第22話 執事グレイブは坊ちゃまの恋を導く
街歩きのあと、レティーシャは料理をするようになった。なにやらレアルト通りのご夫人たちから何かを学んだらしい。
貴族という形式に五月蠅い家ならば「公爵夫人が!」と諫めただろうが、ここはウィンスロープ。権力も資産も十分だから、社交だろうが趣味だろうが楽しめばいいという方針。レティーシャが厨房で料理を学ぶことに全員が協力的だ。
なにしろレティーシャには読書か庭の散策くらいしか趣味らしい趣味がない。そんなレティーシャの「したい」は大歓迎。
ソフィアはお針子たちと共にレティーシャによく似合うエプロンを七枚作製。曜日ごとの日替わりである。
料理長その一、カシムの弟子のガロンはレティーシャが安全に料理ができるよう、追加予算を申請してレティーシャ簡単に扱える調理器具を購入した。ウィンスロープは料理人もウィンスロープなので料理人たちもマッチョで、カシムが愛用している泡だて器など新手の武器にしか見えない。
料理長その二で元庭師のカシムは朝から日暮れまで庭で野菜の世話をしている。新鮮な野菜で料理をしてほしいという気持ちらしいが、カシムは「庭師に戻ればいいのに」とぼやいていた。グレイブもそう思う。
(あのお出かけで旦那様たちの仲も進展できれば良かったのですが)
アレックスとレティーシャの朝食の場所は食堂ではなくサンルーム。外の天気や庭に咲く花が見えて話題に困らないし(リイの案)、食堂に比べて遥かにテーブルを用意したので親密な雰囲気にもなりやすい(ロシェットの案)。おぜん立てはできている。
(それなのに……)
「アレックス様、今日は屋敷でお仕事ですか?」
食事中も何か言いたげにしていたレティーシャが意を決したように口を開いたのに。
「今日は騎……っ!?」
(……これだから)
小指の爪先程度の石礫をアレックスに飛ばして物理で言葉を止めさせたグレイブ。最近はこれが必須なので、グレイブは残量確認を心に留めた。
ちなみにこの技術。強さと当てる場所を変えれば、相手を行動不能に陥らせることができる。流石に今回はそこまでではないが、痛みは十分。
(恨めし気に睨まなくとも……剣でも勝負は先を読むのがお得意なのに。ポンコツな旦那様に恋も戦なのだと認識させなくては」
レティーシャはあの「ここ連れてって」「あれ頂戴」と要望をダダ流しにするラシャータではない。細かな仕草や言葉の端から要望を察しなければいけない。
(恋愛初心者には難易度の高い方になりますが、かといって『パス』はできないですし)
自分が一肌脱ぐしかない。そう思っているのはグレイブだけではない。ウィンスロープの使用人全員が思っている。
「今日の旦那様は、お屋敷でお仕事です。ずっとお屋敷にいます。騎士団になどいきません」
強めの圧が聞いたのか、アレックスは素直に首を縦に振った。
「もしよろしければ、アレックス様の昼食を作らせていただけませんか?」
「君が?」
「もちろん、ガロンと一緒に作りますわ」
「……ガロンと?」
(昼食を奥様が作ってくれるのは嬉しいけれどガロンとというのが気に入らない、と。分かりやすいお表情ですな)
カシムは娘もいる愛妻家だが、ガロンは現在彼女募集中の独身。なぜガロン、カシムはどうしたというアレックスの心の声が聞こえるようだった。
「奥様、ご昼食にサンドイッチはいかがでしょうか?」
サンドイッチはレティーシャ一人で何度か作っている。それならカシムの手を借りない。かりたとしてもほんの一時で終わる。
「サンドイッチか、嬉しいな」
グレイブは自分のファインプレーを自分で褒め称えた。ついでに片手で食べられるから、溜まりに溜まった書類の処理も進むはず。
こうして今日の昼食はレティーシャの手作りと決まったため、仕事内容を書類の処理に変えられてもアレックスは文句を言わなかった。それどころか機嫌よく決済を進めていく。
アレックスは書類仕事が苦手ではない。ただやる気がでないだけ。そしてやる気スイッチはすでに分かっている。またこの手を使おうとグレイブはそう決めた。
ただ難点は、これが長続きしないこと。
「レティーシャのエプロン姿、可愛いだろうな」
「可愛らしいでしょうね」
「カシムもガロンも見ているんだよな」
「そうでしょうね……どこに行かれるのです?」
グレイブはアレックスの両肩に手を置き、立ち上がろうとするのを押し留める。彼が年齢一桁のときもこんなことをしたな、と思いながら。
「食事の時間まで頑張ってください」
「作り終えたらエプロンをとってしまうじゃないか」
「この時間の厨房は戦場です。可憐な奥様はよろしいですが、図体がでかい旦那様は邪魔でしかありません。サンドイッチが食べられなくなりますよ」
「それは困る」
こうして厨房突撃は防げたものの、紙の端にぐるぐると円を描いたり窓の外を見たり、仕事にならないと判断したグレイブはアレックスを街まで買い物にいかせることにした。
「お金を渡しますから、奥様がお好きそうなお菓子を買ってきてくださいませ」
「五歳の俺にも同じようなことを言ったな。小遣いもってお使いって、公爵に行かせるか?」
「寄り道をしてもいいですが、ご飯までには帰ってきてくださいね。帰ってきたら手洗いとうがいをするんですよ」
「はいはい」
屈託なく笑う顔は保護者である前公爵夫妻が亡くなってからあまり見なくなったものだが、レティーシャが来てから見ることは増えている。五歳どころか生まれたときからアレックスを知っているグレイブとしては感慨深いものになり、レティーシャを見つめる甘い顔にグレイブは亡き主を重ねる。
(あの坊ちゃまがこんなに大きく……ああ、そうでした)
「旦那様、ついでにこの発注リストを商会にもっていってください」
「別に構わないが……かなりの量だな。どうしたんだ?」
「このあとケヴィン様がいらっしゃるからです」
アレックスが首を傾げる。
「ケヴィンが来るのは来月だろう?」
「先ほど鳩が手紙を持ってきまして、『今日そっちに着くからよろしく♡』だそうです」
「……計画的な抜き打ちだな」
おそらく先日のアレックスとレティーシャのデートについて聞いたのだろう。ケヴィンはその『ラシャータ』がレティーシャとは知らない。だから彼の心境としては「どうしちゃった、兄貴!?」なのである。
「嫌な予感がする」
「同感です」
そして、嫌な予感こそよく当たる。
突如警報が鳴った。おつかいから帰ってきたアレックスを出迎えていたときだった。
「タイミング、場所は厨房……不法侵入者はケヴィンだな」
正面玄関から入ればケヴィンに挨拶する者たちが次々と現れ、なにか食べられるようになるまで時間がかかる。それなら忍び込んで先に何か食べようとするのはケヴィンらしい。
ケヴィンらしいが……。
「旦那様、奥様がまだ厨房にいらっしゃいます」
「げっ!」
本当に、「げっ!」のタイミング。レティーシャに会わせる前にケヴィンに事情を話すという計画が台なしである。
舌打ちして走り出したアレックスのあとを、グレイブは追う。徐々にひらくアレックスとの距離。愛用の武器であるメイスが重く感じた。
(年はとりたくないものだ)
遅れて厨房に駆け込むと、ケヴィンはレティーシャの専属侍女で護衛のロシェットに捕縛されていた。髪と目の色は違うが、やはり侵入者はケヴィンだった。
関節を固められて動けないケヴィンを呆れるように見下ろすアレックス。ケヴィンの口から「うー」とか「むー」としか聞こえないのは、その口にジャストフィットするサイズのリンゴが押し込んであるからだった。
レティーシャの姿を探すと無事……どころか、箱状の防御壁に包まれていた。
発生させたのはカシム。ガロンの姿がないことから、レティーシャの料理の先生役を弟子から奪ったのだと推察された。
後進に任せたならあまりしゃしゃり出てくるなと言いたいが、自分が同じ立場なら似たようなことをしたと自覚があるのでグレイブは黙っていた。
ここにカシムがおり、レティーシャを防御壁で包んだのはよい判断だった。この防御壁には万が一に備えて風魔法で遮音効果も付与されている。今回の場合はケヴィンだが、愚か者の愚かな発言を不用意にレティーシャに聞かせたくないというアレックスの配慮だった。
(本当に仕事はよくできる)
「ケヴィン、一言も話さないと約束するならリンゴをとってやる。特に彼女についてのことは、だ。『誰だ』も『どうして』も一切なし……いいか?」
アレックスから醸し出る冷たい威圧にケヴィンは顔を青くしながらコクコクと何度も首を縦に振った。アレックスがケヴィンの口からリンゴをとると、同時にロシェットがケヴィンの拘束をとく。
「ケヴィン、まずは教えてもらおう」
アレックスは地の底から這い出た死霊のような声を出しながら、一枚の皿を持ち上げるパセリとか彩りの為の付け合わせはあるが、メインがない。
「この皿のもの、お前が食べたのか?」
「兄貴の分だったのか。悪い、食っちまった」
「二つなかったか?」
「あったけど、あのお……彼女が持ってる」
レティーシャを見ると、確かに両手でサンドイッチののった皿を持っていた。レティーシャ自身もなぜそれを持っているか分からなさそうな様子。咄嗟に一つ持たせてケヴィンの魔の手からサンドイッチを守ったカシム。
(よい仕事をしました……自分も食べたいとサンドイッチを強請ったようですけど、それは黙っていて差しあげましょう)
「状況と、俺がお前に怒っていいことだけは分かった」
「は?」
「ロシェット、ケヴィンを第三応接室に連れていってくれ」
第三応接室という言葉にケヴィンは眉をしかめる。第三応接室は執務室より完全防音。それほど大事な話ということ。
ケヴィンは勘がいい。その話が、いまこの場で唯一守られているレティーシャだと分かったのだろう。
(その前に……)
グレイブは布巾をケヴィンに投げつける。
「グレイブまで……」
「お口のソースをお拭きください、お行儀が悪いですよ」
「……はい」
ケヴィンが連行されると、アレックスはレティーシャを包んでいた保護壁を解除した。
「驚かせてすまなかったな」
「守ってくださってありがとうございます」
レティーシャは戸惑っていたようであったが、防御壁の中で落ち着いていた。
(肝の据わったかただ。やはりウィンスロープ夫人は奥様以外にいらっしゃらない)
レティーシャは厨房を見渡しているカシムに笑顔を向けた。
「カシムも、守ってくれてありがとうございます」
「いえ」
「でも、無理はしないでくださいね。カシムは料理人なのですから」
「もちろんでございます」
そう言いつつカシムは後ろ手に隠していた武器を器用に隠す。流石はウィンスロープ家のお庭番の棟梁。
「アレックス様、ご心配おかけしました」
「気にしないでくれ。いつだって不安になったら騒いでほしい。何事もなければただ笑い話ですむのだからな」
アレックスの言葉にレティーシャが驚いたような顔をする。直ぐにアレックスは厨房の片づけを指示するためレティーシャの表情の変化には気づかなかった。
驚きから照れくさそうな表情へ、そして恋を予感させる熱のこもった瞳へと変化していく。
(おやおや、これは……)
思わずグレイブの顔がニマニマと緩みそうになったとき、アレックスがレティーシャの目に気づく。
(これは、もしかすると……)
二人の関係に進展が?
グレイブが前のめりになりそうになっていると……なっているのに、アレックスは首を傾げる。
「防御壁の中は暑かったか?」
(ポンコツ!)
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