第2話 幽霊聖女は影嫁になる
翌朝、伯爵邸の裏門に馬車がとまるのがレティーシャには見えた。窓から外を見れば空はまだ宵が明けたばかりの薄紫色。
(ラシャータ様だったらまだ夢の中ね)
貴族の娘を迎えにくるには早すぎる時間だ。
(それほどまで閣下が心配なのね)
レティーシャは昨日のうちにまとめておいた荷物をぽんっと叩く。準備万態。
魔物と闘う術のないレティーシャは先の魔物の暴走を体を張って防いだアレックスに感謝していた。だからその恩返しとして自分にできる限りのことをしようと誓った。
(お嫁さんじゃなくて侍女のほうがよかったけれど、仕方がないと諦めましょう)
レティーシャは窓ガラスに映る自分の姿を見る。見慣れない。着飾った感じがして少し恥ずかしい。
いまレティーシャが着ているのは、ラシャータの侍女から渡されたラシャータのドレス。
ラシャータがいつも着ている露出の激しいものだったら嫌だなと思いながら確認したら、想像をよい意味で裏切ってレティーシャの好きな感じのドレスが入っていた。治癒のお礼として貴族夫人から贈られたものらしい。
侍女によると「地味過ぎて、野暮ったい、自分に相応しくないドレスだけど捨てれなくて困ってたのよね。丁度いいからあの婆さんからもらったドレスは全部あれにあげちゃって」とレティーシャは言ったとか。
顔も知らない女性だけど、レティーシャはこのドレスおよび類似した数枚のドレスをラシャータに送った老夫人に深く感謝した。だってラシャータには特に悪い点は見当たらない。麻の布に比べてはるかに上質な布の肌触りで、着心地がいいと感じるほどだ。
《おい、レティーシャ。お前、本当にその格好で『ラシャータ』を名乗るつもりか?》
脳内に響いた声に、レティーシャは後ろを振り返る。
暖炉の下から煤のように出てきた煙が固まって黒猫の形になった。家守りの精霊『ドモ』だ。
「嫁入りの挨拶は昨夜すませておいたはずですけれど?」
《ああ、あの『お嫁にいってきます』って買い物にいくようなノリで言われたやつな》
ドモはレティーシャの乳母が契約した精霊で、長い間この小屋を悪意から守ってくれていた。レティーシャにとって残された唯一の家族のような存在だ。
「私がお嫁にいったらどこかに行くと言っていたから、てっきり昨夜のうちに出発したかと」
《お前がレティーシャ・スフィアの間は有効な契約だからな。お前がスフィア・ウィンスロープになったらどこかにいくよ》
(それって……)
嫁にいくといってもレティーシャはラシャータを名乗るのだから、レティーシャが『レティーシャ・ウィンスロープ』になることはない。つまりドマはずっとここにいるということだ。
「昨夜は『もう会うことはない』という雰囲気ではありませんでしたか?」
《俺もそのつもりだったが、お前の危機管理不足が心配過ぎて出てきちまった。話は戻るが、本気でその格好で『ラシャータ』を名乗るつもりか? 決まっちまったことだから俺はウダウダ言いたくなかったから言わなかったが、そもそもお前にラシャータの真似なんてできるのか?》
ドレスはラシャータに贈られたものだから問題ないはず。
「伯爵様からいいことを聞きましたの。閣下の前でのラシャータ様は教本に出てくるような淑女だったんですって。意中の殿方の前であのような振る舞いは『ない』とは思いましたが、教本に出てくる淑女の振りなら何とかできますわ」
《いや、それってラシャータに激甘の馬鹿親父の評価だよな? よく考えろ、それは『超』がつくほど過大な評価だと思うぞ》
「でも、もうやるしかありませんわ。伯爵一家はもう家にいませんし」
伯爵夫妻はラシャータを連れて、昨夜のうちに領都の山奥にある山荘に向かった。名目は嫁にいったラシャータの幸せとアレックスの治癒祈願のためにその近くにある初代聖女の墓に向かうそうだが……。
「ウィンスロープ公爵様が亡くなったら戻ってくると仰っていましたが……助けることができたらどうしたらいいのでしょう?」
《……いいんじゃないか、そのまま放っておいて》
「行き当たりばったりが過ぎません?」
《今さらだろう。お前をラシャータに仕立てるって案だってかなりの力技じゃないか》
「確かにそうですね。それでは馬車をお待たせしているし、お嫁にいってきますね」
《だから買い物みたいなノリで言うなって》
クククッと笑いながらドマの姿はまた煙になり、空気に溶けた。
《言い忘れたが、貴重品はきちんと持っていけよ? まあ、あんなギラギラした伯爵邸が近くにあるこんなボロ小屋に好んで忍び込む盗人がいるとは思えないがな》
相変わらず甲斐甲斐しい精霊だった。
◇
「は、初めまして、ラ、ラシャータ様。ウィンスロープ騎士団のレダと申します」
「よろしくお願いします、レダ卿。無理をいって騎士様を裏口で待たせてしまって申し訳ありません」
レティーシャが頭を下げると、レダの口がカパーッと開いた。頭を下げていたのでレティーシャには見えなかったが、レティーシャが顔を上げてもレダは口をカパーッと開いたままだった。
(どんな表情をしていても美しい方だわ。ウィンスロープ騎士団にはこんな素敵な女性の騎士様がいらっしゃるのね)
その光景を小屋から見ていたドマは《早速か!》と叫んだが、レティーシャには聞こえなかった。
「ラシャータ様、ですよね?」
ドマの言う通り、早々とレティーシャはその正体を疑われたわけだが……。
「はい。ラシャータ・フォン・スフィアと申します」
レダはラシャータに会うのは初めてなのだろうと思ったレティーシャは挨拶をした。本当ならここでカーテシーをするべきかもしれないなと思ったが、カーテシーができないレティーシャは笑顔で誤魔化すことにした。それで正解。普通の貴族令嬢は迎えの騎士にそんな丁寧なあいさつはしない。
「……とりあえず、行きましょう」
この事態を『とりあえず』で纏めたレダは優秀な騎士である。しかし、彼女の難関はまだまだ続く。
「お荷物は?」
「これです」
ラシャータのドレスと一緒に渡された中古のバッグを掲げてみせる。ドモに言われた貴重品もしっかり入っているから問題ない……と、いうのはレティーシャの考え。
「え……本当にそれだけですか?」
「はい」
「失礼ですが、嫁入りですよね?」
「はい、お嫁にいきます」
「そんな市場にいくようなノリで……いや、失礼しました。荷物は私に……」
「いえ、自分で持ちます」
貴重品は肌身離さず。レティーシャは鞄を胸の前に抱えてギュッと握った。
「……そうですか。それでは、馬車にお乗りください」
「はい」
レダの手を借りて、レティーシャは馬車の前にあるステップを昇りはじめた。ワクワクしていたが、3段あるうちの2段目まで昇ったところで足が止まった。隣を見るとレダの高く結ばれた髪の付け根がよく見えた。レダのほうがレティーシャより背が高い。だからさっきは見えなかったわけだが――。
「どうしましょう」
「忘れ物ですか? それでしたら……「怖いです」……え!?」
レダは驚いた。
「あの、馬車ってこんなに高いのですか? それともこの馬車が特別なのですか?」
「あ、確かにこの馬車は高い位置から町を見たいと仰ったラシャータ様のために仕立てたものですが、そんな怖いというほどでは……今までだって……え、ラシャータ様? その、お手を……」
いままで乗っていたに怖い?
早朝に起こした意趣返しだとレダは思った。悪戯していないで早く乗れと、この時間にくるために早起きというか禄に寝られなかったレダはレティーシャの手を放そうとした。
そのレダの手をレティーシャは命綱のようにぎゅっと握る。
(離してはいけない、離したらもっと怖くなる)
「あの……」
「このまま手を繋いでいていただけませんか?」
「い、いえ、私は自分の馬に……「馬も一緒でいいですから馬車に乗ってください」……馬もって、そんな無茶な……」
レダの手を両手でぎゅうっとレティーシャは力の限り握る。
「お願いします!」
「と、とりあえず最後まで昇って……「きゃああっ」……ラシャータ様、少し不作法をしますがお許しください」
レティーシャが首を傾げるとレダは大きく息を吸いこんだ。
「せんぱーい!!ちょっと助けてくださーーい!!」
「まあ、大きな声」
早速です(*'ω'*)
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