第6話 幽霊聖女は母の愛を辿る
「フレマン侯爵家に関する本がまだ残っていたなんて」
アレックスの治療はいまはもう対処療法。アレックスが眠っている間は特にやることはない。何もせず待つことには慣れているが、見ているほうは落ち着かないらしくレティーシャは読書をすすめられた。
ウィンスロープ家の蔵書量の多さは有名だ。
聞けば「騎士=脳筋」と揶揄われたことに腹を立てたマッチョな当主が、読書を趣味にしようとして大きな図書館を作ったのが始まりだとか。
大きな図書館を作って、そこに自分の持っていた本を納めたら、棚一つも埋まらなかった。その結果「やっぱり脳筋じゃないか」と笑われて、彼はその図書館を本で満たすことを夢とし、それからの人生で様々な本を買い集めた。図書館を本で満たす夢は彼の代で叶わず、その夢は「やっぱり脳筋は嫌だよね」と思うマッチョな息子たちが継いだ。息子たちの代でも足りず、その夢は孫たちへ、その子どもたちへ……と繰り返した結果としてものすごい数の蔵書量となった。
そうしてできた図書館に足を踏み入れた瞬間から、レティーシャはこの図書館の虜になった。
時間ができれば足繁く通い、そして見つけたのが『フレマン侯爵家の滅亡』。フレマン侯爵家はレティーシャの母サフィニアの生家。次女であったサフィニアは先代国王の王命でスフィア伯爵家の一人息子だったドルマンに嫁いだ。
◇
その王命が発令される少し前、最後の聖女が亡くなった。
スフィア伯爵家の証を持つのはスフィア伯爵家の、当時後継ぎだったレティーシャの父ドルマンだけ。先代伯爵は存命だったが婿であり、新たな聖女を誕生させられるのはドルマンしかいなかった。先代国王は多産かつ女系で有名なフレマン侯爵家に目をつけ、四姉妹でドルマンと年齢も合うサフィニアに白羽の矢を立てた。
先代国王の出した王命を受け入れるに際し、ドルマンはある条件を出した。
国王に対して伯爵令息が交換条件を突きつけるなど前代未聞。でもそれが罷り通るくらい国は聖女を欲していた。そしてドルマンの条件は、サフィニアは第二夫人として娶るというもの。当時ドルマンには平民の恋人がいて、ドルマンは彼女を第一夫人に、侯爵令嬢のサフィニアは第二夫人として娶りたいと言ったのだ。
一夫一妻制のこの国では国王でさえ側室はもてないというのに、ドルマンのそれは非常識な要求だった。しかし計算高いドルマンは自分の価値をよく分かっていた。その目論見通り、聖女を信仰している貴族たちが先代国王に圧力をかけた。追い詰められた国王は娘の不遇に怒るフレマン侯爵を筆頭とした反対意見を力でねじ伏せてドルマンの条件を受け入れた。
(お母さまはどういう気分だったのでしょうか)
ドルマンの2人の妻は同じ時期にそれぞれ女児を産んだ。
娘たちはどちらもスフィアの証を持っており、聖女の誕生に国は盛り上がった。しかも2人の聖女。先代国王はこれを自分の英断だと喜んだが、悲劇は二人の聖女の3歳のお披露目パーティーの直後に起きた。第二夫人のサフィニアが娘である聖女レティーシャを胸に抱いてスフィア邸の自室の窓から身を投げたのだ。
聖女レティーシャはこれで亡くなり、先代国王は怒り狂って聖女を殺害した罪でサフィニアの生家・フレマン侯爵に爵位と財産の返上を命じた。しかし、その通達が侯爵家についたときには侯爵邸の者は使用人も含めて全員姿を消していた。
フレマン侯爵家も建国の十家の1つ。建国の功臣である家門に爵位や財産の返上させるには裁判で有罪にしなければならず、当主本人がいなければ裁判はできないため聖女殺害の罪は王が代わったいまも宙に浮いてたままになっている。
フレマン侯爵家の者はいまだ姿を現さず、その土地や屋敷はそのまま放置されて今では荒れ果ててしまっている。
「【聖女の殺害】、か……」
本に書かれたその罪状をレティーシャは指でなで、皮肉気に口を歪める。3歳だったレティーシャに当時の記憶はないが、レティーシャがこうして生きている以上はこの事件の証言に必ず嘘が1つ以上あることになる。
「奥様、どうなさいましたか?」
最近ようやくレティーシャは『奥様』と呼ばれて応えらえるようになった。
昏睡状態のアレックスと結婚した身で『奥様』と呼ばれることに申しわけなさはあるものの、『ラシャータ』と呼ばれるよりはいいのでレティーシャはその呼び名を訂正しないでいる。
「レダ卿、フレマン侯爵邸には聖女レティーシャの幽霊が現れるそうですよ」
「オカルトマニアが言っているだけですから」
レダは悪趣味だと憤ったが、こういう情報は重要である。なぜなら超常現象で片付けたいと思っている者がいるからだ。その理由が、ただ騒ぎたいだけなのか、それともサフィニアやフレマン侯爵家に後ろめたい思いを抱えているからか。
(もし私が呪うならスフィア伯爵家のほうを呪いますけれど)
いまの状況にあっても、これまでのことを振り返ってみても、レティーシャは母サフィニアを恨んでいない。仮に母親が本当にレティーシャと心中しようしていたと分かったとしても恨まない自信がレティーシャにはある。
だって母親は夫で父親のドルマンからレティーシャを守ろうとしたに違いないと思えるから。
◇
「奥様、そろそろお食事の時間です」
読書に没頭していたらしい。レティーシャが外を見ると真っ暗だった。
食事はアレックスの寝室でアレックスと共にとる。共にと言ってもただアレックスに異常があったとき直ぐに対処できるように一緒の部屋で食べるというだけ。アレックスが眠っていれば一人で食事している。
アレックスの寝室に入るとレティーシャはテーブルに着く。
タイミングを見計らったようにワゴンを押した食事係の侍女たちが現れて、目の前のテーブルに料理をセッティングしていく。メイン料理はいつも通りパン粥。美味しそうな匂いに、レティーシャは思わず鳴りそうな腹を抑える。
「今日も美味しそうですわね」
「奥様、旦那様と同じパン粥で本当によろしいのですか?」
「ええ、新しいドレスが欲しくて減量していますの」
ドレスは嘘だが、食事はパン粥で満足していた。
ずっと粗末な食生活を送っていたので病人食でも全く不満がない。それにテーブルマナーを知らないことがばれないためにはスプーン一つで食事できるパン粥が丁度よかった。
(それにこのパン粥、公爵様のために料理長が丁寧にお作りになったのね)
瘴気の素(仮)は12回にわたる手術で完全に取り除かれた。手術のたびに顔を青くする主治医だったが、なんとか頑張ってやり切ってくれた。しかし瘴気の素(仮)はなくなっても半年間以上瘴気に晒さ続けたことでアレックスの内臓は傷ついてしまっている。
くたくたに煮込まれた野菜。
原型を留めないくらい細かくされた肉。
レティーシャは消化機能がまだ十分でないアレックスに対する料理長の気遣いを感じた。
(ここで初めて食事をしたときは感動したわ)
山小屋で生活していたレティーシャは料理もしたが、腕前はあまり上がらなかった。当たり前だ。レティーシャにとって食事はただの栄養補給。死なないためにするもの。食事をして満足を得ようと思ったことは一度もなかった。誰かのための料理。誰かのために作ればもう少し料理の腕も上達したかもしれないと最近のレティーシャは思っている。
(こんな食事を知ってしまったあとに、あの小屋での食生活に満足できるとは思えませんわ)
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