第36話 幽霊聖女は物騒な愛に溺れる
「おお……フレマンの証が……」
「やはりあの方はサフィニア夫人のご息女のレティーシャ様か」
フレマン侯爵の前に置かれた彼の血が入った杯と、レティーシャの前に置かれた彼女の血が入った杯が光り、その光景に会場がざわめいた。
(……この方がお祖父様)
レティーシャはフレマン侯爵をジッと見る。
(……お身体が……こんなに細くてどこかお悪いのかしら。逃亡していらしたのですもの、食事とか困ったに違いありませんわ……)
確かにフレマン侯爵は細いが、病気を心配されるほど虚弱ではない。ウィンスロープを見慣れていたレティーシャの中の標準体型の『標準』が変わってしまっていた。
「続きまして、スフィアの証の鑑定をします」
神殿長の言葉にレティーシャは震えた。血を鑑定するといったときから、こうなると分かっていた。心の中で「ありがとう」と「ごめんなさい」がぐるぐる回る。
「あの……」
「……どうなさいましたか、レティーシャ様」
猫なで声にも聞こえる神殿長の声にレティーシャはゾッとした。思わず視線を父伯爵に向けると、彼はとても満足気だった。
(そうだわ……神殿こそ聖女信仰の総本山。そしてこの声にも、覚えがある)
―― 聖女様に感謝をささげなさい。
月のない夜、父伯爵に連れていかれた先でいつもこの声を聞いていた。
(神殿長と伯爵様は、仲間だったのだわ……私は、これから神殿に……そうなったら、もう……)
自分は神殿から出てこられなくなるだろう。それは嫌だが、血の鑑定を誤魔化すことはできないのだからレティーシャには逃れる術はない。
「少しだけ……ウィンスロープ公爵閣下と話をさせてくださいませ」
「……少しだけですよ」
勝ち誇った声音を懐の広さを示すことで誤魔化す神殿長から目を逸らしたレティーシャは、ロシェットのもとにいく。
「奥様? どうなさいましたか?」
「ロシェット……今までどうもありがとう。最後にもう一つだけ、あのバスケットをもってきてくださらないかしら」
畏まりましたという言葉と同時にロシェットが姿を消した。
(……え? あ……)
そして現れた。ロシェットの手にはレティーシャが願ったバスケットがあった。
「……ウィンスロープって瞬間移動もできるのですね」
「そうですよ。ですから、大船に乗ったつもりでドーンとしていてくださいませ。ねえ、レダ卿?」
レティーシャがレダを見ると、ロシェットの隣でレダも笑顔で頷いていた。
「とっとと終わらせて、みんなで帰りましょう。二人の料理長がレティーシャ様の大好きな甘いお菓子をたくさん作って待っていますよ」
「……レダ卿……ありがとうございました」
レダの気持ちは嬉しかったが、それは叶わない夢だとレティーシャに分かっていた。バスケットを持つ手に力を籠めるとレティーシャはアレックスのもとにいった。
「レティーシャ……?」
「アレックス様、ありがとうございました。そして……ごめんなさい……こんなものでは、お礼になどなりませんが……受け取っていただけませんか?」
レティーシャはバスケットをアレックスに渡す。中身はキャロットケーキだ。
この前作ったときに美味しいと言ってくれたから、キツネ狩りでお腹がすいたら食べてもらおうとレティーシャが作っていたのだ。レティーシャは美味しいと言ってくれたからキャロットケーキを作ったと思っていたが……。
―― いつかあなたも好きな人に作ってあげて。
(お母様……あれは、お母様だったのですね……いま、ようやく分かりました)
レティーシャは少し離れたところにいるファウストを見た。心配そうに見るあの目は、自分のついた嘘が暴かれることよりもレティーシャのことを心配してくれているのが分かる。
「アレックス様、お慕いしております」
アレックスの驚いた顔、その赤い目に映る自分が笑顔であることにレティーシャは満足した。
「大好きですわ、アレックス様。どうか……お幸せに……」
アレックスの瞳に映る自分は笑顔でありたいから、レティーシャは泣く前に踵を返した。そしてそのまま去ろうとしたが……。
「レティーシャ」
手を引っ張られて、無理やりアレックスに向き直される。驚く間もなく、額にアレックスの唇の温もりを感じた。
「俺から、ウィンスロープから逃げられると思うなよ」
「……アレックス様?」
驚くレティーシャをよそに、アレックスは子どものように笑う。
「俺のピンクの目をした可愛い子。君はずっと前から俺のものなのだからな」
突然のキスシーン(額)と無表情が標準のアレックスの満面の笑み。ロマンス要素満載の雰囲気に会場中が飲まれたが、どこにでも空気の読めない者はいる。
「アレックス様! この私の前でそんな……私に恥をかかせるおつもりですか?」
ラシャータだ。
いや、これも劇の一幕とすれば胸アツの展開であるのだが、それにはヒーロー(アレックス)の熱意が足りない。
「今さらだろう。お前、ずっと恥かいてるぞ……そんなのつけて」
アレックスは呆れきっていた。
「そんなのって、これはウィンスロープの家宝ですのよ?」
「確かにウィンスロープの家宝だが、なぜおまえがそんなのつけている」
「私がアレックス様の妻だからですわ」
「胸糞悪いことをまだ……もういいや。それで、騎士でもないお前がなんで腕甲なんてつけているんだ?」
(……え?)
レティーシャはラシャータのそれを見る。
「目をしっかり開いて周りを、近衛騎士たちを見ろ。同じのをつけているだろう」
ラシャータが近衛騎士たちを見て、レティーシャもそっちを見た。レティーシャの視線に気づいたロドリゴが『これ』という感じにその腕につけた腕甲を見せてくれた。
(お似合いですわ……いえ、それよりも腕甲…………やっぱり、そうですわよね……でも、ウィンスロープっぽい装飾品と言われればそんな気もしますから、あれはあれでありかもしれませんわ)
レティーシャはウィンスロープでの生活で『普通』が変わっていた。隠されて育ったレティーシャは世間を知らないため、ウィンスロープ流の常識をスポンジのように吸収してしまっていた。
「だって、家宝だって……」
「家宝? 誰がそんなことを言った? 常識で考えろ」
アレックスの隣にロドリゴがきて、ラシャータにしっかり腕甲をみせる。
「それは腕甲型魔導具だ。その名も全方位迎撃型の防具『カホー君』。それが剣を受ければ衝撃派を飛ばす。着けている者以外は吹っ飛ばされるから気をつけろ。魔法も効かないからな。それなりの大きさの火球が四方八方に飛び散るぞ」
(まあ、心強い)
そんな物騒な防具を「心強い」の一言で片づけたレティーシャは、さすが使用人一同が熱望するアレックスの嫁候補である。
「なんですの、それ」
「陛下に頼まれて作った」
レティーシャはファウストを見た。レティーシャだけでなくほぼ全員が見た。その視線を浴びながらファウストは頷いたが、「そこまで物騒なものは頼んでいないけれどね」と呟いていた。
「陛下はこのキツネ狩りでレティーシャが自分の御子かどうかを確認し、その後に伯爵を城に招こうとお考えだった。流石は同世代、伯爵の気性をよくお分かりだ。伯爵が王女隠匿の罪を隠すためレティーシャを害す可能性を危惧し、魔導具作りが趣味の俺に防具の製作を依頼したんだ」
なぜか満足気なアレックスだったが、ふと思い出したように首を傾げた。
「それで、いまはなんの時間だったか?」
アレックスの言葉に神殿長はハッとし、「レティーシャ様お戻りを!」と声を張り上げた。ちょっと忘れていたレティーシャは「そういえば」と思い出し、再び緊張が戻ってくるのを感じたが――。
「大丈夫だから、いってこい」
アレックスに背中を押されて、一歩を踏み出した。