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洛中楽Guys ー若き絵師たちの果敢ー  作者: 林海
第一章 まずは、我らのことなどを
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登場人物

狩野家の人々


○狩野 永徳

 狩野派四代目。

 永徳は法号。名は源四郎。

 祖父の画才を受け継ぎ、細かく緻密なものから、雄大で豪快なものまで幅広く描いた。

 二十三歳にして関白近衛前嗣(のちに前久(さきひさ)と改名)邸の障壁画を描く。

 狩野派の棟梁として織田信長の安土城、豊臣秀吉の聚楽第、大坂城などの障壁画を描いたが焼失し現存していない。


 洛中洛外図は、将軍足利義輝の下命により描きだしたものの、完成前に義輝が三好義継・松永久通らの軍勢によって殺害されたため、そのまま源四郎の手元に残った。

 その後、この洛中洛外図は、織田信長によって上杉謙信に贈られる。



○狩野 元信

 狩野派二代目。

 室町幕府の御用絵師、狩野正信の息子。源四郎の祖父。

 正信の画風に加え、漢画と大和絵の技法を取り入れ、狩野派の画風の完成させた。

 また、漢画を「真」「行」「草」の三種類の画体にまとめ、これを弟子たちに手本として学ばせて、狩野派として大量作画できる仕組みを作った。



○狩野 松栄

 狩野派三代目。源四郎の父。名は源七。

 父と子に比べ、華々しい作品は残さなかったと言われるが、宮廷や公家と交流を深め、狩野派の受注の基礎を作った。

 腹芸では、狩野家で並ぶものはない。

 作画は父の様式を忠実に受け継ぎ、柔かく温かみのある作品を残した。



○狩野 宗秀

 源四郎の弟。八つ年下。名は秀信。


○小蝶

 源四郎の腹違いの妹。

 松栄がどこかの女に産ませたと源四郎は聞いている。

 狩野の家に引き取られている。




狩野の派、工房の人々


●長谷川 等伯 

 能登国・七尾の仏絵師。初期の名は信春。

 本格的な上洛の前に、金を貯めては狩野派の画風を学びに短期の上洛を繰り返している。

 後には長谷川派を打ち立て、狩野派に対抗する存在となる。

 画才は源四郎を超えるものを持つ。




●雲谷 等顔

 肥前国津郡能古見城主、原豊後守直家の子。名は原治兵衛直治。

 狩野派の画風を学びに、短期の上洛を繰り返している。

 上洛後、狩野松栄の弟子となる。絵にとどまらない、多彩な才能を持つ。




京の方々


◎近衛 前嗣

 後の近衛 前久。

 五摂家筆頭、従一位・関白。上杉謙信と盟約を結ぶ。

 源四郎の最初の仕事である、近衛邸の障壁画を発注した、

 なお、鷹狩りを通じて織田信長と親交を結び、松平氏から徳川氏への創姓に関わり、羽柴秀吉を関白にするために猶子(養子)とした。




◎足利 義輝

 第十三代室町幕府将軍。

 源四郎が絵師として生きることを決定づける。

 長尾景虎(後の上杉謙信)の上洛を促すための贈りものとして、洛中洛外図を源四郎に依頼する。



武将の方々


◉織田 信長

 近衛 前嗣の鷹狩りの友。

 上杉謙信に洛中洛外図を贈る。

 この物語のきっかけを作った。



◉長尾 景虎

 後の上杉 謙信。

 朝廷、幕府でもっとも期待されている戦国武将。

 軍神と呼ばれるほど合戦に強く、義に厚い。



とりあえず、物語の始まった時点での肩書で記しています。

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