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01-09

 翌朝、日も昇らぬうちにチヒロはスーツに着替えて身支度を済ませると、家を出る。

 数日分の着替えを入れたボストンバッグと、面接に赴く用のフォーマルな鞄を持ち、始発の電車に乗る。


 電車とバスを乗り継ぎ、約四時間の移動。

 着いた駅のロッカーにボストンバッグを預け、チヒロは面接先の会社へと向かう。


 その会社は製鉄業を営んでおり、募集の仕事は事務職。

 特段、高いスキルを求められるようなことはない。


 母親の言っていた通り、面接はごくごく形式的なものであり、卒のないやり取りをしてあっさりと終了した。

 駅に戻る道中チヒロは花屋を見かけると、そこで花束を購入する。


 ロッカーからボストンバッグを回収し、タクシーに乗るために駅の外に出ると、募金活動をしている若い男と一匹の犬が目に入った。

 男が手に持つ看板を見ると、恵まれない犬に対する同情を訴えかける文言と、殺処分反対という文字が書かれている。


 そしてその横には、動物愛護を推進する国会議員の顔写真が貼られていた。

 不意に、男の足元にいる白いラブラドールと目が合うチヒロ。


「幸せになれよ」


 チヒロは誰にも聞こえないような声で小さく呟き、上着のポケットに手を突っ込むと、手持ちの現金を全て取り出して男の横にある募金箱に入れる。


「ありがとうございます!」


 男に礼を言われたチヒロはラブラドールの頭を撫でて、歩き始める。

 行き先は街から離れた小高い山の上。


 二時間ほど歩き、イルミンスール本部の記念会館に辿り着く。

 敷地の入り口に到着すると、立派な門の脇にある守衛室の警備員にチヒロは話しかける。


 イルミンスールの信者であることの証明書を提示し、入館手続きを済ませたチヒロは、守衛室の前を通り抜けて正門の内側へと入る。

 開けた敷地は実に広大であり、綺麗に整えられた庭を眺めながら石畳の歩道を歩く。


 池や噴水、石像や前衛的なモニュメントがあり、それらはチヒロの目を飽きさせない。

 途中、一人の青年の姿がチヒロの目に留まる。


 歳の頃が同じくらいの、おかっぱ頭の青年である。

 黒のマオカラージャケットを着た端整な顔つきの青年は噴水の縁に座り、優雅に水面を眺めていた。


 チヒロの視線に気がついたのか、青年もチヒロの方を見やる。

 二人の目線が交わると、チヒロは青年が何者なのかを思い出す。


 藤原ルイ。

 イルミンスールの教祖である藤原ナユタの第一子であり、次代の教祖として信者に崇められている男だ。


 チヒロは数年前に参加した会合でルイの姿を見たことがあった。

 しかし特に関わりがある訳でもなかったので、チヒロは視線を外して歩き続ける。


 十分ほど歩くと、チヒロは記念会館に辿り着いた。

 荘厳な雰囲気の巨大な建物である。


 自動扉を抜けると、中は外観以上に綺羅びやかな造りになっていた。

 広いホワイエの天井は高く、シャンデリアが辺りを明るく照らす。


 床一面が大理石。

 凝ったデザインの壁紙に、色彩豊かなステンドグラス。


 誰が見ても大金が注ぎ込まれていることが分かるほどに豪華な内装である。

 それらは全て、宗教の規模の大きさと、献金の額の大きさを暗に示すものであった。


 また、要所要所には椅子やソファが置かれており、信者が寛いだり談笑をしている。

 その内のひとつにチヒロは座ると、荷物を置き、背もたれに上半身を預けてゆっくりと目を閉じる。






「お兄ちゃん。お兄ちゃんってば」


 肩を揺すられ、チヒロは目を開ける。

 窓から外を見ると既に日が暮れ、ホワイエにいる信者の数が増えていた。


 思っていた以上に疲れていたのか、チヒロは二時間ばかり眠ってしまっていた。

 目を擦りながら見上げると、そこには妹のヒカリが立っていた。


「ヒカリか。久しぶりだね」


「久しぶりだね、じゃないわよ。こんな所で寝ないでよね。恥ずかしいから」


 ヒカリは頬を膨らませ、両手を腰にあててチヒロに怒る。

 喋り方こそ母親に似ているが、不思議と他者に威圧感を与えない柔和な雰囲気を持つヒカリのことが、チヒロは好きだった。


 高校の制服であるブレザーを着た三編みの美少女。

 胸元には花とリボンを着けている。


 会合でスピーチをする人間の証である。

 ヒカリに会い、久しく笑顔を浮かべていなかったチヒロの口角が自然と上がる。


「ちょっと、なに笑ってんのよ。久しぶりに会ったと思えば、失礼ね」


「いやいや、久しぶりに会ったからだよ。つい嬉しくなっちゃって。ごめんごめん」


「その調子で、私のスピーチ中に寝ないでよね。今日は教祖様が、ご家族全員でいらっしゃるんだから。私に恥をかかせないように」


「大丈夫だよ。お陰で目が覚めた。ところで、母さんは?」


「ママならあちこち挨拶回り。会合が始まるギリギリまで来ないんじゃないかしら?」


「そっか。母さんらしいや」


 チヒロの笑顔がニヒルなものに変わる。

 ソファから立ち上がり荷物を持つと、チヒロはヒカリと共に歩き始める。






 大ホールの控室に移動した二人。

 控室はステージ上手側の通路にあり、広さは十畳ほどである。


 椅子、机、化粧鏡、本棚が設置されており、さながらテレビ局の楽屋のような造りの部屋となっている。

 本棚にはイルミンスールの教祖である藤原ナユタの著書がずらりと並んでいた。


「広いな。ここ、好きに使っていいのか?」


「そうらしいよ」


「流石、海外の大学に進学するエリート様は扱いが違いますな」


「嫌味はいいから荷物を置いて。さっさと席に行くわよ」


「せっかくだから、もっとゆっくりすればいいのに。テーブルの上、お菓子とかあるよ」


「御生憎様。どこかの誰かが連絡も取れずに寝てたのを探していたせいで、ゆっくりする時間が無くなっちゃったのよ」


「すんません」


 チヒロは荷物棚に鞄を置くと、花束だけを持ち、ヒカリに連れられて大ホールに移動する。


「ところでお兄ちゃん、その花は何?」


「ん? これか? ヒカリのために買ってきた」


「そっ、か。ありがとう」


 ヒカリは気恥ずかしそうに笑顔を浮かべる。

 花束の中には、ナイフが隠されていることを知らずに。

Satie / Gymnopédie No.1

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