幼子
僅か12歳で公家を取り仕切る主人を、誠の忠誠で支える主人公が、信頼に価すると思っていた主人に、落とし子が有ったことを知ります。主人公と主人との信頼は揺らぐことは無いのか?!
何時もと同じ朝が訪れて、毎朝のルーティンを踏んで、今朝のお館様のご予定を基本にした、各部所の段取りを指示し、事務担当から本日の郵便物を、受け取りました。
食堂に立ち寄ると、膳部の担当者からお館様の朝食のご様子を聞き、お部屋へ伺うべく階段を上がります。
本来この、オルデンブルク公爵家は、当代様が代替わりの折、公領の北の外れに移されていた本邸を、王宮に近い本来の館に戻されたのです。
先代様の時代、公子宮と呼ばれたこの館に、双子の兄君マルグレーヴ様とただお二人、親御様に見捨てられたかのように過ごされてお出ででした。
先代様にお就きして、北の館に伺候した従来の使用人達は、既に高齢になっている者が多く、先代様の死去と共に引退してしまい、当代さまの元に戻ることは有りませんでした。
従って、代替わりと共に使用人達も、私を含め、新に召し抱えられた者達がお仕えするという異例の事態に成ったのでした。
当代様は、第16代オルデンブルク公爵コンスタンツ・アウロォラと仰います。双子の兄君マルグレーヴ様は、先代の国王に世継ぎが無かった為に、3年前立太子なさいました。
前国王は存命中、始め、当代様をお世継ぎにと思し召しだったのですが、兄君を差し置くわけにはいかないと、ご意向を固辞されたのです。
お怒りを買うかと思いきや、良いと一言仰せだったそうで、如何に当代様を愛しておいでだったのかと偲ばれました。
そういった先王の当代様へのご意向が、先代の公爵である父上様のご不興を買ってしまったのかも知れないと、ふと、思ってしまうのです。
南翼の先端にある当代様のお居間に近づいて参りました。ここは以前、戦時中には一時王宮として使われていた館でも有りました。
その名残が壁や天井等、其処此処に残っていて、代替わりの度に全面改修を繰り返してきた先例を踏まずに、必要な箇所だけを直した為に、当時の雰囲気がそのまま残っているのでした。
当代様は現在12歳。16代公爵と申し上げましたのは、事実上当代様としての職務を果たしておいでですのでそうお呼びしております。
扉をノックすると、部屋付きの小姓が、対応に出て来ました。
「お館様はおいでか?!」
「はい。お待ちでございます」
招き入れられて中に入ると、小姓は席を外します。
「おはようございます」
身仕度を済ませられ食事を終えられると、直ぐに書類に目を通されています。お年柄就学の年齢で有られるので、ただ今は、聖グラヴゼルに在籍されています。
現在は、春の休暇中ですので、在宅して公家の業務を見て居られるのですが、就学期には私が指示を頂く為に寮をお訪ねすることもございます。
「本日のお手紙をお持ち致しました」
「おはよう。ケイン」
書類から目を上げられ、こちらをご覧になりました。
何通かは以前にも寄せられた方からのご挨拶であったり、ご招待であったりするのですが、その中に、一通見慣れぬ筆跡のお手紙がございました。
トレイの上にその外の書状を並べ、初めてのお手紙をお示ししました。
「私にも覚えが無いな」
「では、こちらで開封致しますが…」
頷かれるのを確認して封を切り、封筒を載せて差し出しました。便箋以外には何も同封されて居らず、差出人は女性で、たおやかな優しい文字が綴られていました。
便箋を手に文字を目で追って居られる横顔は、白皙のと言う形容が如何にも頷かれる美貌が際立ちます。
まだ幼い、丸みを帯びた横顔は、年に似合わぬ大人びた鋭敏な印象も伺えます。が、この方の鋭さは公の方向にしか向きません。私共には、折に触れて覗く年齢相応の可愛らしい印象が強い方でした。
その、何時もは穏やかな碧の瞳が、手紙の文面に驚愕の目を見張ると、信じ難い内容を確かめるためにもう一度見返して居られましたが、思いも寄らぬ事態に呆然とされています。
「…アウル様?!」
声をお掛けすると、驚愕の表情を浮かべたまま、手にした手紙をお示しになりました。
「拝見しても宜しいので?!」
伺うのに、ただ頷かれました。
余程の出来事が無い限り、この方が言葉を失うと言う状況は有りえません。
先代の公爵が、早くから隠遁の様に、奥様の療養所と北に移した館とに籠もられてしまい、伴われた家令達も、公領の維持に関わらなく無っでしまったために、5~6歳の頃から館と、公領の運営を取り仕切って来られたのです。
その上に、3年前には大変な事件に見舞われ、御身も日常も漸く元の平穏を取り戻した今日この頃だったのです。
拝見したお手紙の内容は、驚愕としか言いようがございませんでした。
アウル様が王太子として望まれていた頃、シェネリンデの二大勢力、リント伯爵家と、カーライツ伯爵家とが勢力の均衡のために、それぞれの姫君をお二人の婚約者として定められると言う状況が有りました。
アウル様のお相手はリント伯爵のお孫様でロザリンド様、3歳お年上の目を見張るようなお美しい姫君でした。
アウル様が王太子の地位をお譲りになり、公爵家の後を継がれる事が表ざたに成ったとき、婚約を解消され何れかへ輿入れされる事に成ったと聞いておりました。
そのロザリンド様が、事故死なさったこと、加えて、アウル様との間のお子を遺されたと有るのです。
「…これは…」
思わずお見上げして伺うと、顔色を失われ焦点の合わない表情のまま、何処かうわ事の様に仰います。
「…信じられない…だけど、可能性は…ある」
このような事が本当に起きうるのだとは信じられませんでした。お子は2歳に成られると有ります。と、言う事は、やはり婚約解消の直後の様です。
アウル様は当時8歳、単にお兄様を思われての移譲でしたが、リント伯爵には外戚の地位を、兄上の妃に決まっていたゾフィー様の父上、カーライツ伯爵に取って代わられるという事態に成ったのです。
「…真実か否かを調査致させます」
言いかけた所へ被せる様に自失した唇が語り始めました。
「…夜…窓が叩かれて…開けるとローザが泣いてて…本当の夫婦に成りたい…って…」
涙が幾筋も伝い、次いで両手が顔を覆ってしまわれました。何も言って差し上げる事が出来ませんでした。
アウル様も、心身ともに早熟な方でしたが、ロザリンド様は3歳お年上の11歳。愛を失う危機感が彼女を女にしたのでしょう。
「…葬儀は明後日と有ります。お会いに成らなければなりませんね?!」
「会わせてくれるのだろうか?!」
「はい。でなければこの様なお手紙は参りません。ご心配には及びません。私がお伴致します」
「…すまない。手数をかけて…」
「何を仰いますか。これが真実で在れば、オルデンブルクの家には願っても無い継子を儲けられたのですよ」
「…ケイン?!」
信じられない面持ちで私を見詰めてお出ででした。
「お子は貴方とロザリンド様の間の男子で、オルデンブルク公爵家と、リント伯爵家双方の継承権をお持ちなのです」
そう言って、少し大仰に口の端を上げてご覧に入れると、呆れたように、ふ、と笑われました。
「…お前がそんなに野心家だったとは…驚いたよ」
少しでもお気持ちを変えて差し上げたいと思ったのは、功を奏したようです。
「私は、オルデンブルクの執事でございます。当家の為ならどの様な事でもさせて頂きます」
視線を落として聞いて居られたアウル様は、溜息と共に仰います。
「…私が何より公家の為に成らないかも知れないぞ」
冴え冴えと澄んだ碧の瞳に、ひたと見詰められると、身の引き締まる思いが致します。
昔から…お小さい頃から、この方はご自分と他との境を持たない方でした。仰ることにご自分の利益に成ることが無いのです。
その時々のなすべき事、口にすべき事が第1になりすぎて、ご自分というものが無くなる傾向が有りました。
ロザリンド様との事も、兄上に移譲なさると言う事はなすべき事で、どんなに彼女を思っていても、ご自分のお気持ちはしたい事だからと、切り捨ててしまわれる。
先程の涙は、ロザリンド様のお気持ちを顧みなかったご自分を悔やまれたのだと、推察致します。
「…花をお持ち致しましょう」
喪服に、抱えられた花束から、勿忘草の薄青い花片がこぼれ落ちました。記された住所は、ロザリンド様の乳母の家でした。小さな田舎町の外れのレンガ道の脇に、可愛らしい花の庭の付いた二階屋が有りました。身分を告げ、アウル様をお示しすると、驚きを隠しません。
「…本当にお出で頂けるとは…」
そう言ったきり、溢れる涙に彼女は言葉を紡ぐ事が出来ません。
「ローザに付いてお出での時に1度、おめに掛かりましたね」
口元を覆ったハンカチの奥から、驚きの目を見張り再び涙にくれました。乳母としてロザリンド様を本当に愛して居られたのだと知れました。
アウル様が彼女の背にそっと手を添えられると、それに力を得たようにロザリンド様の元へと案内に立たれました。
次の間の白い寝台の上に、ロザリンド様がお出ででした。事故と伺いましたが、白いゆったりとしたドレスに包まれて横たわるお姿からは、痛ましい様子は覗えません。まるで、眠ってお出での様でした。
アウル様が勿忘草の花束を、ロザリンド様の胸元に置かれました。まだ15歳の花のような姫君の白い胸元を飾る薄青の勿忘草が、痛ましさを殊更に募らせて滂沱の涙を誘います。
今、姫を目の当たりにされ、その深い愛情に初めて向き合われたのでしょう。ごく自然に、物言わぬ唇に触れられました。
「…ごめんね。ローザ」
一言だけ仰いました。
「お嬢様は、貴方にお報せしてはならぬと仰いました。ご迷惑をお掛けしてはならないと。でも…私…私が…勝手を致しました」
「ロザリンド様が何方よりお目に掛かりたいお方だと、よく存じて居りましたので…でも、本当においで頂けるとは思っておりませんでした。心から御礼申し上げます」
彼女の涙が本当の我が子を無くした母の様で、見ている者の胸にも迫るものが有りました。
と、その時、庭に通じるバルコニーの窓の隙間から、こちらを覗く小さな瞳に気が付きました。
ふわふわとした栗色の巻き毛が綿あめの様で、くるくると動く緑色の瞳が紛れも無く、アウル様の瞳を引き継いでおられるとひと目でわかりました。
きゅっと引き結ばれた口元が、幼い折のきかない父上様に、生き写しでいらっしゃいます。
泣いている乳母を心配そうに見られたかと思うと、お母様を見詰めるアウル様を不思議そうに見ておられる様は、利発な可愛らしさが伺えます。
初めまして、坊ちゃま。
私達を招き小さな居間に通すと、乳母が事の次第を語り始めました。
「…いまわの際に、リントのご家族には一切知らせてはならぬと仰いました。私の身内として葬り、坊ちゃまは私の子供としてお育てせよと申し遣ってございます」
話の内容に驚きました。
「亡くなった事も?!それはまた…どうしてそこまで?!」
「…ご自分を裏切られた方に…お爺様に、坊ちゃまをお渡ししたくないと…」
「裏切り?!」
「はい。お嬢様は、お爺様がご自分を愛しておいでだと、思っておいででした。信じて…おいででした。なのに、どんなに願っても聞き入れられず、手駒にするために、貴方から引き離したと、泣いておいででした」
手にしたハンカチをもみしだきながら、乳母は涙に声を詰まらせました。
「…ですから私、命に替えましても仰るとおりに致しますとお約束致しました」
他の者に何を言うことが出来たでしょうか?!今は彼女に託す他は有りませんでした。
葬儀に参列することを約束して、一旦引き上げる事に致しました。リント伯爵家に存在を知られずにお育ちに成るならこちらにしても悪い話では有りません。
それに…乳母から坊ちゃまを奪う結果になる事に、躊躇いが有りました。
戸口近くで別れを告げていると、また、可愛らしいお顔が此方を伺っています。乳母と話していて、アウル様は坊ちゃまにお気づきでは有りません。
目で追う私をちら、と見て、乳母に触れるかと思いきや、通り過ぎて、アウル様の喪服の裾をつ…と、引かれました。
気づいて見詰めるアウル様の瞳が坊ちゃまの瞳と重なりました。アウル様が何を思っておられるかは、少なからず察しが付きます。
様々な理由で、父上様に蔑ろにされてお育ちに成られた方でした。
立ち去りかけた父親を引き留めた幼子の、何気ない所作に心打たれておいででしょう。
諸手を延べると抱き上げられ、ロザリンド様の代わりのように抱きしめられました。
「やはり、私が実子として引き取りましょう」
抱き上げられた幼子の瞳を見詰めたまま、アウル様が仰います。ここへおいでの前からとうに決めておられた様でした。
「いいえ!仰せは有り難いとは存じますが、如何に閣下で有られましても、ご無理と申すものでございます」
アウル様は坊ちゃまに微笑みかけながら、乳母に向けて仰います。
「でも、何時か、この子に真実を告げなければ成らないでしょう?!この子がこの子で有るのは変わらないし、私がこの子の親で有るのも替えようがない」
「…確かに、私がこの時点でこの子に本当の愛情を持っているかと問われれば、実感も無い。でも、この子が真実を理解する時に、捨てられたのだと思わせるようなことはしたくない」
「得られるべきものが得られない子供が、どれ程惨めな思いをするかと言う事を、私が誰よりも知っているから…」
改めて坊ちゃまを見詰めて微笑まれ、ふわふわと柔らかな巻き毛を撫でながら、お聞きになります。
「お名前は?!」
「閣下、坊ちゃまはまだお口が…」
乳母が挟んだ説明に被せるように、精一杯の応えが返りました。
「…くいしゅ!!」
一生懸命に頬を染めて、小さなお口を尖らせて。
「そうか。クリスと言うのか?!では、クリス。次に父様が来るまで、おばあちゃまの仰る事をよく聞いて、待っていておくれ」
「分かるか?!」
問われると、満面に笑みをほころばせられました。
「はーい!!」
可愛らしいお手々を挙げて、応えられるクリス様と、たった今、父と成られたアウル様を、代わる代わる拝見する私の目も、涙で見えなくなってしまうのでした。
お読みいただき、有り難うございました。短編として書き綴って居るのですが、シリーズとしてずっと続きます。以後も宜しくお願いします!