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第21話 騎士公爵は嫉妬に身を焦がす

「やり過ぎたな」

「奥様には免疫がないのですから。公爵家のみなさんはほどほどを知らないから。主の場合、一割どころか五分くらいの出力にしないと」


「……また半分になった」


生きているうちに最大出力が発揮できるのだろうか、と思いながらアレックスは店内を見る。中ではレティーシャが店の女性たちから水を受け取っていた。頭には濡れたタオルがあった。


(額ではないのか?)


彼女たちはこの辺りに並ぶ店の女たちのようだ。どんどん増えている。彼女たちがレティーシャを見る目は優しいどれもが母親のような、慈愛の籠った目。


(あれなら大丈夫だろう)


レティーシャの後ろにはレダがいる。レダがいれば多少離れていても大事はない。


(分かっているんだが……)


火照った顔を指摘されたのか、恥ずかしそうに顔を伏せるレティーシャ。


「可愛過ぎ……え、あんな可愛い生き物がいていいのか?」

「主が激甘ドロドロのポンコツになった」


近くにいた店の者が差し出したエールがアレックスたちの主従漫才を終わらせる。


「兄ちゃん、あの子にベタ惚れだな」

「嫁だからな」


「嫁さんか」

「俺もあんな嫁がほしい」

「彼女、妹かお姉さんいない?」


ラシャータのぼやんとした輪郭がアレックスの頭に浮かぶ。


「妹がいるが、全くお勧めしない」


「えー」とか「残念」とか言いながら、どさくさに店に入ろうとする男たちをアレックスは止める。


「兄さんたちだけビールを飲んでずるいだろう」

「うちのジュースは美味しいよ」


「金を払うからそれを寄越せ」


男の手からジュースを受け取って代わりに硬貨を渡すと、レダを手招きで呼んでレティーシャにジュースを持っていかせる。


「……兄さん、独占欲が強過ぎないか?」

「普通だろう」

「普通かねー」


硬貨とレダの後ろ姿を見比べる男の声は恨み節だ。


「俺、あの可愛い声で礼を言ってもらえたら三日後に死んでも悔いはない」

「それなら長生きしろ」


アレックスの言葉に男たちが一斉に笑い声をあげた。


オープンカフェの柵に寄り掛かるロイの隣で同じことをすれば、店の中の声がかすかに聞こえる。


「可愛いお嫁さんだねえ、うちの息子がもうニ十歳若ければ」

「うちの孫はまだ五歳だしねえ」


結婚を薦めたがるのは貴族も庶民も変わらないらしい。


(俺の嫁だというのに、なぜ中年男や幼児の嫁にしようとする)


「申し訳ありません、私には夫がいますので」


(……夫)


「うわあ、主が照れてる」

「本当に五月蠅い!」


アレックスは体を折って笑うロイを放置して店内に入る。名前を尋ねられたレティーシャが困っていたからだ。レダも対応に困っている。


「レティ」


全員の目がアレックスが向く。レティーシャの目は驚愕に見開かれていて、その中にある恐怖にアレックスは少し残念に思う。信じて、頼ってほしい。でも、それを言っていいものか悩む。信じて頼ってくれても、レティーシャが望む未来を自分が与えられるかどうかの自信がない。


「今日はお忍びでね。ここはレアルト通りだから彼女はレティ、俺のことはルトとでも呼んでくれ」


雰囲気から訳ありだと分かっていたのだろう、彼女たちはすぐに『レティ』で納得した。


「レアルト通りのレティちゃんね」

「可愛らしくて、品があるわ」

「あなたにとても似合っているわ」


レティーシャは嬉しそうに笑ったので、自分を気にせずお喋りを楽しんでもらおうとアレックスは外に出た。


「レアルト通りにきたのは、そういう理由でしたか」

「まあ、な」


レアルト通りは鍋や包丁など日用品を扱う職人の露店が多く並ぶ通りで、ロマンチックとは言い難い。ロマンチックなデートにしたいなら宝飾品やドレスを扱う店舗がならばノックス通りがおすすめである。


「こんなことしかできないけどな」

「嬉しそうだからよろしいのでは? それにしても、こうして見ていると『聖女』とは本来あの方のような存在だったのではないかと実感させられますね」


アレックスにはロイの言いたいことが分かった。


この場にいる者は誰もレティーシャが聖女だと知らないのに、この場にいる誰もがレティーシャを慕っている。何の見返りも求めない純粋な好意。女性たちの目が母親のように見えるのは、それがあるからだろう。


「あなたに似合いそうなリボンがあるの。髪に飾ってもいいかしら?」


「お姉ちゃん、お花もつけてあげる」


老婆が細い指で丁寧にレティーシャの髪にリボンを結わえ、少女がそこに小さな手で花を添える。リボンも花も、特に高価ではない。貴族令嬢が身につけるには質素なもの。聖女ラシャータ宛ての金銀財宝とは比べると金銭的価値はゼロ。


それなのに誰もが満足している。


老婆に礼を言って微笑みを向け、少女の頭を撫でるレティーシャは幸せそうだ。誰もがレティーシャを見ている。幸せそうな表情で。


 ぐううううう……ぅぅ


(ん?)


腹の鳴る音。レティーシャの顔が赤くなる。


「あ……」

「……食事、しておりませんね」


アレックスはロイは顔を見合わせる。ロイの手には、周りの露店で買ったはいいがまだ手をつけていない料理たち。


「……聞かなかったことにしてくださいませ」


食事にしようとレティーシャを誘うため、アレックスが店内に入ると赤い顔をしたレティーシャがもごもごと周りの女性たちに弁明していた。


「幸せの音色じゃない」

「幸せ?」


腹の虫のどこが幸せなのか。レティーシャだけでなく、アレックスも首を傾げる。


「お腹がすいたってことは何かを食べたいと思っているということ。何かを食べるということは生きるということ。つまり『生きたい』って思えているということよ」


(食べたい、か)


両親が死んで、本来なら父親の補佐をしながら学んだのちに就くはずの『公爵』になった。


筆頭貴族家の当主で王の甥だから表立って侮られはしなかったものの、小難しい言葉を使ってウィンスロープの不利益になる契約書だったり、使途不明の領収書だったり、「舐めてんのか?」と何度もアレックスの額に青筋が立った。


舐められないように。ただ我武者羅だった。食事などただの燃料補給。弟妹が領地にいけば王都に一人になり、食事は食堂ではなく書斎ですませる日々。


食べることは嫌いではない。でも、好きでもない。食べたいという欲求ではなく、美味しいと評判の店にいくのも「どうせ食べるなら」で食べていた。


(生きるために、食べる)


死にかけて、『食べる』を思い出した。絶え間なく続く痛みに「死にたい」と思うと同時に「食べたい」と全身が訴える。「食べたい」はどんどん大きく、強くなっていった。


体が欲するエネルギーや栄養は与えられていた。でも、そうじゃない。もっと原始的な、生物としてもっと荒々しい欲求。


求めたのは肉と魚。生物の血肉。それ歯で噛んで、体に取り込む。その過程における『ものにした』という感覚を味わいたかった。



(ものにした……ものにしたい)


アレックスの目は、自然とレティーシャに向かう。ものにしたい、女。愛しているから。その全てを自分だけのものにしたい。


一度は死んだと思って諦めたから、生きていたというこの事実が「欲しい」という気持ちを凶暴にする。誰も触れられない場所、見ることすらできな場所に閉じ込めたい。


外のことは何も知らなくていい。その日の天気すら知る必要はない。そこでただ生きていてくれれば……。


(とは、思えないんだよな)


そんなことをしたら、レティーシャは死ぬだろう。体は生きていける。燃料と栄養を与える手段はある。


でもアレックスが死ぬまで見ていたいのは、笑うレティーシャ。


髪にリボンを結ばれて、子どものように嬉しそうに笑う。少女の頭に触れて、優しく微笑む。恥ずかしいと、照れ臭そうに笑う。『生』を楽しむレティーシャ。


(愛しているから……)


分かる。楽しんでいることも。恥ずかしいことも。


(……誰だ?)


分かってしまう。レティーシャはこっちを見ているのに、その目は自分以外を見ていること。寂し気に。愛おしそうに。


(……その男、もう死んでいるのか?)


死んでいるなら、その身が別の男に奪われることはない。でも心は、いまレティーシャが想っている者のもの。


現にいま、寂しいも愛しいも全てそいつに向いている。レティーシャのそこにアレックスはいない。その事実に、アレックスはこぶしを強く握った。



(もう二度と瞳を藍色にするものか)

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