第7話、騎士公爵、目が覚めたら妻がいた
「旦那様、お食事です」
ソフィアの声にアレックスは目を開け、ぼやけた視界にスプーンが見えて口を開ける。
まだ寝たきりなのでアレックスは自分で食事ができない。
食事はこうしてソフィアの手を借りているのだが、こうして食べさせられているとアレックスはかつて彼女が乳母として自分の面倒を見てくれていたことを思い出した。
毎日三食ずっとパン粥。
それでも一時は死を覚悟し、半年以上回復薬の点滴が食事代わりだったことを考えれば口で食べられるまで回復できたことにアレックスは感謝している。
「う゛」
「旦那様、ゆっくりお食べください。お水を飲みますか?」
「み、ず」
赤子も食べられるパン粥の温ささえも刺激となって痛むことがある。
こんなとき自分が死にかけたことをアレックスは実感させられた。
―――お前はまだ子どもだな。
死に直面するたびに、亡き父親の呆れた声をアレックスは何度も思い出した。
頑張ったことは認めているが、もっとうまくやれたんじゃないか?という揶揄いを含んだ呆れた声。
父親の声を思い出すたびに心が温かくなると同時に、息子特有の反骨精神が刺激され「死んでたまるか」と思い続けた。
父親というのは不思議な存在だ。
幼い頃は「大好き」と素直に思えたのだが、成長するにつれて反発心ばかり大きくなる。
剣も魔法もいまのアレックスは父親を大きく上回っているのに、それでもアレックスはまだ父親に遠く及ばないと思っていた。
(俺は未熟だ)
魔物の掃討が完了する少し前からアレックスは自分の体の不調に気づいていた。
徐々に小さくなる魔法の規模。
体に燻る熱。
魔物に汚染された魔素が体に溜まってきている兆候。
この兆候には気をつけろとアレックスは幼い頃から耳が腐るほど聞いてきたし、騎士団に入団したあとも『大切なこと』として定期的に復唱させられてきた。
すべてはまだ大丈夫という過信。
やらなければいけないことに焦って犯したアレックス自身のミスだった。
魔物の掃討が確認された直後に全身から力が抜けた瞬間から地獄の苦しみを始まった。
体の中が焼ける猛烈な痛み。
痛みで意識を失い、痛みで意識が戻り、過ぎた痛みでまた意識を失う。
ひたすらこれの繰り返し。
高価な回復薬を浪費して死ぬのを防ぐ意味はあるのかとアレックスは何度も自問した。
死にたいと弱気になったことが何度もある。
「お食事を続けますか?」
「ああ」
ゆっくりと流し込まれる野菜の甘みにアレックスは涙が出そうになった。
生きていることを実感させられた。
(しかし……本当にあいつが俺をここまで回復させたのか?)
よくある瘴気酔い程度の不調を治したならアレックスも納得した。
しかし今回のは損傷規模が大き過ぎる。
巣食った瘴気に体中を荒らされ、瘴気を抑えきれなくなると噴き出た瘴気で肉と骨が焼かれる。
聖女の力といっても魔法である。
噴き出す瘴気を抑えこむのには大量の魔力が必要だし、アレックスが感じた限りでは浄化魔法と同時に回復魔法も発動していた。
(浄化してから回復では俺の体力が持たないと判断したのだろうが……そんな判断をあいつにできるか?)
治癒魔法が聖女特有の魔法だと知らなければ誰かの力を借りたと思っただろう。
それほどまでに治療のために体内に流れ込んできた魔力は膨大だった。
(俺の知る限りあいつの魔力量は中級魔法師クラス)
ラシャータはアレックスの関心を買うため、アレックスの上腕にできた三センチ程度の切り傷を聖女の力で治したことがあったが、それを治すだけで三十分以上かかった。
ラシャータがアレックスとくっついていたいがために手を抜いていた可能性もあったが、承認欲求の強いラシャータならアレックスに感心されることのほうを選ぶはず。
(しかも魔法の並列起動をやすやすと……)
魔法の並列起動は高等技術。
アレックスも魔法の発動速度には自信があるが、器用さと集中力が必要な並列起動はあまり得意ではない。
(わけが分からん)
***
「旦那様、定期報告をしてもよろしいでしょうか」
食事が終わって体調に問題がなければ、アレックスは執事長のグレイブから報告を受けるようになっていた。
「グレイブ以外は全員下がれ」
寝たきりで書類仕事はできないためグレイブの口頭報告になる。
その内容には機密事項もあるため、アレックスはグレイブ以外は退室させる。
「図書室にいます。執事長、終わったら呼んでください」
「畏まりました、奥様」
静かにラシャータは部屋を出ていく。
「寝込んでいる間に世界が変わったらしい」
「私は寝込んでいませんが、奥様を見るたびにそう感じています」
皮肉めいたグレイブの言葉にアレックスはため息を吐いた。
最初の頃は申しわけなさを感じていたが、いい加減しつこい。
「寝込んだことについてあと何年イヤミを言い続けるつもりだ?」
「寿命が縮まる思いをしたのですよ? あと五十年くらいは聞いてください」
「お前、何歳まで生きる気だ?」
「坊ちゃまはもう大丈夫だと安心できるまでです」
おしめも替えてくれたらしいグレイブにアレックスは逆らえない。
「あの女だが、寝込んでいる間もずっとあんな感じだったのか?」
「ええ、献身的に看病なさっていました」
「献身的……理想の妻だな」
「じいは感動しました」
首をひねってサイドテーブルに高く積まれた山を見る。
これが崩れたら再び聖女の力の世話になりそうだと思いながら背表紙を読む。
(大衆小説、国史、生物学、医学、老後の貯え……老後の貯え?)
「一番上の本は巷で人気の純愛小説、その第三巻でございます」
「純愛小説、マジか」
「マジでございます」
ラシャータは聖女などと言われているが貞淑の欠片もない。
ラシャータは初代聖女が大号泣するであろうほど奔放で、愛人たちの存在を隠さないし彼らとの情事も赤裸々に語る。
どうやらラシャータはアレックスにやきもちを焼かせたかったようだが、アレックスは愛してもいない女の艶話などに興味はなかったし、立てる目くじらもない。
「部屋に誰かを連れ込んだり、庭の茂みにしけ込んだりは?」
「一切ありません。部屋には着替えと寝に戻るだけで、ずっと旦那様の傍にいらっしゃいます。旦那様……洗脳を得意とする魔物がいましたよね?」
「将軍級魔物でも洗脳できるのは知能が低い動物だけだ」
「以前のあの方ならその説を押せましたが……」
「結婚して態度を改めたとか?」
「まさか、三つ子の魂百までと言うではありませんか。異世界転生の小説にあるように、別人の魂が憑依したと考えるほうがまだ自然です」
(別人の魂……)
アレックスの頭に浮かんだのは最初の婚約者。
大人の事情に巻き込まれ、たった三歳で死んでしまったピンク色の瞳をした可愛い少女。
(母上はレティーシャをとても可愛がっていたっけ)
レティーシャが親友と共に死んだとき、アレックスの母親は三日三晩泣いて暮らした。
そして王命でアレックスとラシャータの婚約を命じられると、「ちょっと父王を暗殺してくる」と言って家を飛び出そうとしアレックスの父親に羽交い絞めされて止められていた。
「旦那様、あの方に『どこで種を仕込んできても俺は一切構わない』とおっしゃったことがありますよね」
「……あったな」
ラシャータほどではないがアレックスも若い頃それなりに遊んでいる。
だから初夜を共にする妻が処女であることにそれほど拘りはなかった。
そして「どこで種を仕込んできても俺は一切構わない」発言だが、あれはアレックスの寝室に無断で入り込み素っ裸で誘いかけてきたラシャータを追い出したときのこと。
怒りに任せての発言であるが、裸を見ても体が全く反応しなかったので子作りなど無理だと痛感しての発言でもあった。
「いまもそう思っていますか?」
「……微妙」