第34話 幽霊聖女は共犯になる
目尻を舐められる感触にレティーシャはハッとしてシャドウの首に埋めていた顔をあげた。
「……シャドウ?」
「ワフンッ」
「……ごめんなさい、間違えてしまいました」
(シャドウがここにいるということは……)
視線を巡らせたレティーシャはアレックスを見つけ、ケガもない様子にホッとした。伯爵たちに誘い出されたと分かったときにアレックスのケガの話は嘘なのだろうとレティーシャは思ったが、やはり自分の目で無事な姿を見られるまで完全に安心できなかったのだった。
「レティーシャ」
「……アレックス様」
(嘘はもう終わりですね……残念だと思ってしまいますが、嘘をもうつかなくてもいいと思うとホッとしてもいます)
「アレックス様、皆様、騙していて申しわけありませんでした。私の本当の名前はレティーシャと申します。レティーシャ・ス……「レティーシャ」」
アレックスに言葉で遮られたのもあるが、手を取られたことに驚いて口が動かなくなった。
「すっかり騙されてしまったよ」
「……アレックス様?」
(なんで笑っていらっしゃるの? しかも、そんな……とってもお優しいお顔で……)
嫌われると思っていた。
こんな優しい目で見られるとは思っていなかった。
(目を覚まされた頃の冷たい目……あんな目でまた見られると思っていたのに……)
冷たい目には慣れているから、嘘がバレたときアレックスの目がまた冷たくなっても当然だし仕方がないと思っていた。
それが怖いと思うようになったのはアレックスとレアルト通りにいったとき。冷たい、迷惑だという感情の目を向けられて怖くなった。一度知った優しさを失くすことは怖いことなのだと知った。
「レティーシャ様はとっても嘘がお上手です」
「そうですわ。私たちもすっかり騙されてしまいました」
レダとロシェットも笑顔で……。
「レティーシャ?」
レティーシャはアレックスの手を離すと、まだ足元にいてくれたシャドウに抱きついて顔をその毛に埋めた。シャドウの毛は短くて硬くて、アレックスのほうがウィンに似ていると思った。
◇
「おおおっ、聖女レティーシャだ」
「生きておられた」
やはり馬車に乗ることができず歩いて戻ったため、レティーシャたちは伯爵たちからかなりキツネ狩りの会場に着いた頃には多くの貴族にレティーシャの存命が知られていた。
「レティーシャ様、ぜひ私とあちらでお話を……」
「いや、私と……」
「侯爵家の私を差し置いて何を! レティーシャ様、私は……」
レティーシャは王の推薦、ラシャータは本人の希望という形でアレックスと婚約していたため、誰もがこれまで「聖女の婚約者になる」と考えてもいなかった。しかしここで婚約者のいないレティーシャの登場。貴族たちは一気に盛り上がった。
聖女の夫になれば未来の聖女の父親。第二のスフィア伯爵。そんな欲に駆られた男たちの目にレティーシャはゾッとして足が止まってしまった。
「大丈夫だから」
力強い声がしたと思ったら、レティーシャは背中に大きな手が触れる感触がした。隣を見れば強い魔力の揺らめきでルビーよりも美しく輝く赤色の瞳の中に自分がいた。
「レティーシャ、君は大事な声だけを聞けばいい。君が大事だと思う声は、君を大事だと思う人たちの声だから。君のことを考えないあんな奴らの声を聞く必要はない」
(そうしたい……でも……)
大事だと思う声は聞こえなくなった。そのことはレティーシャの中に『罪』として消えない。
「俺たちに何かあるかも、とでも思っているのか?」
「……どうしてそれを?」
レティーシャは驚いたが、自分を見る目の優しさに強がりの鎧が外れた。
「みんの声が聞こえなくなるのは嫌です」
「俺は絶対に君を一人にしない」
レティーシャを捕らえた赤い瞳がやんちゃな光を帯び、アレックスの表情が小さな男の子が宝物を披露するような自慢げなものになる。
「安心しろ、俺たちは全員ウィンスロープだ。ソフィアだって戦うぞ、彼女の平手打ちはすごいのだからな。何度この尻を叩かれたか。誰もそう簡単にやられないし……もともと先手必勝がお家芸だ」
アレックスが顔をあげ、会場の者たちをじっくり見わたす。その美しい赤い目は悪魔のような冷酷な光を宿す。
「ネズミがどれだけ湧こうが心配いらないぞ。ネズミ捕りは……それはそれはもう、とーっても得意だからな。いままでは使用人に任せていたが、そろそろ俺も出ようか。我が愛槍もたまには活躍したいだろうからな」
ただ一人、身長差でアレックスの目が見えないレティーシャだけはその目の本気に気づいていなかった。悪魔のように笑うアレックスに気づかず、その腕の中で安心していた。
「アレックス様」
すり寄るようなレティーシャにアレックスは驚き、紅蓮の悪魔がひゅっと引っ込んだ。威圧感は霧散し、貴族たちは(特に男)はほうっと息を吐く。
「レ、レティーシャ?」
キョドるアレックスの目に映る自分をレティーシャはジッと見る。
(もし囚われるなら、この赤色世界がいいわ……)
「アレックス様……」
「レティーシャ……」
完全に二人の世界。まるで歌劇のワンシーン。そして歌劇ならここで幕が降りるのだが――。
「ウィンスロープ公爵! 義理のご姉弟の仲が良いのはいいことですが適切な距離を保たれてはいかがですか?」
その言葉にレティーシャはパッとアレックスから離れた。
レティーシャはこの瞬間までアレックスがラシャータの夫であることを失念していた。例えそれが書類上の関係とはいえ自分たちの姿は不適切に違いなかった。
(私、アレックス様の醜聞に……)
どう振舞っていいか分からず戸惑うレティーシャの肩にアレックスの手が触れる。その温かさと大きさにレティーシャの目が潤み、いけないと分かっていても思わずアレックスを見てしまい――。
「っ!」
思わず息を飲んだ、というか詰まった。吃驚して詰まった。
「全くどいつもこいつも……」
(ア、アレックス様?)
「レティーシャ様、こちらに」
「……レダ卿?」
レダがアレックスから奪い取るようにレティーシャを引き寄せると、安全装置が抜けた魔導具のようにアレックスの体から魔力が立ち上りはじめた。最強の騎士団に絶望を与えた「デカブツ」こと、魔王の降臨である。
「あっちもこっちも好き勝手に俺を既婚者にして……」
(……え?)
「そこの男、そのガセネタをどこで仕込んだ?」
「ガ、ガセ!?」
アレックスに指さされた男はアレックスの言葉に目をむいた。彼だけではない。大勢が驚いていた。その大勢にはレティーシャもいた。
(ガセネタって……私、婚姻届にサインしました記憶がありますわ……あります、よね? あら? あるような気がしているだけでしょうか)
アレックスの怒りっぷりを見るとレティーシャは自分の記憶が間違っているような気がした。そしてそれはその場にいる者たちも同じだった。
「私とラシャータ嬢の婚姻届は陛下のところで止まっていましてね。決済されていないんですよ、未決済だったんですよ……だから俺はラシャータなんぞと結婚なんかしてねえってことだ。花の独身貴族だ、分かったか!」
無茶だ。そんな裏事情分かるわけがない。2人の結婚命令が国王から出れば結婚したって思うだろう、普通は、と誰もが言いたくなった。
「ラシャータの夫とか、胸糞悪い!」
そう言いたいが怒れるアレックスを前に誰にもそれを指摘する勇気はなかった。
(それにしても……)
事情(?)は分かったが、レティーシャは居た堪れない空気を感じていた。まるで巨大魔獣が暴れたあとのような、何をしていいか分からない空気。
(誰か……あ、私がいまここでクシャミでもすれば……)
「レティーシャ!」
どうにかしてクシャミをして空気を変えようとレティーシャが思ったとき国王ファウストの登場。そのあとを王妃マリアローゼットと4人の子どもたちがやってくる。王族登場。とりあえずやることはできたとばかりに皆一斉に安堵した表情で頭を下げる。
レティーシャも同じようにレダの隣で頭を下げようとしたが、そんなレティーシャにファイストがガバッと抱きついた。
「レティーシャ、我が娘よ!」
(え?)
「レティーシャ、私のレティーシャ。この不甲斐ない父を許しておくれ。お前が生きていると知っていれば……もっと早く、私は告白をすればよかった。ずっと……助け出すことができなくて、本当にすまなかった……ごめんな……ァ」
「……父?」
唖然とするレティーシャにファイストはパッと体を離し、レティーシャの顔を見て力強くうなづく。
「そなたは私の娘だ!」
レティーシャの頭は混乱して何も考えられなかったが、そんなレティーシャの肩をファイストは抱き寄せる。
「皆にここで告白する。ここにいるレティーシャは私の娘なのだ!」
会場がざわつく。
「私とレティーシャの母であるサフィニアとは恋仲であったことを知っている者はおろう」
(……え?)
レティーシャは驚いたが、ざわめきは小さい。ファウストが言ったように知っている者も多いことがレティーシャには分かった。
(お母様が、この方と……)
ジッとファウストを見ていたレティーシャは、脳内が落ち着いてくると彼があの日あの小さな庭で会った庭師だと気づいた。確かに庭師と紹介されたわけではないが、国王に対して庭師のように接してしまったとレティーシャは少し慌てた。
それに気づいたファウストは優しくレティーシャに笑う。
(お母様は、この方に恋をしたのね……)
ファウストの笑顔に、レティーシャは自然とそう思うことができた。
レティーシャの中で母サフィニアは王命でスフィア伯爵に嫁がされた不幸な令嬢だったが、恋をした幸せもあったのかと嬉しく思えた。
「結婚しても関係を続けてしまっていたことは、私たちなり言い訳があったにせよ所詮は言い訳。不適切なことであった。不倫はいけない。当たり前のルールだ。不倫をしていたことはいくらでも責めてほしい。夫である伯爵にはその権利がある。さあ、伯爵!」
レティーシャは父伯爵を見た。大勢の視線が彼に向かい、その中心で父伯爵は「それは……」と言葉に悩んでいた。特例で妻ではあったが。女性2人を傍に置いた伯爵がこんな大勢の前で妻の二心や国王の倫理観に文句がいえるわけがない。
「彼女の妊娠が分かったとき、もしかしてと思った。当然だ、心当たりがあるのだからな。生まれた子が血液鑑定を受け、もしスフィアの証がなければ私は自分の娘だと発表する心づもりでいた」
ファウストの行動は責任ある行動として、一部の貴族夫人たちの好感を呼んだ。その隣の夫たち、婚外子を認知せず放置している者たちは気まずげに目を逸らした。
「スフィアの証が確認されたと神殿から報告があり、それならば……と思ってしまった。伯爵の子であり、聖女として皆に歓迎されているレティーシャに影を落としたくなかった。だから私はずっと……ウィンスロープ家に嫁いだ『ラシャータ』の血からフレマンと王家の証が出たと報告を受けるまで、伯爵、私はずっとレティーシャはそなたの子だと思っておった!」
ファウストは鋭い目で伯爵を睨みながらレティーシャを強く抱きしめた。アレックスとは違う力強い腕にレティーシャは涙が出そうになった。
(陛下は……私を聖女から解放なさろうとしてくださっているのだわ)
レティーシャは聖女の力が使える。歴代の聖女たちの手記に書かれていた『不思議なこと』は再現できている。だからレティーシャはスフィア伯爵とサフィニアの子どもであり、ファウストが言っている『自分の子』は嘘だと分かる。
(この嘘が、どれだけ御身を危うくするかお分かりのはず……それなのに……)
この優しさに縋りたいとレティーシャは思ったが、父伯爵が自分を見る目に気づいて体を震わせた。それに気づいたのだろう、ファウストが「アレックス」と呟いた。
それにつられるようにレティーシャはアレックスを見て、レティーシャをずっと見ていたアレックスはすぐにそれに気づいて。
(あ……)
視線だけだったけど、確かに頷いたのがレティーシャには分かった。レティーシャは『大丈夫』、そう言われた気がした。
「お父様……」
「っ……レティーシャ!」
レティーシャの言葉にファウストは満面の笑みを浮かべ、2人は再会を喜ぶ父娘として抱きあった。
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