第17話 幽霊聖女は秘密の花園で出会う
アレックスに会いにいくと決めて支度をしたものの、レティーシャは大事なことを忘れていた。馬車が怖い。
「王城は目と鼻の先。天気もいいですし歩いていきましょう」
「そうしましょう」
だからレダに歩いていくと言われたときはホッとしたし、初めての街歩きにいくのだとワクワクもしていた。
「奥様、ここはもう城です」
「え?」
公爵邸に庭を歩いて正門を抜け、目の前の大きな道を渡っただけ。
「街は……市場とかどこかしら?」
「市場は、あっちのほうですね。あの門よりこっちは城の敷地になります」
あの門というのはいま潜った門。道を渡る前、この大きな門をみて「立派な門だわ」と思っていたから確かだ。
「どうしましたか?」
「お店を見て回れるかと思っていたので、少し残念だっただけですわ」
なんだ、とレダが笑う。
「帰りは遠回りして帰りましょう」
レダの提案にレティーシャの気持ちが一気に浮き立つ。
「そうだ。閣下を誘ってみてください。騎士の仕事には城下の巡回もありますし、場所と時間に制限があるかもしれませんが一緒にいけるかもしれませんよ」
「まあ、どんなお顔をなさるかしら」
「楽しみですね」
そんなことを話していると大きな建物についた。レダ以外の騎士はここで待機だという。
「早馬で先ぶれを出したので、誰かが待っているはずなのですが……」
「レダ」
誰かがレダの名前を呼び、レティーシャがそちらを見ると「まあ」と思わず声が出た。
「近衛騎士団の団長殿です」
「とても素敵な方ですね」
そこにいたのはアレックスとは違った魅力のある壮年の男だった。普通の騎士服の何倍も煌びやかな近衛騎士の制服も似合い、「花のある」とい言葉がとても似合っていた。
「こんな爺に嬉しい言葉をありがとうございます。ロドリゴ・ドノバースと申します」
「物語に出てきそうな素敵な騎士様で、吃驚して思わず無作法をいたしました。申しわけありませんでした、ドノバース卿」
「え、あ……どうも」
この手のタイプには飾らないストレートな賛辞が効く。照れ臭そうにロドリゴは首の後ろを掻いた。
「団長がどうしてここに?」
「貴族会議で騒ぎがあって緊急体制で俺が駆り出された。レダは入城の手続きをしてこい。夫人は俺が護衛しているから」
「団長自ら?」
「あー……アレックス坊やの奥方だからな。問題があっては部下の首がいくつも吹っ飛ぶ。宥めるのは骨が折れる」
(アレックス……『坊や』?)
アレックスを子ども扱いするロドリゴにレティーシャが驚いた顔を見せると、それに気づいた彼はぱちんと器用にウインクして見せた。
「邪な考えや下劣な思惑はないのですね?」
「お前、俺のことを普段からそんな目で……まあ、仕方がないか」
「ご理解いただけましたら……」
「安心しろ。大丈夫だから。夫人もそう思いますよね?」
何を根拠にと呆れるレダの声を聞きながらレティーシャは男を見た。根拠はない。でも大丈夫と思った。
「レダ卿、私はドノバース卿と待っておりますわ」
「……奥様がそう仰られるなら…………分かりました」
「かなり悩んだな、レダ」
呆れた声を出しつつもレダを見るロドリゴの目はレティーシャには優しくみえた。その目が急に自分に向いてドキリとする。
「受付は人が多くて落ち着かないので庭園でも案内いたしましょう。こんな爺のエスコートでよければ、お手をどうぞ」
レティーシャが笑ってロドリゴの腕に手を乗せると、レダが諦めたようにため息を吐いた。
「奥様、何かあったら団長を盾にして逃げてきてくださいね」
レダが少し離れたところで、レティーシャはロドリゴに気になっていたことを尋ねた。
「ドノバース卿はレダ卿のご親戚なのですか?」
「分かりましたか? あの子は私の従姉弟の娘なのです」
(レダ卿が少し幼く見えたし、お二人はとても雰囲気が似ているもの)
「お優しい気配りをなさるところがそっくりですわ」
「野良猫のように警戒心が強かったあの子が骨抜きになった理由が分かりましたよ。さて、城自慢のバラ園に行きましょう。バラはお好きですか?」
ロドリゴのエスコートで庭園を奥に進むと、バラのアーチの前に彼と同じ近衛騎士団の制服を着た騎士たちが立っていた。
「こちらです」
「ここは……特別な場所ではないのですか?」
ここだけ騎士が立っている。
「確かにここは特別な場所ですが、夫人なら大丈夫です」
何の根拠も示されない『大丈夫』だが、優しい瞳にそれを信じることができた。
レティーシャはアーチを潜る。生垣の細いスキマを抜けて中に入ると、そこはバラの生垣で囲まれた小さな庭だった。
レティーシャの想像より小さい。でもどこか落ち着くここの雰囲気にレティーシャの体から力が抜けた。
庭の中心にはガゼボ。その中にあるテーブルの上には何冊かの本があるのが見える。ここは誰かの秘密の花園らしい。
「花のない時期で物寂しいですが、時期になったらピンクのバラが満開になります。それは見事な光景なので、バラの時期にアレックス坊やと来てみてください……なにか?」
「ドノバース卿はなぜ公爵様を坊やとお呼びに?」
ああ、とロドリゴは笑う。
「アレックスは国王陛下が大好きで、よく陛下のもとに遊びにきていたんですよ。必然的に俺は陛下とアレックスのお守りをすることになりましてね。子どものときのアレックスはそれはもう可愛くて、あの頃は陛下も俺たちもポケットに飴を入れて気を引こうと必死になりましたよ」
「公爵様にもそんな時期があったのですね」
それから彼はアレックスの幼い頃の話をいろいろレティーシャに話してくれた。
初めて聞くアレックスの幼い頃の話にレティーシャは夢中になったが、最後のおねしょが六歳だったと聞いたときはここまで聞いてしまってよかったのかと悩んだ。
「そう言えば礼がまだでしたね。アレックスを助けてくれてありがとうございます」
「団長様?」
深く頭を下げる団長の肩は震えていた。
「あいつの死んだ両親は俺の友だちで、忘れ形見にまで先に逝かれたら……」
「……お役に立てて嬉しいです。私も……まあ、大変ですわ!」
「え?」
ジョキンッという音がしてそちらを見れば、ぼさぼさの髪に茶色いオーバーオールを着た庭師の手から血がしたたり落ちていた。
レティーシャと同じものを見た近衛騎士団長の顔が青くなる。
レティーシャは庭師に駆け寄っていたので、近衛騎士団長が「あのバカッ」と呟くのは聞こえなかった。
「もし、大丈夫ですか?」
声をかけられと思わなかったのか、レティーシャを見る庭師はぽかんと驚いていた。
「……あまり大丈夫じゃない気がします」
「まあ! かなり血がでていますものね」
庭師らしき男の手の傷にレティーシャが顔をしかめる。
「そう……ですね。ちょっとのつもりだったのに、思いのほか強く……痛いものだね」
「よりにもよって右手をケガするなんて……仕事はどうするんだよ」
「血を流す友人の仕事の心配をしてくれるとは……」
(お友だち……このお二人が……?)
「え、ちょっと、本当に痛い。今度は痛くて涙が出そうだよ。止血ってどうやるんだ?」
「この馬鹿……ちょっと落ち着けよ。俺も落ち着くから」
(全く落ち着いていませんわ)
「団長様、そこをよろしいですか? 庭師さん、傷口を心臓の位置より高くしていてくださいませ」
レティーシャはポケットからハンカチを出して急いで止血する。
死ぬような出血量ではないが、ハンカチはどんどん赤く染まっていく。
(少しだけだから……)
治癒力を勝手に使うのはいけないことだから、分からない程度。
せめて血が止まるまで。
「……温かい」
「私は体温が高いのです。血は止まったようですが、そのままハンカチの上から強く傷口を押さえていてくださいませ」
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