勘違いだらけの婚約破棄
「ローラ・グレイシア、お前との婚約を破棄する!」
バッド・クルーシア第五王子は私の右手をギュッと握りながら、目の前のローラ公爵令嬢に向かってそう宣言した。
今日はクルーシア国立学校百周年記念パーティーの日。先ほどまで騒々しかった広間は、バッド様のお言葉によって静まりざわめいた。
「す、すいません、意味がよく分からないのですが」
「お前は私の隣にいる聖女ロリアスに、毎日毎日嫌がらせをしただろ!私の大切なロリアスを傷つけるなど、許されることではないぞ!」
キュン
バッド様、なんて格好いいのかしら。毅然とした態度、スラリとした体型、透き通るような緑色の瞳。体のどこを見ても美しさで溢れているわ!
それに比べてこの女、初めて顔を見るけど、予想通り本当に悪どい顔をしているわ。こんなやつが今までバッド様の婚約者だったと思うと、体中の血管が切れそうだわ!
半年程前から始まった嫌がらせ。教科書が引き裂かれたり、財布がドブに捨てられていたり、机に落書きがされていたり、椅子に画鋲が乗せられていたり。
そんなある日、バッド様が私に手を差しのべてくれたの!犯人は自分の婚約者のローラ・グレイシアであると、婚約者が申し訳ないことをしたと、心の底から謝ってくださったの!バッド様は何も悪くないのに!
私は改めて目の前の女を見る。
どうしてこいつは嫌がらせなんてしてきたのかしら。全く面識がないのに……まあ、こんなやつの考えなんて分かりたくもないわ。
「毎日毎日酷いですわ、ローラ様」
私は精一杯かわいい子ぶって、バッド様にすりよる。もうお前は婚約者ではないのだと、自覚させてやりたかった。あと、バッド様にくっつきたかった。
「その通りだ!ロリアスはただでさえ聖女という重役があるのだぞ!」
バッド様の言葉にチクリと私の心が痛む。
実は私は聖女ではない。聖女のみが聞ける天の声など、一つも聞こえたことはない。聖魔法が少し使えるだけの一般人なのだ。
冗談半分で聖女だと名乗っていたら、国の魔獣被害がたまたま減少したり、魔族の進行がたまたま止んだりして、本当に聖女だと持ち上げられてしまった。
まあ、バッド様なら許してくれるわよね。そんなことよりもこの腐れ女に制裁を加えなきゃ。
「聖女の私に嫌がらせするなんて、さては魔族に体を乗っ取られているんじゃないかしら。私が浄化して差し上げましょうか?」
相変わらずアホみたいな顔をしている糞女に対して、私は不敵な笑みを浮かべ、バッド様と繋いでいない左手に聖魔力を込めた。
***
俺は、横で聖魔力を手に込めているロリアスを見つめる。
正直内心冷や汗が止まらない。なんでこの女、聖なる魔力を左手に込めているんだ!!
俺はバッド・クルーシア第五王子――ではなく、第五王子の体を乗っ取ったジャガーという名の魔族だ。もしロリアスがあの左手で俺を触りでもすれば、さらさらの砂になって消えてしまうだろう。
「ま、まあ聖女ロリアスがいるところに魔族がいるなんてこと無いだろう。それにこの学校には至るところに魔族探知機があるんだ。潜入なんてできるはずがない」
俺はなるべく尊大な態度を崩さず、ロリアスにやめるよう促す。
いや、ほんとにやめてね。冗談とかじゃないから。俺死んじゃうから。君の愛しの俺、さらさらになっちゃうから!!
ロリアスは少し不満そうだったが、俺の言うことを大人しく聞いた。
……よかった。死ぬかと思った。
クルーシア王国に聖女が現れた。その情報は我々魔族を震撼させた。聖女は天の声によって我々の情報を得るのはもちろん、存在するだけで空気を浄化する。存在事態がガン細胞のようなものなのだ。
聖女を殺さなければならない。それは魔族全員の共通認識だった。
最弱魔族の俺に白羽の矢が立ったのは1ヶ月と少し前。弱すぎて魔族探知機に反応されない俺は、上級魔族に脅されて、いやいや聖女の通う学校に侵入することになった。俺に聖女を殺せということだった
いや、無理でしょ!だって俺最弱だよ!?一般人にも勝てるか怪しいよ!?良くて砂に、悪くて塵になるだけだよ!?
でも逆らったら消し炭にされる。仕方がなく潜入すると、校内を一人で歩いている男の子を発見し、死闘の末、乗っとることに成功した。乗っ取った後、男の子の記憶を読み取ると、運のいいことにこの国の第五王子だと分かった。
そうやってバッド王子の体を1カ月前に乗っ取ってから、俺はロリアスに嫌がらせをしまくった。物を粗末にするのは良くないと親から教わっていたが、背に腹は変えられない。俺は教科書を引き裂き、財布をどぶに捨て、机に落書きをした。
そうして二週間が過ぎた後、婚約者のローラが嫌がらせをしている所を見たと、まるで味方のように近づいたのだ。
誰かを騙すような真似は気が引ける。その責任を他人に押し付けるのはもっと気が引けた。しかし命には返られない。それにバッド王子の記憶を見た所、ローラ公爵令嬢はとんでもない悪女なのだ。
「あの、本当になんなのですか?」
目の前のローラとかいう女が久しぶりに口を開いた。驚きや怒りを通り越して呆れているような、そんな顔をしていた。
実の所、俺はローラ公爵令嬢の顔を見るのは初めてだ。この学校では、授業は自分で取りたい科目を選べる。そのため同じ授業を取っていなければ顔を会わせる機会などない。そして、バッド王子は婚約者であるローラと同じ教科は一つも取っていなかった。
バッド王子の体を乗っ取った際に記憶をつまみ見たが、彼はローラに対して強烈な嫌悪感を抱いているのだ。彼の記憶の中で、ローラ・グレイシアの顔は黒く塗りつぶされていた。記憶は感情によって形を変える。つまりバッド王子はローラの顔を思い出したくないほどに、婚約者を忌み嫌っているのだ。
ではなぜ目の前の女がローラであると分かるのか。
それは途方もない嫌悪感が俺の体中を襲うからだった。まるで天敵に出会ったような、今すぐ殺してやりたいような、そんな気分がするからだ。
顔は覚えていなくても、体が、心が覚えている、そんな気分なのだ。
「口を開くな!お前のような糞女、声も聞きたくないわ!」
***
バッド王子の大きな声が響きわたる。いったい私が何をしたというの?本当に意味が分からない。
色々言いたいことはあるけれど、とりあえず一つだけ言わせてほしい。
……あなたたち誰?
私が婚約者だとか、嫌がらせをしているとか、そんなことあり得るはずがない。
だって私、このお二方とお話しするの、初めてだもの。
そもそも私の名前はローラ・グレイシアではなく、ソフィア・ザンバルである。ローラ・グレイシア公爵令嬢は画鋲を手元でいじりながら、複数人の取り巻きとこそこそとなにやら話しているではないか。いったいこの二人には何が見えているのだろうか。
(あの男は魔族だ)
突然頭の中で声が聞こえる。こんなタイミングで本当に勘弁してほしい。
頭の中で声が聞こえ始めたのは物心ついた頃からだった。それから今日まで、毎日のように意味不明な声は続いている。まるで空からの天啓のように。
……そう、つまり私は二重人格者なのだ!
昔は二重人格って少し格好いいとか思っていたが、毎日も続くとさすがに飽きる。しかも会話ができない一方通行。それに心が二人分だから、食べ物も二人分食べなければならない。本当に早く治ってほしいものだ。
「衛兵!早くこの女をつまみ出せ!!」
バッド王子が騒ぐ。初めて見る人を婚約者だと見間違え暴言を吐きまくる。もはや病気だ。
衛兵が複数人やってくると、私の横を通りすぎ、バッド王子を担ぎ上げる。
「な、なにをしておる!不敬だぞ!!」
「王子、今あなたは混乱されているようだ。保健室のマリー先生に聖魔法で治療していただきましょう」
衛兵達はそう言うと、素早くバッド王子を運び始めた。王子の悲鳴が、どんどんと遠くなっていく。
バッド王子がいなくなると、必然的に皆の視線は聖女のロリアスに向けられた。
「な、なに見てるのよ!私は被害者よ!」
なんだかこの聖女可哀想だ。ローラ公爵令嬢の悪い噂はよく聞く。たぶん本当に嫌がらせを受けているのだろう。そして回りは公爵家を怒らせないよう、関わらないことにしているのだろう。
たぶん、関わらないのが正しいのだろう。
「私はローラ公爵令嬢じゃなくて、ソフィア・ザンバルと言いますわ。ロリアス様、良かったら一緒にごはん食べませんか?」
***
あれから1ヶ月が経った。
「ソフィア!遅くなってごめん!一緒にごはん食べよ!」
そう言ってロリアスが近寄ってくる。
あの一件で私達は仲良くなった。最近では毎日のように一緒にごはんを食べている。
「ぜんぜん大丈夫よ。何か用事があったのかしら?」
「今日、聖女じゃないって国のお偉いさんに改めて伝えてきたの!」
そう、彼女は聖女ではないらしい。こんな事が知れ渡ると国が混乱するため、知っているのは私と先生方とお偉いさんぐらいだが、いずれは世に知られることとなるだろう。
初めてそのことを告白された時は驚いたが、隠さず正直に生きたいと言った時の彼女は、とても輝いて見えた。
(聖女はお前だ、ソフィア・ザンバル)
また脳内で声が聞こえる。
そう言えば第五王子の正体は、私の第二人格のいう通り魔族だったらしい。保健室で聖魔法を使われて砂になったのだとか。
しかも砂になる直前「ローラ・グレイシア公爵令嬢の手助けを貰って学園に侵入した」と証言をしたため、ローラ公爵令嬢は国家反逆罪で国外永久追放となった。
「じゃあごはん食べましょうか」
私の言葉にロリアスが楽しそうにニッコリ笑う。
なんだかよく分からない婚約破棄をされたけれど、結果ロリアスと友達になれたし、魔族は討伐されたし、悪女は国外に行ったし、いいことだらけだったわね。
ロリアスの笑みにつられて私もニッコリ笑った。
「勘違いだらけの婚約破棄」を最後まで読んでいただきありがとうございます。
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