第8話 幽霊聖女、ピンク色と琥珀色
国王がウィンスロープ公爵家に派遣した医者は、まだ視力は戻らないが外傷は癒えたアレックスの赤い瞳を覗き込む。
「閣下、体のどこかに痛みはありますか?」
「いや、目が見えないことを除けば異常は全くない」
「しばらく様子を見ましょう。魔法を使うときに目の色が変わることがあるように、目は魔素の影響も受けやすい場所でもありますからね」
体内の魔素のサイクルが乱れたことで視力の回復が遅れているのかもしれない。
レティーシャは自分が思いつかない仮説を立てる医者に質問をする。
「目に聖女の力をあてたらどうでしょう」
「おすすめはできません、目は体の中でも特に複雑な部位ですし……逆に質問なのですが、聖女の力と魔法は違うのですか?」
「私は同じだと思っています。回復魔法を使うときは正常な状態を思い浮かべています」
「正常な状態と言うと、公爵夫人は医学を学ばれたのですか?」
「私自身が医学書を読んだわけではありませんが、歴代の聖女の手記にはいろいろそういうことが書かれていましたので」
レティーシャの言葉に医者は「努力なさったのですね」と言ったが、助けることができなかった大切な存在のことを思うとレティーシャは素直に喜ぶことができなかった。
「夫人、顔色が悪いですが気分でも?」
医者の声にハッとして、レティーシャは「大丈夫です」と首を横に振る。
それでも医者の顔から心配が消えない。
「夫人はずっと閣下の治療に励んでいたと聞きます。よく見れば少し疲労の気配もありますし、私でよければ診察させてくださいませんか?」
「いえ、お医者様の手を煩わせるなど」
「いえいえ、お気になさらず」
(何でしょう、妙な圧を感じます)
「医者殿、聖女といっても彼女は普通の人間と同じだぞ。解剖したって聖女の力の何も分かるまい」
「か、解剖⁉」
ぎょっとしたレティーシャは我が身を守るために両腕で体を抱きしめる。
そんなレティーシャの反応に医者は大慌てで「そんなことするわけがありません!」と声を荒げる。
「陛下が夫人を気にかけておりまして、疲れているようならしっかり診察して適切な処方をするようにと」
(陛下が……王命を発令されたことを気にしていらっしゃるのでしょうか)
短気か短慮か迷うところだが、先代国王は頻繁に王命を発令していた。
そんな父王を反面教師にしたのか、いまの国王はあまり王命を発令しない。
「奥様、国王陛下からのご厚意です。診察を受けられてはいかがですか」
「ご安心ください、取って食ったりなどいたしません」
医者の言葉にレティーシャは笑い、「それならば」と診察を受けることにした。
レティーシャに医者の診察を拒む理由はない。
「それでは私の部屋で……」
「奥様、よろしければこのままここで診察を受けられてはいかがでしょう。とって食ったりしないか目の見えない旦那様に代わって私が監視しなくては」
「ここで、ですか?」
予想外の提案にレティーシャが医者を見ると、医者はにこにこと笑いながら了解した。
「医者とはいえ、奥様が男と二人きりになるのは嫌ですよね」
(なにやら盛大に勘違いされていますが)
「お手に触れますね」
「お医者様に診ていただくなんて初めてでちょっと緊張しますわ」
「初めて、ですか?」
(いけません)
「うちの主治医以外に診てもらうことは初めてなのです。聖女の力のせいか、あまり風邪もひきませんし」
それは本当のこと。
レティーシャだけでなくラシャータも基本的に風邪をひかない。
「聖女の力は血に何か意味があるのかもしれませんね。力を使えるのも女児だけですし」
「そうかもしれませんね」
話している間にレティーシャの体から緊張が抜けた。
「脈は異常ありませんね。魔力のほうですが、聖女の力を使っていただけますか?」
頷いたレティーシャは触れた医師の手に回復魔法をかける。
「おおっ、手がじんわりと温かくてなりますな」
「そうなのですか?」
「いや、これは気持ちがいい。もう少し流す力を増やせますか?」
「できましたらどこか悪いところを教えていただけませんか? それのほうが変化が分かりやすいかと」
火や水の魔法と違い、体に働きかける聖女の力は目に見えない。
レティーシャの言葉に医者は納得したようにうなずく。
「それでは膝に……このことは国王陛下には内緒でお願いします。肩こりが酷いと仰る陛下に、私は治す薬はない言ってストレッチをお勧めしているのです」
「ふふふ、分かりました」
国王の顔をレティーシャは知らなかったが、豪奢な衣装を着た男が一生懸命体を伸ばす姿を想像してレティーシャは笑う。
(膝……膝……)
「おや、聖女様は力を使われるときは瞳がピンク色になるのですね」
医者の言葉にレティーシャが放出していた力が霧散する。
医者が残念そうにした隙に、レティーシャは急いで変化魔法で瞳をラシャータの色に変える。
レティーシャとラシャータはよく似ているが瞳の色が違う。
どちらも生母に似て、ラシャータは琥珀色でレティーシャはピンク色。
琥珀色にした瞳をみて医者は申し訳なさそうにレティーシャに謝罪した。
「失礼いたしました。夕日が反射してピンク色に見えたようです」
「いいえ、お気になさらないでください」
(うっかりしていたわ)