第32話 侍女ロシェットは忠義に生きる
かくりと力が抜けたレティーシャを支えたロシェットはルトヴィスに目で合図を送り、その場にレティーシャを寝かせた。
視線をラシャータに向ければ、ラシャータは腕につけたものをうっとりと見ている。
(よしっ!)
「ラシャータ様、最後の仕上げをして宜しいですか?」
「……仕上げ?」
怪訝そうにしながらも、ラシャータはそれをつけた腕をロシェットに向ける。
「早くしなさい」
「本当におつけしてよろしいのですね?」
「そうよ。早くつけなさい、この愚図」
ラシャータの言葉にロシェットはにこりと笑い、腕輪のある箇所に指で触れる。
「このピンを抜きますと……」
「ピン?」
首を傾げるラシャータの前でレティーシャはピンを抜いてみせた。
『安全装置ガ外レマシタ』
「……はあ?」
硬質な音声にラシャータが驚いた声をあげる。
『本人ノ同意ヲ確認。融着ハジメマス。ハイ、ピッタリクッツイテイキマスヨー』
「え、なに?」
金具の部分がじゅわりと溶けてラシャータは驚く。
『問題ナシ』
「あるわよ! なにこれ!」
『回路確認ハジメマス。魔導回路一、正常。魔導回路二、正常。魔導回路三、正常。魔導回路四、五、六、トンデ八モ正常。問題ナシ』
(七は?)
『収縮ハジメマス。ハイ、ピッタリクッツイテイキマスヨー』
「はあ? ちょっと……やだ、痛い痛い痛い痛い!」
『浮腫ンデイルネー。健康的ナ食事ヲ心ガケテクダサイネー』
「煩い!」
『畏マリマシター。再開シマース』
「えっ、嘘、嘘嘘嘘。痛い痛い痛い痛い!」
’(旦那様。腕にはまったと感知したら収縮が止まる予定では? めちゃくちゃ本気で痛がっておりますよ、あれ)
レティーシャがつけているときに誤作動しなくてよかったとロシェットが思ったとき、肩に誰かの手が触れた。
!
基本的な護身術。
腕をとって、身を沈めて、懐に入って、立ち上がる反動と背中を使って投げ飛ばす。
ドオオンッ
豪快な音を立ててスフィア伯爵が木の床に沈んだ。中肉中背。普段はマッチョを投げているため勢いよく飛んだ理由はそれだった。
「なんだ、伯爵様でしたか……あっ」
ロシェットが慌ててレティーシャを見れば、ルトヴィスがお姫様抱っこで抱え上げていた。
「グッジョブ」
「どうも」
「その場面を旦那様に見られたら、あなたの血の雨が降りますよ。いまシャドウの声がしたので……10、9、8……」
こわい、嘘だと言いながらルトヴィスは小屋の中を見渡し、慌ててソファにレティーシャを寝かせた。
「ゼロ」
「レティーシャ!!」
「マジで来た!!」
「アレックス様っ!?」
「ウィンスロープ公爵!?」
どれが誰の発言が分かりやすかったため、アレックスは唯一声のなかったレティーシャを探した。ソファに横たわるレティーシャを見つけてホッと息を吐く。
「ロシェット、報告」
ロシェットはアレックスの前に膝をつき頭を垂れる。
「ほぼ旦那様の予想通りのことが起き、作戦は予定通り成功しました。以上です」
「雑な報告だが、まあ、分かった。予想外は?」
ロシェットはルトヴィスを見る。
「そこのルトヴィスですね。なぜかここにいて、なぜかスフィア嬢に色目使って、なぜかレティーシャ様をお姫様抱っこしていました」
「……お姫様抱っこ?」
ルトヴィスが「ヒッ」と声を上げ、首と手を高速で横に振った。
「お姫様抱っこは、そこのロシェットさんが勢いよく伯爵を床に投げたからです。床にいたら振動すごいから。ここにいたのは、母に何があっても守れって言われたから。色目は、父に女性に口を割らせるなら顔を使えって言われたからです」
このルトヴィス。母はカリーナ、父はロドリゴ、騎士団の期待の新人である。
「伯爵が転がっていたのも予想外だったが、投げ飛ばされたのか」
アレックスは寝転がるスフィア伯爵の横にしゃがみ込むと、顔をのぞき込んでにこりと笑う。
「ごきげんよう、スフィア伯爵。久しぶりだな」
「……ウィンスロープ公爵……これはどういうことです?」
「うちの侍女に投げ飛ばされたそうですよ。なにしたんです?」
伯爵が聞いたのはアレックスがここにいる理由だったが、アレックスは伯爵が寝転がっている理由を答えた。
「私は、なにも……そこの女が突然……」
「いえいえ、この状況で『被害者』になるのは些か無理があるでしょう。でも、まあ、俺もあなたが正直に話すなんて端から期待していないんで色々と小細工させてもらいました」
アレックスは伯爵の体をわざと跨いでソファに近づき、そこに横たわるレティーシャに手を伸ばす。
「必要だったからとはいえ、嫌な思いをさせてしまったな……ごめんな」
苦しげな顔でアレックスはレティーシャの目尻の涙を拭った。そしてレティーシャの左手を取り、何もなくなったそこに唇を落とす。
「悪い夢は終わりだ」
アレックスのレティーシャを見る目、触れる手、そしてその声を聞けばアレックスがレティーシャを想っていることは一目瞭然なのだが……。
「アレックス様、私ですわ! ラシャー…っ、痛い痛い痛い痛い!」
ラシャータは痛みに悶えるのに忙しくて見ても聞いてもいなかった。
父伯爵が投げ飛ばされても一切気にせず、見向きもせずサリーに腕についたやつを外すように命じつつ痛みに悲鳴をあげていたラシャータ。それがいまは痛みに襲われつつもズリズリとアレックスに近づき、自分の存在をアピールしている。
(ナイスガッツ。この人は嫌いだけど、このガッツは称賛するわ。見習わないけど)
「スフィア嬢、なぜここに?」
「スフィア嬢だなんてっ、ぇぇぇ、あああ、痛痛痛痛っ……は、あ……他人みたいにぃぃぃ、痛痛痛痛」
「他人だからな」
「ホホホッ、痛痛痛痛痛……ホホホホッ、御冗談を。あなたの妻ぁぁぁ痛痛痛痛痛……は、わ、わたくし、ラシャーァァ痛痛痛痛」
(すごい……なんかこう……とにかく感心してしまうわ。私たち、この女の旦那様への想いを舐めてたわ。いやいや凄いわ、怖いわ)
「ロシェット……」
「分かります、ホラーですよね」
「俺、死にかけてよかったわ。あれがなかったら、俺、この女に結婚させられていた気がする……」
「そうでしょうね。結婚を延期する理由もネタ切れしていましたし……あ、いま頭に旦那様がスフィア嬢に式場に引きずられていくシーンが浮かびました」
「やめろ」
「でも、可能性はゼロではないではありませんか。だって旦那様は……「私がアレックス様の妻、ラシャータ……独身ですし」
自分の言葉を遮ったラシャータの言葉をロシェットはさらに遮る。
「それには俺も驚いたわ」
「ですよね」
ウィンスロープの誰もがアレックスは『ラシャータ・スフィア』と結婚していると思った。貴族の離婚は本人立ち会いによる同意が必要。あのラシャータが同意するわけがないとアレックスたちは頭を悩ませ続けていた。
―― アレックスと『ラシャータ・スフィア』の婚姻届はまだ神殿に受理されてないぞ。俺が決済してないから。
(まさか国王陛下の執務室の未決済ボックスに残っているとは思いませんわ)
当主の結婚には国王であるファウストの承認が必要。アレックスは当主。「うっかり」とファウストは言っていたが自分が出した最初の王命のキモと言える婚姻届の裁決を忘れていたなどウィンスロープの誰もが考えていなかった。
「……独身? 痛痛、痛痛痛痛」
「そうだ、俺には妻はいない」
「痛痛痛痛っ、でっでは、これから私たち、式を挙げられるってことですっ、うううぅぅぅ、痛痛痛」
(……んん?)
「ドレスもぉぉぉぉ………ぅぅぅ痛い……式も祝福もない結婚なんてあり得ないぃぃぃぃからぁぁぁぁ」
アレックスが戸惑った顔でロシェットを見た。
「どういうことだ?」
「痛みに慣れてきたのでは? 少しずつですが話している内容が聞き取りやすくなっております」
「それじゃなくて、言っていることだ」
(ああ、そういうこと)
ラシャータ理論では、結婚していないなら結婚式ができるではないか、という結論になっている。結婚式というイベントはラシャータにとってとても重要だということはロシェットにも分かった。
(花嫁衣装は女の夢といいますし……うん、やはり旦那様は……)
「旦那様にレティーシャ様はもったいない」
女心のわからないやつに大事な大事なレティーシャはやれない。ロシェットはそう思った。
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