第23話 弟ケヴィンはあの兄のヘタレに驚く
ケヴィンにとってアレックスは自慢の兄。仲がよいから気心も知れていて、誰よりも強くて頼りになる当主だ。
スタンピードの最前線に立つと聞いたときも、心配ではあったがアレックスなら大丈夫と心のどこかで思っていた。実際、最初の数日は予想通りの報告を受けていた。不眠不休で戦っている。三面六臂の活躍をしている流石は兄貴とケヴィンは思っていた。
そのアレックスが倒れたと聞いたとき、始めは冗談だと思った。もしかしたら疲れたのかもしれない。休めば治ると、まさかアレックスが死線を彷徨うことになるなど思ってもいなかった。
目が覚めたという連絡がすぐに来るはず。
そんなことを思いながら、ケヴィンは領主代理として周辺の領主たちと国境線の維持に努めた。アレックスの不在を知った周辺各国や蛮族たちがいい気になり始めていたから。
すぐにいい報せがくる。
そう信じるケヴィンを嘲笑うようにアレックスの容体はよくならない。それどころか悪化するばかり。
グレイブから「いつでも王都に来られるように準備をしておいてください」と連絡を受けたときは、、アレックスが死んでしまうに違いないとケヴィンはオリヴィアと一緒に泣いた。
アレックスが倒れて半年、国王が王命を出した。スフィア伯爵家に出されたものだったが、ケヴィンからしてみれば「アレックスと結婚させてやるから治せ」というもの。ラシャータを公爵夫人として受け入れろというウィンスロープへの命令に思えた。
当時のアレックスは体のあちこちを腐らせ、かろうじて生きてはいるという状態だった。そんな状態のアレックスをあのラシャータが治すだろうか。
なにしろ聖女なんて肩書だけ、ラシャータはアレックスを殺して自由になるのではないか。グレイブにはラシャータを厳しく監視し、小まめに報告するように言いつけた。
そして、報告にケヴィンは目を疑った。ラシャータはアレックスの傍を離れず、治癒力を使うだけでなく少しでもアレックスが心地よいようにと腐臭のする体を拭いて清めているという。
ラシャータの豹変についてはオリヴィアのほうが冷静だった。何が目的であってもアレックスを治すならいいではないか。つまり、アレックスを治せばこっちのもの(何とでもなる)ということ。怖い妹だとケヴィンは思った。
アレックスが公務に復活し、これでももう聖女に頼る必要はない。つまりオリヴィアのいう『何とでも』を実行するときがきた……と思った矢先に、王都発行の新聞でウィンスロープ公爵夫妻がお忍びで甘々のデートをしていたことを知った。
◇
「なんだ、ロイかよ」
ロシェットに連行されるような形で第三応接室に連れてこられてケヴィンは膨れていた。次いで入ってきたのがロイだからケヴィンの機嫌はさらに悪くなる。
「すみません、私で。相変わらずケヴィン様は主ラブですね」
「気持ち悪い表現をやめろ、ロイ。それよりどうしちゃったんだよ、兄貴は。兄貴の元気な姿は無事は国の安寧につながるから新聞が大々的に報じるのは分かる。でも、甘々デートってなんだよ! いくら借りがあるからって何やってるんだよ」
「え……ケヴィン様、ご存知ないんですか?」
思ってもいないロイの反応。ケヴィンとしては『え?』である。
「確かに俺も教えなかったけれど……え、誰も教えなかったのか? え……」
「……なんだよ」
「ケヴィン様、可哀そう」
「よく分からないことを言って勝手に同情するのをやめろ! お前のこういうところ、本当にヤダッ!」
(知らない? 何が? くそっ、ロイに聞くのは絶対に嫌だ)
「……ロイ、ケヴィンを揶揄うのはやめろ」
「すみません、私の趣味でして」
「「違う趣味を見つけろ」」
兄弟に同時に突っ込まれたロイは笑い、「よかったですねー」とケヴィンを茶化した。これでまたケヴィンのボルテージが上がるところだったが、アレックスについて応接室に入ってきたカシムの姿に驚いた。
(カシムのやつ、なんでコックコートを着てるんだ? 味覚障害で庭師に……はあ?)
「トニア! お前なんて恰好してんだ!」
「騎士をやめて侍女になったからです。何か問題が?」
トニアはケヴィンが惚れ惚れする立派な筋肉を包む女。その女が着ているのは、可愛らしい侍女服。サイズは合っている。合っているのが、わざわざ作ったということだから余計怖い。
「俺はウィンスロープだから、戦えるかどうかで判断する。男も女も関係ない」
「ご立派です」
「でも許容できるラインというのがある」
「どういうことでしょう?」
心底意味が分からないというように首を傾げるトニアをみて、ケヴィンのほうが不安になる。
「変だって思う俺が変なのか? え? え、兄貴、俺がおかしいのか、そうなのか?」
「……それについてはあとでトニアとじっくり話し合え」
どつき合えと言っているように聞こえたが、アレックスはその話は打ち切りとでも言うようにトニアに向き直った。
「トニア、彼女は?」
「リイとレダ卿がついております。ケヴィン様への謝罪を預かっております。ご帰宅に気づかなくて申しわけなかった、と。怖がられている様子などは見受けられませんでした」
トニアの言葉にケヴィンはカチンときた。
「怖い思いをしたのは俺だよ! 腹が減って厨房に行けばあの女に悲鳴をあげられて。一体厨房で何やってんだよ。それで、次の瞬間にはカシムにナイフを投げつけられて。あれ、俺でなかったら眉間に刺さって死んでいたぞ」
「奥様に死体をお見せするところでした。ケヴィン様、ありがとうございます」
「礼じゃなくて謝れ」
「お前は自分の軽率な行動を反省しろ……と言いたいところだが、全ては俺がケヴィンに言い忘れていたからいけなかったんだろうな」
「そうでございます。旦那様が初恋の君との生活で『ひゃっほい』と浮かれポンチになっているから」
「……初恋の、君?」
ケヴィンの視線を感じたアレックスが照れ臭そうに頬を掻き、部屋を密度の高い防御壁で包む。周囲の音が完全に聞こえなくなった。
「結論から先に言うと、彼女はラシャータではない」
「……やっぱり」
(変身魔法で部下の誰かにラシャータの振りをさせているのか)
誰が用意したか分からないが下手な役者を用意したものだとケヴィンは思った。
「ラシャータではないが聖女だ」
「は? 新しい聖女が生まれたなんて聞いてないぞ」
「……お前の目には彼女が赤子に見えたのか?」
「いや……」
厨房で見た女を思い出す。
年齢はオリヴィアと同じくらい。色は魔法で変えられるにしても、顔の造形はラシャータに似ていた。
(まさか……)
「聖女レティーシャ? あの、三歳で亡くなった? え、生きていたよな?」
「当り前だ」
「え…………ええええ。」
「驚かせて……」
「ビックリ、彼女が初恋の君? 兄貴、ちゃんと初恋やっていたんだ。初恋なんて甘酸っぱいイベントとは縁がないと思っていた。あ、それともいまが初恋?」
「大事なのはそこではない」
そしてケヴィンはアレックスたちからこれまでの経緯を聞いた。スフィア伯爵がラシャータを養女にしてまで表舞台に出そうとしていることを聞いて、莫迦だなとケヴィンは思った。
「で、これは誰のシナリオ? ……といっても、できたのは一人しかいないか」
「この国で唯一王命を出せる我らの叔父上だな」
「なんのため? 聖女レティーシャが生きていることを知ったから?」
「それならスフィア邸を捜索して探し出せばいい。そちらのほうが簡単だ」
「簡単、なのかな……」
ケヴィンの呟きにアレックスは首を傾げた。
「伯爵が彼女に『家から出ろ』と言わなければいけなかったんじゃないか?」
「どういうことだ」
「奴隷と一緒だよ。奴隷商の摘発で見かける奴隷ってさ、『逃げたら痛い目に遭わせてやる』って脅されているから助け出そうにも隠れちまって自分からは絶対に出てこないんだよ」
「……だから、王命か」
「じゃないか、って話。あくまでも俺の推測だけど、悪い線じゃないと思う。あともう一つ。俺の勘が正しければ兄貴は彼女に惚れている」
「……まあ、そうだな」
「ん? ラブラブなんだろ?」
「相思相愛……とはいえないな」
「え? あ、もしかして先に関係をもっちゃって『今さら好きとか信じられない』って言われているとか?」
「……この間ようやく手を繋げたばかりだ」
アレックスの不貞腐れた声にケヴィンは笑う。
「兄貴が青春してる!」
即日ベッドインできる女しか相手にしなかったアレックスの意外な恋愛模様にケヴィンは遠慮なく大笑いした。
「結婚してるのに」
「いつ離婚されてもおかしくないからな」
「王命による結婚をそう簡単になかったことになどできやしない……ああ、そうか。彼女はあの聖女レティーシャだもんな」
レティーシャはあの悲劇の夫人サフィニアの娘。母に次いで娘にまで王命で結婚を強いることは問題になるだろう。
「兄貴が彼女と夫婦でいるためには、彼女がそれを望まなければいけないってことか。まあ、兄貴なら大丈夫なんじゃない? 新聞のラブラブデートだって本当のことなんだろう?」
「それがですね、旦那様ときたら本命相手にはからっきしで」
「正真正銘のヘタレです」
ケヴィンの問いにアレックスはグッと言葉を詰まらせ、代わりにグレイブとソフィアが答えた。
勝算を聞けば「五分五分でしょうか」と答えるグレイブに対して、「二割以下でしょうね」というソフィアの予測。ふんすっと断言する姿から、ソフィアの値のほうが真実味がある。
「ご安心ください、旦那様」
「ソフィア? 秘策でもあるのか?」
「旦那様の骨は責任をもって私が拾います」
「何でフラれる前提なんだ? その根拠は?」
「手紙です」
アレックスの問いにソフィアが遠い目をする。
「奥様に手紙の仕分けを頼みましたね」
「ああ。仕事をしたいと言っていたからな」
(え、マジ?)
見ればグレイブもギョッとした顔でアレックスを見ている。
「兄貴、見ないで渡したのか?」
「仕分ける仕事だから……」
「あのさ……兄貴宛ての手紙の八割は女からだから。“初めまして”はいいよ、初々しい可愛らしいものだから。問題は“ご縁”があったほう……ソフィア、中身もみちゃったのか?」
「見ちゃいましたね。私が気づいたときには八割ほど終わっていて、奥様曰く『声に出すなんてとてもできない情熱的なラブレターだったわ』とのことでした」
「……何てことしてくれたんだ」
がっくりと落としたアレックスの肩を、グレイブが優しく叩いた。
「旦那様、どんまいです。初恋は実らないものですから」
(……慰めていない)
そう思ったが、他人の恋愛はどうこうできないのでケヴィンは黙っていることにした。
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