第35話 騎士公爵は覚悟を決める
さいは投げられた。
マリアローゼットに呼ばれた日にアレックスはこの『聖女を消す計画』のことを聞かされ協力を求められたが、アレックスは協力するにあたって条件を1つ付けた。それは、レティーシャ自身がファウストの娘になることを決めたら。
(レティーシャはこの計画が陛下にどんな影響を与えるのかが分からない女性ではないからな)
レティーシャの意思をよそにおいて実行はさせたくなかった。レティーシャに幸せになってほしいが、レティーシャの幸せをレティーシャ以外が決めるのは間違っていると思ったし――。
―― 助けにきたよ、姫……ってやつは、姫が望んでなければただの迷惑行為よね。
妹オリヴィア主催の会議による女心についての教育が効いていた。
それを思い出したアレックスはオリヴィアに目を向けた。オリヴィアは兄アレックスの視線に気づき、口元を隠していた扇子を閉じると、閉じた扇子で首を切る真似をした。令嬢のやる仕草ではない。あんなことをどこでとアレックスは思ったが、嫁にいく先のソーンが隣で満足気なので放っておくことにした。
(これで怖いものはない。レティーシャは幸せになる覚悟をしてくれた)
レティーシャが決断したならもう遠慮はしない、とアレックスは思った。
レティーシャの判断の結果はなんであれ共に背負うと決めていた。誰かの犠牲の上に成り立つと分かっていて選んだならその責任を一緒に背負う。受け身になるかわいい性格などしていないから、犠牲になる誰かも救ってみせると思っていた。アレックスはその覚悟を持って『大丈夫』と頷いた。
レティーシャも覚悟して『聖女を消す計画』の共犯者になった。
こうなったらアレックスがいますることはただ1つ、どんなことをしてでもレティーシャをファウストの娘にする。
(……といっても、9割は終わっているんだよな)
仕込みはできている。ラシャータの腕にはまっているアレだ。
「ラシャータ様、無理です。職人を呼んで金具を壊してもらいましょう」
「だめよ! これはウィンスロープの家宝で公爵夫人の証なのよ。これまでの公爵夫人はみんな着けてきたんだから私もつけるの!」
(愚か者とは、他人の話を聞かない上に周りも見ないから愚か者なんだな)
国王の隠し子騒動にも全く気づかず、おろされた馬車の前で自分たちの世界に没頭しているラシャータたち。アレックスがルトヴィスにあの『家宝』の成り立ちを説明していたときラシャータは傍にいた。
(このときは痛みに悶えていたから聞こえなかったにせよ、いま周りにいるご夫人方の『あんな家宝みたことない』という目に気づかないのか?)
「なに見てんのよ!」
自分のほうをチラチラ見るご夫人たちを、歯をむき出しにして威嚇するラシャータ。シャドウの子犬たちよりも躾ができていない。100年の恋も冷めそうな光景だ。
(1秒も恋してないから分からないけどな)
「陛下! その娘は私の娘です。お戯れはおやめください。レティーシャ!」
伯爵の声にレティーシャがビクッと震える。ファウストとアレックスがいて伯爵がレティーシャを害すことはできないのだが、そこは理屈ではない。長い間の虐待によってレティーシャには恐怖心が染みついてしまっていた。
「何を言う、私とサフィの娘だ」
「なにをおっしゃいます、それは私の娘でございます」
(レティーシャの怯えた様子に『それ』……伯爵め、覚えてろ。いや、俺が忘れん)
鳥頭で忘れっぽそうな伯爵の記憶力に頼るのはやめた。
「伯爵、レティーシャが私の子と知って隠したのではないのか? 褒められた話ではないが妻の不貞を恥として生まれた子を隠す者はいるからな」
「それは……」
(これで伯爵の選択肢は2つだけになる。隠していたという事実がある以上、レティーシャを不義の子だから隠したことにするか、聖女だと分かっていて隠したか。罪を軽くするなら前者を選ぶが……)
「再会したのです!」
「……は?」
「さきほど再会したのです。それで、まずは家族で話をしようとラシャータを呼んだのです」
とんでも理論にアレックスはため息をつき、シワの寄った眉間に拳を当てる。
(これが予測できたのが、なんか嫌だ……まあ、いいか。さあ、出番だ)
「カホー君」
『マスター、何カ御用デスカ?』
「きゃああああっ」
「また喋った!」
腕甲(名前:カホー君)に話しかけることにアレックスは滑稽さを感じていたが、ラシャータとサリーが盛大に驚いたので胸がすく思いがした。
「カホー君、伯爵とレティーシャの声は覚えているな?」
『モッチロンデース』
「会話を再生してくれ」
『喜ンデー』
(どこの商人だ?)
『ラシャータ、やっと会えたな』
『……はい』
『久しぶりなんだ、二人で話したい……分かるな?』
「カホー君、ストップ。伯爵、なぜレティーシャを『ラシャータ』と呼んだ」
「間違えたのです!」
「ま、そうくるよな。カホー君、続きを再生してくれ」
『カッシコマリマシター』
「……なんかルトヴィスと話しているみたいで嫌になるな」
アレックスの言葉にルトヴィスは『ショック』という表情をしてみせたが、その目は本気で怒っていた。カリーナの息子であるルトヴィスにとってレティーシャは従姉だから。
『この二人は関係ありません! 今すぐ、外に……』
『もういい、私はそう言ったぞ? レティーシャ』
『あ……」
(レティーシャ……)
『お前はいつもそう言うが、関係ない? そんなわけがない、全部お前のせいだ。全てはお前が悪い。私の言いつけを守らないお前が悪い。なあ、分かっているよな』
『おやめください!』
(伯爵め……)
『可哀そうに。こいつらもお前のせいで死ぬことになる。お前のせいで、なあ……?』
『やめてええええ!』
(絶対に簡単には死なせん!)
再生されたレティーシャの恐怖に満ちた悲鳴にアレックスの額に青筋が立ち、観衆は女性を中心に伯爵に対して嫌悪の視線を向けはじめた。
「これが、家族の会話……ねえ……王妃、どうしようか」
ファウストから話を振られた王妃マリアローゼットは、ニコッと笑った。
「どうするかは後で決めましょう。いま決めても仕方がありません」
「ほう、なぜだ?」
「伯爵には『聖女の父親』という一種の治外法権がありますもの。ここで虐待を訴えても、聖女信仰をなさっている皆様は『仕方がない』ですませてしまうのではなくって?」
マリアローゼットはパチンッと手を叩いた。
「ですから、ここで証明なさってはいかが?」
「証明……ああ、そうだな。血の鑑定だな。ふむ……伯爵、どう思う?」
ファウストの言葉に伯爵は賛成した。この自分を批難する空気を変えるには、倫理観さえ捻じ曲げる『聖女』の存在が必要だから。
「もちろん! ぜひ鑑定しましょう」
「では、そなたも鑑定に参加してくれ。いつもなら神殿にある証と照会するが、皆に分かりやすく鑑定結果が分かるようにそなたの血にもつスフィアの証と照会すればいい」
「なるほど……しかし、レティーシャが第二夫人の娘と分かるにはフレマンの証が必要。それでしたら、やはり神殿で……」
「フレマンの証ならば私が提供しよう」
大きな声量ではないのに、覇気を感じさせる声に貴族たちの人垣が割れた。そこには老紳士が一人立っていた。
「あの方は……まさか……フレマン侯爵?」
誰かの声に、会場は一気に騒めく。「どうしてここに」という声がそこかしこで上がるなか、堂々とした足取りでフレマン伯爵は場の中心に歩いてきた。
(……細いな……逃亡生活はよほど過酷だったのだろうか……)
ひょろりとしたフレマン老侯爵の姿にアレックスは心を痛めたが、別に逃亡生活でこうなったわけではない。もともとである。だからカリーナの目は『相変わらず』だったし、ルトヴィスの目は『祖父ちゃん、もっと筋肉つけよう』でしかなかった。
「久しぶりだな、スフィア伯爵」
「フ……フレマン侯爵……だ、大罪人がなぜここに……」
「さて、サフィニアの思し召しかな。陛下、私がフレマンの証を提供しましょう。私の体にはフレマンの証しかありませんから間違えようもないでしょう」
フレマン侯爵の母親はスフィア家の令嬢だが、スフィアの証は直系しか継がない。だからフレマン侯爵の血に宿っているのはフレマンの証のみである。
「国王陛下、私と同じように一つしか証をもたないラシャータ嬢も鑑定してはいかがでしょう。スフィアの証が分かりやすくありませんかな?」
「おお、確かに。ラシャータ嬢、どうかな? レティーシャは私の娘ゆえ、そなたはたった一人のスフィアの証をもつ聖女なのだから」
ファウストの言葉にラシャータは顔を輝かせた。自分の権威を見せつけ、聖女を崇める人たちの姿が浮かんでいた。
「ぜひ協力させてくださいませ」
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