旅立ち
『7月23日。今日は終業式。明日から夏休みだ。こうやって入学式から毎日ずっと日記をつけてきたわけだけど、最近特に書くことがないなあ。今日は勝太郎が彼女の鈴宮さんを図書委員の活動に連れてきたこと、あとは同クラスの信楽くんに神谷さんとの仲を聞かれたくらいだ。まあ学年一の人気者の神谷さんだから、こうして彼女のことを気にかける男子は少なくない。僕は少し鼻が高くなって、「結構仲いいんだ」って答えてみた。すると信楽くんはふーんと言ってどっかに行ってしまった。思ったより反応が薄くて残念だ笑。
○月○日追記。この日さえなければ、僕の毎日が地獄に凶変する事などなかったのだろうか。信楽の問いをもっと重く受け止め、違う答えを彼に返していれば、毎日誰かを憎みながら生きていかねばならぬこの地獄の日々を過ごす必要もなかったのだろうか。
…いいや。どのみち気づかれていたか。だが後悔などない。それでも僕は彼女が好きだ。彼女とたわいない話が出来るのならば、僕は地獄にだって迷わず飛び込んでやる』
今日で闘技場での練習試合から一ヶ月。
この間に、マルコとアリサは僕達にこの世界のことをより深く教えてくれた。二人は兵士としての仕事を終えた後、僕とリンカを連れ、町を紹介してくれたりだとか、町の人達に僕達のことを紹介してくれたりだとか、とにかくこの一ヶ月彼らは本当によくしてくれた。
そして、それは彼らだけでなくこの町の住人にも言えることだった。近所のおばちゃんは食料が足りないだろうと食べ物を分けてくれたし、近所の音楽家のおにいさんは退屈しないようにと僕達を誘って音楽会を開いてくれた。
これは僕達が最高階位だからではない。そもそも僕達が最高階位であることは町の中では秘密にしてある。
この町自体がそんな優しさと楽しさで溢れた町なのだ。
そんなこともあって、まだここに来て一ヶ月しか経っていないが、僕はこの町のことが大好きになっていた。マルコ達とこの町で過ごしたこの一ヶ月は本当に楽しい時間だった。
しかし、そんな大好きになったこの町を僕とリンカは今日旅立つ。
「いよいよだな。リュウ、リンカ」
いくらこの町が大好きだといっても、いつまでもここに止まるわけにはいかない。
なぜなら、僕達は自分達の世界に帰らなければならないからだ。
僕達がこの町を出て向かう先…それは世界の管理者イヴの住む場所「エデン」
「気をつけてね…二人とも」
アリサが心配そうに僕達を見つめる。
「エデン」はこの町から歩いて約二週間ほどの場所にある。さらに道中、ゴブリン達に出くわす可能性だってある。決して楽な道のりではないであろう。
「大丈夫だよアリサ。この一ヶ月、君にみっちり鍛えられたからね。リンカだってきっと僕が守ってみせるさ。ねっリンカ?」
「…」
リンカは未だに僕に心を開いてくれない。
このまま二人で旅にでて大丈夫なのだろうか?
そんな不安が頭をよぎる。だけど今さら後戻りはできない。
「じゃあ、そろそろ行くよ。短い間だったけど楽しかった。ありがとう」
僕はマルコ達に手を差し出す。
差し出された手をマルコが一番に強く握る。
「リュウ。無理なお願いかもしれないけど…管理者様に会った後またもう一度だけ町に戻ってきてくれないか?」
寂しそうな顔を浮かべるマルコ。
そんなマルコの願いを断る理由などなかった。
「もちろんだよ。たとえ元の世界に戻る方法が分かったとしても、マルコ達に黙ったままお別れなんてしない。必ずまたこの町に戻ってくるよ」
そうマルコに言い残し、僕達は「エデン」へと続く道の第一歩を踏み出した。