第29話 幽霊聖女は冬の足音を聞く
「とても可愛らしいですね」
侍女たちに誘われて犬の飼育場にきたレティーシャは生まれたばかりの子犬たちに目を輝かせた。彼らは狐狩りのときに活躍する猟犬らしいが、子犬の状態では可愛らしさしかない。
「たくさん生まれたんですね」
「今年は三匹が子犬を産みましたからね」
ロシェットの指すほうには茶色い犬二匹と白い犬が、等間隔に間をあけて寝そべっていた。この三匹が子犬たちの母親らしい。
「お父さん犬はどちらにいるのかしら?」
あちらに、とロシェットがさした先には一匹の黒い犬。
「閣下がお育てしたシャドウで、あの三匹は全員彼のお嫁さんです」
「まあ」
「見合いしたときシャドウの他に二匹用意したのですが、三匹ともシャドウにしか興味を示さず……シャドウも満更ではないようだったので三匹をお嫁さんにしたわけです」
「犬は飼い主に似ると言いますものね」
バサバサバサッと音がして、そちらを見るとアレックスが呆然と立っていた。何かの確認のためにこちらに来ていたようで、「書類が!」とロイが風に舞う紙を追いかけている。
「アレックス様、書類が……」
「書類などどうでもいい」
ロイは「重要書類が!」と叫んでいるけれどいいのかと思いつつも目の前のアレックスは深刻な顔をしていたから、『こちらのほうが重要』とロイのことは放っておくことにした。
「俺がシャドウに似ているって?」
「え?」
「先ほどそう言っているのが聞こえたのだが……それは誤解というか、なんというか……」
「自業自得」
「そう、自業自得……え、自業自得って……ええ?」
アレックスから『君が言ったのか?』というどこか絶望した目を向けられたので、レティーシャは首を横に振ってアレックスの後ろを指さした。
「……オリー」
「五人も六人も愛人がいそうっていうのは自業自得ではありませんか、お兄様」
「増やすな……いや、増やすも何もゼロだから、愛人なんて一人もいないからな!」
アレックスの剣幕を「はいはーい」とオリヴィアは軽くいなして、レティーシャにシャドウのどこがアレックスに似ているか尋ねる。
「犬のメスは強い子を産みたいから強いオスを探すと聞いたことがあります。ですからシャドウもアレックス様に似て強いオスなのだと思いましたの」
「他にはありませんの?」
こてっと首を傾げると、オリヴィアがシャドウを指さす。
「あの三匹を見てくださいませ」
そう言われてメス三匹を見たものの、レティーシャの耳はロシェットにふさがれた。おかげでレティーシャはシャドウの関心を買うために三匹のメス犬たちが繰り広げるちょっと卑猥な女の闘いの詳細を知らずにすんだ。
「ロシェット?」
「失礼しました。耳元に虫がいたので……飛んでいってしまったのでご安心くださいませ。旦那様、オリヴィア様、お二人ともお気をつけくださいませ」
「す、すまない」
「わ、分かったわ」
「それで、お二人ともなんのご用事で?」
「「キツネ狩りのことで話したいことがあるんだ/ありますの」」
(仲良し。でも、キツネ狩りって? ラシャータ様が参加したことがあったものなら聞きかじっているはずなのに……)
「キツネ狩りは王家が主催する行事で、地方に領地を持つ貴族の顔合わせの場だからスフィア伯爵は参加したことがないだろう」
「そうなのですね」
(よかった。それなら知らなくても不思議ではないわ)
「参加するのは当主とその後継ぎ、それぞれの妻や婚約者といったところだな。だから君に参加してほしいんだ」
「私が、そんな会に?」
そんな場に偽者の自分がいくなど恐れ多いことだとレティーシャが内心で慄くと、その手をオリヴィアがぎゅっと握った。
「安心してくださいませ。私もシャドウも参加しますから」
「なぜ俺ではない?」
「失礼しました。お兄様とシャドウを間違えてしまいましたわ、とても似ているので」
ホホホと笑うオリヴィアに、アレックスは苦虫を噛んだような顔を向ける。そのいつものやり取りにレティーシャの肩から少し力が抜けたが――。
「俺がキツネ狩りに出ている間は君のことを気にかけてほしいと、マリアローゼット王妃陛下にお願いしておいた」
「王妃、陛下!?」
(なんでそんな雲上人が? あ……アレックス様は現王の甥っ子だから、王族の方々とも親しいのよね)
アレックスにとっては叔母に妻の面倒を頼んだようなものなのだろうと、レティーシャは考えを改めた。
「王妃陛下からは君に会えることを楽しみにしているという言葉を預かっている」
「それは……」
(参加は決定ということなのではないかしら?)
オリヴィアを見ると、にっこり笑って肯定された。レティーシャは腹をくくった。
「それではドレスを新調しませんとね」
「ドレス、ですか?」
嫁いできた当時のレティーシャのワードローブにはドレス数枚しかかかっていなかったが、いまはたくさんかかっている。
(アレックス様にご用達の服飾店に仕事を与えなければいけないと言われましたもの)
「一緒に作りにいきましょう」
「作りに、ですか?」
レティーシャは知らないが、アレックスが購入したドレスは全て既製品。何でも似合ってしまって片っ端から注文したら、「もうこれ以上は必要ない」とパンクしそうなレティーシャに止められてしまってオーダーメイドに至っていない。そのことをアレックスは「情けない。これだから釣った魚に餌をやらなかった男は」とオリヴィアにこき下ろされている。
「キツネ狩りは春の園遊会と並ぶ国のビッグイベント。ウィンスロープ公爵夫人であるお義姉様が着飾らないで誰が着飾るのです?」
オリヴィアの言葉にレティーシャが気圧されると、それを察したオリヴィアは雰囲気を和らげる。
「ごめんなさい、お義姉様。この世の誰よりもお美しい自慢のお義姉様を着飾って見せびらかしたいなんて、私ったら我侭だから」
「そんなことはありませんわ。過分な賛辞はさておき、私のために言ってくれていることは分かります。でもドレス……ドレスは……」
レティーシャにはドレスの選び方が分からない。でもそれを言う訳にはいけない。ラシャータは着道楽で、暇さえあればドレスを作っていたのだ。
「王家主催のイベントは服装のルールが細かくてややこしいからな」
(……なおさら無理)
「だから『作る』といっても服飾師任せになってしまう」
(服飾師、まかせ?)
「色も黒か赤になるし、どっちのデザインがいいか比べて選ぶしかないだろう」
(それなら……)
どちらかと聞かれて選ぶくらいなら、アレックスと服を選んだときとさほど変わらないのかもしれない。
「それでしたら……」
レティーシャが承諾すると、オリヴィアは手を叩いて喜ぶ。
「それでは明日にでも」
「明日ではなく三日後だ」
オリヴィアが不貞腐れた顔をアレックスに向ける。
「ドレスを作るのには時間がかかるのです、明日には行くべきですわ」
「明日は王城の会議で仕事を休めない」
「……なぜお兄様がいなくてはいけないのです? 色のことといい、あまり煩く口出しされるとドン引きしますわ」
「俺が金を出んだから、俺にも口出す権利がある」
(確かにそうですわね)
「それでしたら明後日……」
「まあああ!」
オリヴィアが大きな声でレティーシャの言葉を遮る。
「なんと器の小さなことを。ちっさ、ちっさすぎますわ。懐の狭い甲斐性なしと軽蔑しますわ。お兄様から顔と金と強さを取ったら何が残るのです?」
(顔と金と強さがあればよいのではないかしら……?)
オリヴィアの兄に対する理想は高い。
「分かった、オリヴィアに任せる……よくそんなスラスラと俺の悪口が出てくるな」
「常日頃思っていることですから」
「お前、婚約者にもそんなに辛辣なのか?」
「ソーンは誠実ですもの」
「お前の産む子はソーンに似てほしいものだな」
「私もそう思いますわ」
(……子ども)
不意にレティーシャは冷水を浴びた気になった。子ども。それはレティーシャにとっても他人事ではない。有耶無耶な状況で結婚してしまったため、レティーシャはアレックスと夜を共にしたことはない。アレックスがいまは体の療養に専念しているからといっても、夫婦になったのだから「後継者問題」は避けることができない。
(素敵な方たちに囲まれていて、幸せで、忘れてしまっていたわ……)
アレックスの本当の妻はラシャータだ。レティーシャではない。
(伯爵様から『戻れ』という連絡がきたら私は帰らなければいけない……のですけれど、なぜ今になっても連絡がないのかしら?)
アレックスが元気になり、騎士団に復帰したということは新聞に報じられている。父伯爵はもちろん、あのラシャータがそれを知って黙っているわけがない。何しろラシャータがずっと欲しがっていたアレックスの妻の座。ウィンスロープ公爵夫人の地位なのだから。
(もしかしてアレックス様より素敵な方を見つけた、とか?)
レティーシャはアレックスを見る。アレックスより素敵な人がいるかどうかと考え、首を横に振る。
(もしかしたら明日にでもその手紙が届くかもしれないわね)
レティーシャの予想は半分当たり、半分外れる。今日もレティーシャ宛てに父伯爵から手紙が届いていたが、それはグレイブに握り潰された上に彼の火魔法で燃やされレティーシャのもとには今日も届かなかった。新聞でアレックスの復活が報じられて以来、これがグレイブの日課である。
最近では、レティーシャから返事すら帰ってこないことに焦れた父伯爵により誘拐犯がウィンスロープ邸に送り込まれている。レティーシャの治癒力を秘密裏に利用した後ろ暗い者たちが父伯爵に協力しているが、ならず者など強さに価値をおいているウィンスロープの敵ではない。最終兵器はもちろんアレックスだが、それにいたることなく使用人たちが片っ端から撃退している。
この瞬間にも鼠がかかったようで、重要書類の回収を終えたロイから「鼠を捕獲しました」という報告をアレックスは受けた。
(また鼠ですのね……)
「アレックス様、シャドウたちは鼠は狩りませんの?」
「シャドウたちが出るほどでもないんだ。使用人たちがあっという間に退治してしまうからな」
「でも、あまりに頻繁ですわ。鼠も冬支度でしょうか。蓄えがなくなる頃ですものね。よく効く殺鼠剤があるのでよければ……アレックス様?」
クスクス笑うアレックスにレティーシャは首を傾げる。
「大丈夫、然るべき手段でちゃんと駆逐するよ。二十年近く巣くっていた鼠たちだから数は多いが、もう直ぐだ。キツネ狩りが終わればパタッといなくなるだろう」
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