第4話 幽霊聖女は新婚生活で頑張る
鳥の鳴く声が聞こえた。
読んでいた本からレティーシャが顔をあげると窓の外に鳥がいた。
見たことはあるけれど名前は知らない鳥。
くるっとした目と目があうと、鳥は首が右と左に小さく動かして飛び立った。
飛び立つ鳥を見送ると、レティーシャは視界の端で揺れた赤い何かに気づく。
ウィンスロープ邸の庭を管理している庭師だろうか。
彼はいつもレティーシャが窓辺によると隠れてしまう。
(人に見られずに作業してこそ一人前なのかしら)
目立ちたくないなら赤い作業着は止めたほうがいいとレティーシャは思った。
(本当に、いつ見てもきれいな庭だわ)
窓から見える庭で咲き誇っている花は管理が行き届いている。
枯れたり萎れたりしている花は一つもない。
この部屋の主は相変わらず眠ったまま。
それでも庭師たちは寝たきりのアレックスの回復を願っている。
そう感じられる素敵な庭だった。
(助ける目的は、こうして近くにあるものなのかもしれないわね)
初めて出た外の広い世界はレティーシャにとっていろいろなことを気づかせてくれる。
一番大きいのは、アレックスの守りたかったものを知れたことだろう。
ウィンスロープ公爵邸はとても明るく、優しい。
この世界を守るためなら、頑張れるなとレティーシャは思えた。
(スフィア伯爵邸にいたらこれを知ることは一生なかった)
暖かい色とりどりの世界。
誰かが誰かのために作る美しい世界。
「ごめんなさい」
(それなのに、この庭を見ているのが私で申しわけないわ)
「何の、謝罪だ?」
掠れた声が聞こえた。
レティーシャは窓からベッドに横たわっているアレックスに目を移す。
「少しは驚け」
「どうしてです?」
この部屋にいるのは五人。
ウィンスロープ騎士団の団長と使用人二人は滅多に口を開かない。
レティーシャでなければ、消去法でアレックスしかいない。
「お前はいつも騒がしいだろう」
アレックスの言う『お前』はラシャータのことだ。
そして『お前』と紡ぐその声音を聞けば、アレックスが『ラシャータ:を嫌っていることがよく分かる。
(目覚めたら嫌いな女が妻になっていたのだから、機嫌が悪くても仕方がないわよね)
しかし王命だ。
夫婦になるしかない。
まさか「ご愁傷さまです」みたいなことを『ラシャータ』が言う訳にもいかず、他に慰めも思いつかないからレティーシャは黙っていた。
乳母たちが亡くなったあとは話し相手が気紛れに現れるドマだけだったので、レティーシャはあまり会話が得意ではなかった。
「傷口の確認をいたします」
「ああ」
アレックスが同意すると、使用人たちがアレックスの体の向きを変える。
半年も寝たきりだったのに、アレックスの騎士らしい立派な体躯をレティーシャが動かすのは難しい。
(これだけ筋肉があれば薪割りも直ぐに終わってしまいそうね)
そんなことを思いながら黒く染まったガーゼに手をかけた瞬間、アレックスが呻いた。
「あ……う、あっ……ぐうぅ」
ガーゼの隙間からゆらりと魔力が立ちのぼるのが見える。
すでにレティーシャには見慣れた光景だ。
レティーシャは力づくで呻き声をあげるアレックスの口をこじ開けて、奥歯がかみ砕けるのを防ぐためにタオルを挟み込む。
「持っていてくださいませ」
駆け寄ってきた騎士団長にタオルの両端を握ってもらい、タオルが外れないようにする。
騎士団長がいるのはこのためだ。
耐えがたい痛みなのだろう。
脂汗に濡れたアレックスの首が反りかえり、タオルが外れそうになるのを騎士団長は必死に抑える。
痛みによる痙攣なのか、アレックスの体が跳ねているかのように震える。
胸元に貼っていた大きなガーゼがどんどん黒く染まっていく。
アレックスの火属性の魔力と魔物の瘴気が混じり、室内に淀んだ血が燃える腐臭が漂いはじめた。
タオルを持つ騎士団長は青くなった顔を背けて吐き気を堪えている。
(魔物に対して耐性がある方なのでこの状況にも堪えてくださっていますが……)
「あなたたち、外に出ていなさい」
レティーシャは耐えきれずえずき始めた使用人たちに指示を出す。
「忠誠心の問題ではありません、気にする必要はありませんわ。人には向き不向きがありますもの。適材適所です。代わりに新しいガーゼとお湯の準備を、あとシーツなど替えることになるので準備をお願いしますね」
レティーシャの言葉に使用人二人は互いの顔を見合わせ、ぺこりと頭を下げると去っていった。
扉が閉まるのを確認して騎士団長に向き直れば、なぜか笑っている。
「随分と使い方が上手になりましたね」
「レダ卿のアドバイスのおかげですわ」
一人きりで小屋で生活していたため、レティーシャの対人スキルは会話以上に下手。
底辺だった。
誰かに頼むことができなかったから全てを一人でやろうとし、手が足りずに結局慌てる。
そのたびにレダに「頼ることを覚えてください」と叱られた。
「レダ様に叱られてハッとしましたわ
「はじめてのとき、レダはあなた様を叱ってしまったと落ち込んでいたんですよ」
「叱ってくださって嬉しかったのですよ。叱られるって気持ちいいですね、クセになりそうです」
「それはちょっと……」
騎士団長は反応に困った。
レダに叱られて、クセになりそうでも叱られたのだから改善しなければとレティーシャは努力し、少しずつ人に頼むことを覚えた。
初めは頼み方が下手で、淡々と言っているせいで相手を「使えない」と落ち込ませてしまっていた。
(頼るのって本当に難しい。でも……)
レダの言う通り、誰かに頼れば体は二つになるし、腕は六本にも十本にもなる。
「さあ、団長様。閣下の体をしっかり押さえてくださいませ」
「手が六本欲しいですな」
弱音を吐く騎士団長の言葉に微笑むと、レティーシャはベッドにのぼる。
呻きながら体をよじるアレックスに跨って、両腿に力を入れてその屈強な体を挟む。
「いつも思うのですが……」
「どうなさいましたか?」
「すごい腹筋ですわよね」
「……鍛えていますから」
黒く染まるガーゼを慎重にはがせば、腐った血肉がどろりと滴った。
「瘴気がまだこんなに」
レティーシャの手にまとわりつく黒い瘴気に騎士団長が眉を顰める。
(まるで魔物の怨念……『呪われた』というのも分かりますわ)
触れたところから侵食しようとしてくる瘴気には気持ち悪い。
レティーシャも眉を潜めたが、治療をはじめた頃に比べれば噴き出てくる瘴気の量は明らかに減っている。
成果が出ているなら、まずは続けてみる。
スフィア伯爵一家よりかなりマシだが、身の半分がスフィア伯爵の血であるためレティーシャも結構力でゴリ越しタイプだ。
でもかなりマシなのだ。
力で押しつつ、ちゃんと考えてもいる。
(魔力が流れない。何かがつっかえている、それとも何かで……?)
瘴気の量が減ったことで、レティーシャには治癒の過程を追う余裕ができてきた。
だからいつも何かに邪魔されることに気づいていたが、今回は僅かに動いている感じがある。
(生きもの……寄生虫みたいなやつ?)
あんな山小屋に住んでいたので虫が出てくるのは日常茶飯事。
退治には慣れている。
「騎士団長様、寄生虫ってどうやって退治したらよろしいのでしょう」
「閣下の体の中にそれがいると?」
「あくまでも可能性ですわ。やはり引っ張り出して叩き潰すがいいのでしょうか」
「……意外と物理ですね」
「この力は浄化はできますが、何かを攻撃することはできませんの」
「分かりました。そのときは私が……」
「大丈夫ですわ。閣下の枕元に新聞紙を丸めたものを置いておいてくださいませ」
レティーシャの「虫も殺さぬ」は見た目だけだった。
(でも、瘴気が増幅していることは虫では説明がつきませんわ。どうして増幅するの、まるで培養……そうか、培養だわ)
大量の魔物を倒すためにアレックスは魔法を使い続けた。
魔法使いは魔素を体内に取り込み、魔力に変えて体外に放出している。
(もし周囲に魔素が足りない場合は?)
魔素は空気中にあるため無限と思われがちだが、供給量に対して消費量が上回れば魔素不足になる。
魔法研究者によると、密閉した空間で魔法を使い続けると魔素不足となって魔法が使えなくなる。
空気に例えると酸欠状態になるようなものだ。
(でもあのとき閣下の周りには大量に魔物の死骸があったはず)
魔物は死ぬと瘴気を発する。
魔物研究家によって瘴気は変質して結合した魔素だという。
(閣下は変質した魔素を吸収してしまい、魔素は魔力として放出されたけれど瘴気になるものは閣下の体内に残されてしまった。魔法を使う者は自然に魔素を吸収している、当然この寝たきりの状態でも魔素を吸収し、閣下の体で瘴気に変わっている……という場合は?」
レティーシャはラシャータのように教師をつけてもらえず、「学べ」と言って父伯爵から渡された魔法の教本や歴代の聖女の手記を読んで独学で治癒力を身につけた。
(ラシャータ様とは違うやり方かもしれませんが、同じ治癒だから目を瞑っていただきましょう)
アレックスの体を探れば、魔力の流れが滞る場所は全部で十二個。
滞っているのはここで魔素を瘴気に変えているからではないか。
それなら瘴気のもとはここにあるということになる。
「騎士団長様、これから閣下の体から瘴気の素(仮)を取り出しますわ」
「(仮)というのも気になりますが……取り出すとはどのような方法で?」
「団長様の剣をお借りして……?」
レティーシャの目線が自分の腰元に向かい、いまにも抜きそうな雰囲気に騎士団長は待ったをかけた。
「その瘴気の素(仮)の場所は分かるのですよね?」
「ざっくりとですが」
「ざっくり……それを公爵家の主治医に伝え、彼に切り取ってもらうのはいかがでしょうか」
「それができれば一番ですわね。多めに切り取ってしまっても治癒力があれば問題ないですし」
「……頼もしいのだか危なっかしいのか分からない方だなあ。それではグレイブを呼びます」
「執事長を? お手が塞がっているのにどうやって?」
「グレイブー!!」
「まあ、大きな声」
これがレティーシャの日常。
結構楽しい新婚生活だった。
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