第25話 侍女ロシェットは静寂を守る
「奥様、鼠が数匹邸内に入り込みました。駆除で騒がしくなるため、しばらくオリヴィア様と温室でお過ごしくださいませ」
「鼠、ですか?」
(首を傾げる奥様、とても可愛らしい)
ウィンスロープ公爵邸に不届き者が侵入した。
正確には誘い込んだ。屋敷の周りをウロチョロしている奴らに対して「目障り」「奥様の目に留めるわけにはいかない」「先手必勝」などと使用人の意見がアレックスのもとに殺到したため、アレックスはわざと隙を作って迎え撃つ形に作戦を変更した。
大した手練れでもないため駆除は「手の空いている者が暇なら」となっている。手の空いている者は大勢いた。何しろ聖女の力で肩こり・腰痛・失恋の痛みなどを治してもらった者たちが率先して『手の空いている者』になっているからだ。いつでも手が空けられるように率先して働く部下たちにグレイブやソフィアたちはとても満足している。
今回も手の空いている者たちが大勢参加。
温室から見える屋敷は貴族宅とは思えないほど賑やか。屋敷内はお祭り騒ぎだろうとロシェットは思う。何しろ剣が金属製の何かにぶつかる甲高い音がするし、小規模ながら魔法を使っている音もした。
(拳のみ使うように進言しなくては。切り傷や焼け焦げた跡のある場所を奥様に歩かせるわけにはいかないわ)
「大きなお屋敷だと鼠の駆除も大変ですね。私、よく効く殺鼠剤の作り方を知っていますわ。あちこちに置いてみたら、みなさん少しは楽できるのではないかしら」
(奥様、尊い)
レティーシャの可愛さにロシェットが無表情のまま内心で悶えていると、数人の騎士に囲まれたオリヴィアが温室に入ってきた。
「お義姉様、大丈夫でしたか?」
「レダ卿とロシェットが守ってくれたので何もありませんわ。でも、心配してくれてありがとうございます、オリヴィア様」
(……奥様)
レティーシャの賛辞に感激しながら、ロシェットは温室の防御壁を展開させた。いまウィンスロープ邸にはこんな場所があちこちにある。全てレティーシャの避難場所。アレックスは高精度の防御壁を展開させる魔道具を自ら作り設置した。
この防御壁は製作者本人でも壊せな……かった。過去形である。
それもこれも王国最強の騎士で魔法師のアレックスに壊せない強度に感心したオリヴィアが「夫婦喧嘩をしたらこの中に閉じ籠もればいい」とレティーシャに提案したからだ。アレックスは改良を重ね、自分なら辛うじて壊せるくらいの強度に調整した。
余計な一幕はあったが、アレックスは本気でレティーシャを想い、レティーシャのことに全力を傾けている。女性関係においてはやや軽薄という主の豹変した姿にロシェットは驚きつつも「この奥様なら当然」と納得している。
ロシェットの専属侍女仲間のトニアとリイもレティーシャに心酔している。レティーシャに対する恩義で侍女にジョブチェンジした二人だが、いまではレティーシャの魅力にはまり心酔しきっている。いまもトニアとリイは庭の中央で剣と杖を構えて迎撃態勢。先程レティーシャが「無理はしないように」とひと声かけると二人は「命に代えても殲滅する」と誓っていた。
(気持ちはわかるけれど、情報を吐かせるため殲滅してはいけない)
こちらに背を向ける二人とレダに「殺すなよ」と念を送ったロシェットは、レティーシャとオリヴィアのために紅茶の準備をする。
「大丈夫ですよ、オリヴィア。鼠が出たら私が追い出してあげます」
(気合を入れる奥様! 貴重過ぎる!)
この場に絵師がいないことを心底残念に思いながら、ロシェットは脳内のレティーシャ専用アルバムに今のレティーシャをしっかり残した。
「お義姉様!」
そんなレティーシャにオリヴィアは悶えていた。
女と食べ物に弱い兄たちの「いい人」発言を信用せず、タウンハウスに乗り込んできたオリヴィア。この行動についてはロシェットは同意している。料理が上手な美人は中身がどんな悪女でもアレックスとケヴィンにとっては「いい人」だ。
屋敷に乗り込むオリヴィアを寸でのところで捕まえた兄たちは『ラシャータ』がレティーシャであることを説明し、それについてはオリヴィアも納得した。しかし「レティーシャだからといっていい人とは限らない」と宣言した。常日頃から「レティーシャ様がご存命ならアレク兄様が美人に弱いだらしない下半身の持ち主になり下がらなかった」と言っていたオリヴィアの、ブラコンらしい見事な手のひら返しだった。
(秒で陥落しましたけれど)
レティーシャと対面して一時間後、オリヴィアはレティーシャに心酔していた。美人で優しい義姉と、不愛想で邪魔くさい図体をしたイケメンだけど女の敵である実兄。「ブラコン? なにそれ、おいしいの?」とばかりにオリヴィアはアレックスを邪険にし、むしろ邪魔だと追い払いレティーシャを独占している。
(奥様が聖女で天使で女神であることを差し引いても、旦那様のほうが分が悪いわ)
そのアレックスはピッカート領にいるソーン宛てに【早くオリヴィアを迎えにこい】と手紙を出していた。
「お義姉様が作られたこのクッキーは絶品ですわ」
「ありがとうございます。オリヴィアが食べてくれると思うと作るのも楽しいのです。いつでも作りますから、言ってくださいね」
初対面から、オリヴィアは義妹の特権とかいう訳の分からないものを振りかざしてレティーシャに甘えまくっている。レティーシャも甘えられることが新鮮なのか、嬉しそうにオリヴィアを甘やかしている。甘やかされてメロメロになるオリヴィア。メロメロのオリヴィアは可愛いとさらに甘やかすレティーシャ。無限ループだった。
二人は朝から晩まで一緒。ときおり一緒に寝ているので晩から朝までも一緒。そんな二人に焦れたのはアレックスだった。先ほどもレティーシャにクッキーを作ってもらうのだと自慢するオリヴィア相手に狡いと騒ぎ、当主の命令で「絶対に残しておけ」などと言っていた。
(取り分けた残りは遠慮なく食べていらっしゃいますけど)
当主命令だからオリヴィアはちゃんと守っていた。一枚だけ別皿に取り分けてある。「たくさん食べて下さいね」というレティーシャの言葉を優先した結果だ。同じ大きさの二枚の皿の上、一方は山盛りなのにもう一方は一枚だけ。少なさが際立つ嫌がらせだとロシェットは思った。
先日、主要な使用人がオリヴィアによって集められ『奥様に旦那様と離婚したいと思わせないための作戦会議』が開かれた。ネーミングセンスは問いたいがテーマは分かりやすかった。
レティーシャが離婚したい、つまりウィンスロープ邸を出ていきたいと思うとしたら原因は二つ。
「一つは住み心地が悪い。でもこれは問題ないと思うの。お義姉様は毎日満足そうだもの。そうなると問題はもう一つのほう、アレク兄様との結婚は嫌とお義姉様が思ってしまうことだわ」
そうならないために、初めのうちはレティーシャが好みそうなロマンスを演出するなど意味のある話し合いが行われた。しかし時間と酒が進み、話し合いは明後日の方向に進んだ。明後日の方向に舵を切ったのはオリヴィアの「アレク兄様の顔面偏差値の高さは認めるけど私はあんな男はごめんだわ」という発言だった。
ロシェットにとって主の下半身事情などどうでもよかった。でもそれは今までの話、いまは全くよくない。社交界に数多いるアレックスの過去の女たちの嫉妬がレティーシャに向き、レティーシャを傷つけるなどあってはならないからだ。オリヴィアの「アレックスは過去の華やかな艶聞を恥じるべき」という意見に同意し、ロシェットは「身綺麗にするため一年くらい神殿で潔斎させたらいい」という意見を出しておいた。
こんな感じで話し合いはアレックスをディスる方向に進んでいき、ヒートアップするあまり「レティーシャにはもっと相応しい男がいるのでは」と本末転倒な展開になりかけたところでグレイブが慌てて軌道修正を図った。ロシェットとしては謎すぎるが、何を思ったのかグレイブは会議の場にアレックスを召喚したのだ。
深夜に寝床から引っ張り出されたアレックスは不機嫌を隠さなかった。会議の内容を聞いてさらに不機嫌になった。しかしソフィアの「旦那様の過去を洗いざらい奥様に話してお心積もりをしていただいては?」という力技の発言に顔を青くして慌て、最終的にはアレックスの「レティーシャを裏切ったら去勢してくれて構わない」という発言で会議は終わった。
(人間も家畜用のでいいのかしらとオリヴィア様が本気で悩んでいたことは黙っておこう)
一人頷いたロシェットは屋敷が静かになったことに気づいた。それと同時にアレックスが温室に向かって歩いてくるのが見える。アレックスが頷くのを確認してから防御壁を解除した。
「お兄様、駆除は終わりましたか?」
「駆除は終わった。逃した一匹をカシムが追って巣を探している」
(先代頭領、張り切っているわ)
孤児のロシェットを拾ってウィンスロープの御庭番にまで育てたのは先代頭領である元庭師で現料理長その二のカシムである。御庭番は世襲制ではないので娘のリイは父親の正体を知らない。
「ロシェット、王妃陛下の犬が我が家に紛れ込んだようだ。いまガロンが保護しているが、驚かせてケガをさせてしまった。詫び状を用意するから、それを持って急ぎ送り届けてくれないか?」
「畏まりました。旦那様の登城を求められたらいかがしますか?」
「直ぐに伺うと伝えてくれ」
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