍手。
「さて、早速ではありますが、皆さまとの会合を祝しまして歌を歌いましょう。ご起立出来る方は、どうぞご起立ください」
客席の信者が一斉に立ち上がる。
一拍遅れてチヒロも立ち上がる。
「車椅子の方、足の悪い方、体調のすぐれない方はどうぞそのままで。座ったままのご唱和で結構です」
念入りに気遣いの言葉を信者に投げかけるナユタ。
「声を出すことがお辛い方は、心の中で歌ってください。神は、我々の心の声にも耳を傾けております故」
ナユタが話し終えると、静寂が場内を支配する。
そして、老いた奏者によるパイプオルガンの演奏が始まる。
ゆっくりとした、優しく厳かな前奏。
イルミンスールが会合の際に必ず歌う讃美歌である。
曲名は〈スマイル〉。
全ての負の感情は幸せの副産物であり、最後まで笑顔でいられた者こそが神に愛され、救われるといった内容の歌詞である。
チヒロは、この曲が嫌いであった。
昔から欺瞞に満ちた歌詞であると思っていたからである。
約二分の曲を歌い終えると場内は三度、拍手で満たされる。
「皆さまの素敵な歌声は、イルミンスールの神の元に届きました。皆さまの素敵な笑顔は、今もイルミンスールの神が見ていらっしゃいます。そして神はこう仰言っていることでしょう。純粋で、無垢で、美しく、素晴らしい歌でした――、と」
ゆったり、はっきりとした話し方。
通る低い声色。
穏やかな表情。
しなやかな仕草。
そのどれもがナユタの言葉に説得力を与えていた。
これが一代で巨大な宗教法人を作り、育て上げた男のカリスマ性である。
「それでは今から、私を通して神の言葉を皆さまにお届け致します。どうぞご着席ください。ご静聴いただければ幸いです」
ナユタの言葉に従い、信者は着席する。
壇上の藤原一家も椅子に座った。
目を閉じたナユタは先ほどより一層ゆっくりと話し始める。
教祖による説法の時間である。
説法は三十分ほど続いた。
愛とは何ぞや。
幸せとは何ぞや。
人とは何ぞや。
神とは何ぞや。
祈りとは何ぞや。
概ね、そのような内容のものである。
ナユタが話をしているのを余所に、チヒロは別のことに意識を集中していた。
それは、袖の内側に忍ばせたナイフ。
その輪郭、重さ、冷たさを手首で感じながら、静かに時を待つ。
T Y M / Smile