3章 夢の暗示
「どこを目指せば良いんだ?どうすれば抜け出せるんだ?」
目の前に広がるのは、禍々しい空、轟々と燃え盛る炎、ブクブクと音を立てる毒の沼。この世とは思えないほど不浄で残虐な景色。
ずっとあの人を探している。こんな所にいるわけないけど、それでも探し続けている。二度と同じ過ちを侵さないよう誓い、罪を償うために彷徨っている。
辺りを見回すと、嘆き悲しみ、喚き散らし、悲鳴をあげる者たちで溢れ返っており、懸命にこちらへ手を伸ばしてくる。
「うわぁ!?」
寝汗でぐっしょりと濡れたパジャマが気持ち悪い。時計を見るとまだ夜中の2時だった。地獄と呼ぶに相応しい光景が脳裏に焼き付いている。
「夢で良かった」
本当に夢だろうか。夢にしては鮮明で、何となく俺自身も誰かを探し続けている気がする。このことを学校で話してみたら「運命の人でも探してんの?」と茶化されたもんだから、話す相手は選ばなきゃいけないなと学び、その日から誰にも相談できずにいた。
特に手がかりがあるわけでもないけど、早く見つけなきゃ取り返しのつかないことになりそうで、なんとなく焦燥感に駆られている。
「とりあえず寝るか」
起きるにはあまりにも早い時間だったので二度寝することにした。
「さぁ、お嬢様、早くこちらにいらしてください」
「そこにいれば安全なの?」
「えぇ、ここで待っていてください。必ず迎えに参りますから」
「分かった。良い子にしてるから早く迎えに来てね、絶対だよ」
「心配はご無用です。安らかにお眠りください」
数年前、我が主はたった1人の幼き娘を遺し、この世を去った。
我が主は国内外問わず有名な資産家だった。巨万の富を築いてきた。しかし、その権力を以てしても最愛の妻を守ることはできなかった。
「ワシは無力だ。愛する者を守ることもできない。金なんていくらでもくれてやるのにな、どこで間違えたかな。あの子だけは何としても守らねばならん。お前はワシに力を貸してくれるな?」
「もちろんですとも。我が主よ、私にお任せください」
そして、我が主が息を引き取ったことを知った自称血縁者たちが、息つく間もなく屋敷に押し寄せる日々が始まった。
「ですから、何度も申し上げた通り、遺言書には全財産をお嬢様に譲渡すると書き記されております。ご足労おかけして申し訳ございませんが、お引き取りくださいませ」
「相続の件はどうでもいいんだよ。あの子に会わせてくれ。養子にする」
「お断りいたします。お引き取りください」
執事は疲弊していた。「あの子さえいなければ」そんな思いが頭を過る。幸いなことに、幼い頃から世話してきたので懐いてくれている。私が声をかければ、疑うことなくカルガモのごとく付いて来るだろう。主を裏切るのは心苦しいが、正気を保てるような状況ではなかった。
「お嬢様、このまま生活するのは危険ですから移動しましょう」
「どこに行くの?」
「今よりも安全な場所です」
2人は山奥にある小さな別荘に向かった。
「なんだか良い香りがするね」
「自然豊かな所なので、お花の香りかもしれませんね」
「どうしても明日はお留守番してなきゃダメなの?」
「必要なものを揃えなくては困ってしまいますので」
「どうしても一緒にお出かけできないの?」
「街は危険ですから」
少女は不服そうな顔をしていたが、執事に背中をトントンしてもらううちに、眠たくなってきたようだった。
「そろそろ寝ましょうね。疲れたでしょう」
「ねぇ、どうしたの?なんで泣いてるの?」
「大きくなられたなと思いまして。父君にもお見せしたかった」
これは執事の本心だった。そっと少女の髪を撫でて左耳にかける。
「お父様もこれ知ってるかな」
「どうでしょうね」
少女の左耳には、ちょうどイヤリングをつけるような位置にほくろがある。キラキラした装飾品に憧れがあるものの、少女にはまだ早いと言われてしまって落ち込んだこともあったが、少女はこの耳飾りのようほくろを気に入っていたのだ。
「良い子にしてるから早く迎えに来てね、絶対だよ」
「心配はご無用です。安らかにお眠りください」
少女が眠りについたことを確認し、小屋の外に出た。適量を大きく上回るアロマオイルの香りがツーンと鼻を刺激する。執事はポケットからマッチを取り出し、シュッと1本擦って目の前の小屋に放った。
「我が主よ、私も無力でした。愛する者を守るどころか殺めてしまった。どこで誤りましたかね。そうか、悪いのはお嬢様ではなかった。あいつらだ。こんなにも簡単なことが分からなかったのか」
執事の憎悪の矛先は屋敷に押し寄せてきた者たちに向かう。執事はこれ以上失うものを持ち合わせていなかった。1番失ってはいけないものは「恐れ」だったのかもしれない。執事は罪を重ねてしまった。
「……いち、大地!遅刻するよ!起きて!」
母さんの声で目が覚める。嫌な夢を見てしまった。ひどい奴もいるもんだ。いや、あれは自分なのだろうか?残念ながら確かめる術は無い。どちらにせよ、地獄のようなあの世界には行きたくないなと思う。
「母さんありがとう!すぐ降りる!」
やけに素直な反応が返ってきたもんで、大地の母は訝しげな顔で大地の父と顔を見合わせた。
身支度や朝食を済まし、大地はいつも通り学校に向かった。すると、廊下に修学旅行の写真が並んでいた。購入希望者は注文用紙に欲しい写真の番号と枚数を書き、代金と一緒に封筒に入れて先生に渡す仕組みらしい。
ずらっと並んだ写真を眺めながら教室に向かっていると「あっ」と思わず声を上げてしまった。ある生徒の髪が風でなびき、左耳にほくろが写っていた。