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人を殺すという決意。
瞬間的な感情の昂りだけでは、殺意にまでは至らなかったであろう。
重要なのは、ヘドロのように蓄積され、心の奥底に沈殿した負の感情であった。
片想いをする乙女の恋心のように、日々募らせてきた不平や不満。
ある日突然、花粉症が発症するように、長年に渡って溜まり続けた怒りや憎しみが止めどなく溢れ出す。
激昂は、積もり積もった負の感情を舞い上げるための引き金に過ぎなかったのである。
◇◇◇◇◇
二月の某日、桜田チヒロは人を殺した。
殺した相手は、宗教法人イルミンスールの教祖である。
場所は、イルミンスール記念会館のホール控室。
チヒロは床に倒れた教祖の背中にナイフを何度も突き立て、めった刺しにする。
辺りには血しぶきが広がり、返り血を浴びたチヒロの全身は真っ赤に染まっていた。
そこには二人の目撃者がいた。
一人目の目撃者はチヒロの妹、ヒカリである。
彼女は、兄が教祖を殺すという受け入れ難い惨状を目の当たりにして気を失ってしまった。
二人目の目撃者は、藤原ルイ。
殺された教祖、藤原ナユタの息子である。
ルイは、次代のイルミンスール教祖になると言われていた。
ナユタを殺すことに必死だったチヒロだが、ふと我に返ると背後に気配を感じる。
振り返るとそこには、ルイが静かに立っていた。
一度溢れ始めたら止まらない負の感情。
チヒロの殺意はルイにも向けられる。
「ちょうどいい。お前も殺してやるよ」
ナイフを力強く握り直すと、鋭い視線でルイを睨みつけるチヒロ。
一切の感情を読み取れないほどに、冷たい視線でチヒロを見下ろすルイ。
交わる視線は冷静と情熱。
二人は互いに、これは運命の出会いであるということをひしひしと感じていた。