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第26話 幽霊聖女は静かに立ちあがる

「奥様、そろそろ旦那様がお帰りになります」

「分かりました」


ロシェットに軽く化粧を直してもらって、レティーシャは玄関ホールに急いだ。午前中はウィンスロープで鼠が出る騒ぎになり、その報告でアレックスは登城していた。


(公爵邸はお城の目の前だから、お城にも鼠の注意をしにいったのかしら。厨房だけじゃなくて備蓄倉庫も鼠に荒らされたって伯爵邸の使用人たちがよく言っていたもの)



玄関ホールにつくと誰かがレティーシャに気づき、道を開けてくれた。並ぶ使用人の間を抜けてグレイブの前に立つ。こうしてアレックスを出迎えることにも慣れてきたとレティーシャが想ったとき、アレックスが帰ってきた。


「おかえりなさいませ、アレックス様」

「ただいま、奥さん。ケヴィンとオリヴィアは?」


「お二人ともお部屋にいらっしゃいます。呼んでまいりますか?」

「いや、全然、いなくて構わないから」


首を横に振るアレックスの頭の向こうに空が見えた。アレックスと共に行動しているロイがまだ来ないからか、玄関扉はまだ開いたままだったからだ。空はまだ明るい。


(今日はいつもよりお帰りが早いですね)


「どうかしたのか?」

「空が明るいから、お早いお帰りだと思いまして……あと、夕焼けがとてもきれいだと……」


レティーシャは反射的に自分の目に手を当てた。


―― 君……目の色……夕日……。


(男性の声……誰? いいえ、最近聞いたような……伯爵様? ……ではない……とても優しい声、あれは……)



「どうした? 目が痛いのか?」

「……え?」


アレックスの声に顔を見ると、心配そうなアレックスの目と目があう。赤色に光るアレックスの目に映っているから、いまは琥珀色に変化させている瞳がレティーシャのピンク色の目に見えた。


「どこも痛くないなら、俺とデートしないか?」

「これから、ですか?」


「ちょっとそこの庭まで。二人なら立派なデートですよ、奥さん」


(庭……)


いいのだろうか、とレティーシャは思った。最近、ウィンスロープ邸は物々しい雰囲気が漂っている。レティーシャは何も言われていないが、肌で感じている。レダや侍女たちでさえもピリピリしているようだった。


「いろいろ察して朝の日課の散歩を控えてくれているだろう? 俺がいれば大丈夫だから」


『大丈夫』というアレックスの言葉がレティーシャの胸にすうっとしみ込んだ。そこがほわりと温かくなる。


「デート、したいです」

「決まりだ」



レティーシャの返事にアレックスは笑顔を見せたが、玄関を出るときにはアレックスの顔が膨れていた。


「まったく、庭に出るだけだぞ」


散歩なら着替えなくては。新しい靴では靴擦れができる恐れがあるから変えなくては。やっぱり上着を。こっちの上着のほうが。過保護な侍女たちにより、レティーシャが庭に出られるようになったときには太陽は山の向こう。空も薄暗い。


「きれいな茜色の夕焼けだったというのに」

「私は夜目もきくほうなので十分楽しいですわ」


レティーシャがそう言えば、アレックスはレティーシャの顔を見て満足気に微笑む。


「それならよかった」


滴り落ちそうなほど優しさがしみ込んだ、低くて耳に心地のよい声。甘いと感じる微笑みと相俟って、レティーシャの胸がグッと苦しくなる。


(ダメですわ。だってまた伯爵が……)


頭に浮かぶのは、血溜まりに横たわるウィンストン。犬の黒い毛とアレックスの黒い髪が重なり、悪寒がレティーシャの体を駆けた。



「寒いか?」


そう聞いたのに、レティーシャが答える前に肩にアレックスの上着がかけられた。特殊な素材を使っているわけではなさそうなのに、自分が羽織っているのと同じそれはとても重くて大きい。


(こんなに大きな方なのね……)


中肉中背のスフィア伯爵とは比べものにならない大きな体。腰に差した剣は近くで見ると大きくて重そうだが、レティーシャはアレックスがそれを片手で悠々と振り回しているのを見ている。


(伯爵様が……アレックス様に……?)


伯爵が振り回すのは乗馬用の鞭。かつてレティーシャには怖いものだったが、あれを構えて立つ伯爵と腰の剣をとって構えるアレックスを想像してレティーシャはおかしくなった。伯爵が滑稽で、あまりに小者だった。



「レティーシャ? どうし……」

「お義姉様、どうなさったの?」


アレックスの声に被さるようにオリヴィアの声が聞こえた。


「オリヴィア様?」

「ごきげんよう、お義姉様。とても楽しそうに微笑んでいらっしゃるわ、素敵だわ」


振り返ると、オリヴィアとケヴィンが並んで立っていた。


「オリー……ケヴィンまで……何でお前たちがここにいる?」


「散歩ですわ」

「……だ、そうだ」


宵始め、群青色に染まる空の下、並び立って歩くロマンチックな夫婦のデートにおいて弟妹の存在は邪魔である。


「私もお義姉様と散歩したかったからに決まっていますわ」

「まあ、嬉しいですわ」


レティーシャが喜ぶと、オリヴィアは嬉しそうに笑う。そんなオリヴィアを見る兄二人の『仕方がないな』と苦笑するような目はとても優しい。


(仲の良いご兄弟だわ)


この三人のおかげでレティーシャは気づいたことがある。最初はこの『仲の良い』が羨ましいのだと思っていたが、いまは『きょうだい』が羨ましいのだと分かっている。


(私とラシャータ様の関係は『異母姉妹(きょうだい)』ではないのね。そして私と伯爵様の関係も……)


ロイとグレイブ、リイとカシムなどウィンスロープ邸には『親子』が何組かいるが、レティーシャと伯爵のような関係の人たちはいない。



(私に『家族』はいないのですね……死んでいますし……)


自分が死んだことになっている理由も方法もレティーシャには分からないが、死んだままにして隠されていた理由については分かっている。


レティーシャは伯爵邸から出ることを許されなかったが、月に一度馬車に乗せられ伯爵と共にどこかにいっていた。場所は分からないので『連れていかれた』というほうが正しい。


いつも月のない夜。その夜は小屋を出るときから分厚いマントを被りフードで顔を隠すように言われた。そして小屋に戻るまでフードをとってはいけない。


伯爵に連れていかれた先にはけが人や病人がいつもいた。人数はときによって違ったが、彼らはレティーシャのことを『聖女様』と呼び、伯爵には彼らを治すようにと言われたためレティーシャは治癒力を使った。


(あれはいけないことだった)


治癒力は国が管理しているから、レティーシャはそれが国王の指示だと思っていた。面倒だとか言って嫌がるラシャータの代わりに、だから治癒力を使うときピンク色に戻ってしまう瞳を隠していたのだとばかり思っていた。


でも違った。


彼らはレティーシャを、レティーシャでもラシャータでもなく誰も存在を知らない『三人目の聖女』だと思っていた。公爵邸の図書館にあった何代か前の当主の手記に聖女の護衛計画があり、王家が聖女に護衛兼見張りの者をつけていることを知った。彼らがいるためラシャータが勝手に治癒力を使うことはできない。


『三人目の聖女』、伯爵が自由にその治癒力を使える聖女。伯爵はそれを使って財産や権力を得ていた。財産のほうはレティーシャには分からないが、国王が一伯爵家に伺い立てていたことから権力のほうは想像できる。死から救う夢のような存在である聖女は、権力の象徴にもなり得る。夢と恐怖は表裏一体、聖女を使えば国を支配することもできる。野望ある者には禁断の果実だ。


(禁断の果実……)


当主の手記の端の方に【聖女は(わざわい)】とあった。数が多いうちは互いの抑止力になるが、聖女の数が減れば聖女を巡って戦争が起きる。聖女は禍、そういうことだ。


それを昔のスフィア伯爵は察し、聖女を国に委ねた。聖女の数が減ってきた頃の話なので、禍を押しつけたともいえるが、その辺りのやり取りは手記にはなくレティーシャには分からなかった。


手記に描かれていたのは聖女の守り方だが、守る方法は王によって違った。城で保護した王、神殿の奥に閉じこめた王。いまの王の聖女の守り方は知らないが、レティーシャの知る限りラシャータは自由に歩き回っていたから随分と人間的な守り方をしているのだろうと思った。


(本当に小者なのですね)


聖女を禍と記した過去のウィンスロープ公爵に比べると、スフィア伯爵は知恵も覚悟も足りていない。良いところだけを見て甘い汁を吸おうとするご都合主義。


(あんなことをしてまで、私を隠そうとしておきながら……ラシャータ様のおねだりであっさりと外に出したりして……そんなことなら、どうしてあんなことを……)



伯爵はレティーシャに対して誰にも見られないようにしろと言うだけだった。レティーシャの存在がバレたら縛り首だと分かっているくせに、子どもにその命綱を任せているのだから何かが足りないとレティーシャは思う。


(私は、必死でした……誰にも死んでほしくなかった……)


ラシャータを追いかけて伯爵邸に行った日、乳母の死んだ日。伯爵は「万が一お前の姿が見られた場合、見た者の命は無い」とレティーシャ脅した。レティーシャは怖くて気をつけたが、子どもだ。誰かに見られてしまうこともあり、そのときは容赦なくその脅しが実行された。柄の悪い男たちに引き摺られていく使用人の姿にレティーシャが泣いて助命を請うても、伯爵はそれを逆手に取って「お前の所為だ」とレティーシャを責め立てレティーシャを屈服させた。


小屋に出るのを怖がり、食料が少なくてガリガリに痩せていくレティーシャに変化魔法を教えたのは精霊のドモだった。「色さえ変えちまえば分からないもんさ」と優しい言葉でレティーシャを立たせ、「飢え死にしたくなかったら死ぬ気で覚えろ」とスパルタで教えてくれた。


何度も試して、伯爵からの使いが小屋にきたときレティーシャは練習の成果を試した。レティーシャを連れにくるのはいつも目の見えない老人で、レティーシャは髪と目の色を変えて彼のあとについて伯爵が待つ場所に向かった。


――― お前、なにを連れてきた!


レティーシャだと分からなかった伯爵は老人を鞭で痛めつけた。レティーシャだと分からなかった伯爵のミスで老人のミスではないのだが、この老人は伯爵の仲間だったからこの冤罪にレティーシャは罪の意識を感じずにいられた。



レティーシャは生きた。家事は乳母が教えてくれたから、ドモもいてくれたこともあって生きてこられた。レティーシャの料理は見様見真似であまり美味しくないが、それについては公爵邸できちんと学んでいるからいつかこの成果をドモに見せたいとレティーシャは思った。


(そういえば、作り方を知っているキャロットケーキだけは及第点でしたわね。あれは乳母が作り方を教えてくれたのでしたっけ?)


―― いつかあなたも好きな人に作ってあげて。


キャロットケーキの味を思い出そうとしたレティーシャの頭に優しい声が響く。


(……乳母?)


「旦那様」


グレイブの声にレティーシャの思考が中断した。見るとグレイブがアレックスに手紙を差し出していた。


「どうなさったのですか?」


いつものレティーシャならばアレックスのことに口を出さない。しかし読み終えた紙を畳んで封筒に戻すアレックスの顔が強張っていたためレティーシャは思わず尋ねてしまっていた。


「少し待ってくれ……ケヴィン、オリヴィア」


「分かった。義姉さん、兄貴を頼むね」

「お義姉様、お先に失礼しますわ」


名前を呼ばれただけでケヴィンたちが何を分かったのか分からないが、二人は屋敷のほうに向かい、気づけばグレイブもおらず、レティーシャはアレックスと二人きりになっていた。


「奥さん、触れてもいいかな」


デートだからエスコートをすると言って、アレックスの手はずっとレティーシャの手を握っている。それを忘れて許可をとるのかと、アレックスのうっかりをほほえましく思いながらレティーシャは了承する。


(……え?)


アレックスに抱きしめられるとはレティーシャは思ってもいなかった。


「明日、城に行ってくるよ」

「……アレックス様?」


アレックスは城の騎士。毎日登城している。今日もさっきまで城にいた。だからわざわざ「城に行ってくる」なんて、しかも抱きしめて言うなんて変だった。


「王妃陛下に呼ばれたんだ」

「王妃、様?」


マリアローゼット王妃。あまり表舞台には立たず国王を陰で支える王妃。穏やかな性格でいい人だとレティーシャはオリヴィアから聞いているから、アレックスの緊張の理由がレティーシャには分からない。でも、いま無性にレティーシャはキャロットケーキを作りたくなった。

 

「アレックス様、キャロットケーキはお好きですか?」

「……突然、だな。しかもキャロット……人参……」


(あら?)


「アレックス様は、人参がお嫌いなのですか?」

「……あれを好きな奴はいるのか? 国王陛下だって嫌いなんだぞ?」


「栄養があります」

「君も嫌いなんだろ。だって美味いなら『美味しい』と言うからな。それなのに『栄養があります』って、それって不味いってことだろう?」


抱きしめる体は大きな男の人のものなのに、触れた体から響いてくるの言葉は小さな男の子のような言い草。それがおかしくって、レティーシャは絶対にキャロットケーキが食べてもらわなきゃと思った。


(そうよ……思い出した、だって……)


―――人参を嫌いな……でも美味しそうに食べてくれたのよ。


「人参、人参はなぁ、人参かぁ」

「アレックス様」


レティーシャが呼び掛けるとアレックスがレティーシャに目を向ける。その目はとても優しくて、レティーシャはこのあと厨房に行くことに決めた。



「いってらっしゃいませ。キャロットケーキを焼きながら、帰ってくるのをお待ちしております」

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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よろしくお願いします。

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