守るべきもの
『9月2日。結局昨日僕の上履きは見つからなかったから今日新しいのを買って持ってきた。だけど体育の時間の後、また僕の上履きは無くなっていた。それに何やらクラスの皆の様子が変だ。昨日は気付かなかったんだけど、皆どこか僕を避けている気がする』
「今日はここの宿に泊めてもらおう」
しばらく歩いた僕達は、小さな町に辿り着いた。
日はやや落ち始め、辺りは夕焼けで紅く染まっている。
「じゃあ僕はこの部屋だね。リンカは隣の部屋、ゴブリンは僕の部屋で預かるよ」
リンカと別れ自分の部屋に入った僕は、宿屋の受付のおじさんに気づかれないよう、服の中に隠していたゴブリンの子を、ベッドの上にそっと置いた。幸いこのゴブリンが目を覚ますことは無く、ずっとスヤスヤと寝息をたてながら静かに眠っている。
「リンカ、大丈夫かな」
僕と、眠っているゴブリンしかいないこの部屋で、僕は一人先程のリンカの様子を思い返していた。
この町に着くまでの道中、リンカは一言も言葉を発しなかった。
リンカが本当は心優しい娘だということは僕はもう分かっている。アリサを、僕を、リンカは自分の命を顧みずたった一人で守ろうとしてくれた。
そんな優しいリンカだ。
この小さなゴブリンの親であろうゴブリンオーガを、そしてその仲間達を殲滅したことに罪悪感を感じているのだろう。
僕だってゴブリンオーガを殺し、この子から親を奪ったことに罪悪感がないわけではない。
だが、あの瞬間、奴を殺していなければ僕達は間違いなくやられていた。どうしようもなかったのだ。
そもそも、元を辿ればゴブリンがアリサの家を襲わなければ何も起きなかったではないか。
罪悪感を振り払うかのように僕は着ていた服を脱ぎ捨てる。
と同時に
「…リュウ。ちょっといい?」
リンカが小声でそう言いながら、僕の返事を待たずにドアを開けて部屋の中に入ってきた。
「…僕まだ入っていいって言ってないんだけど」
突然の来訪に僕は成すすべが無く、リンカにスッポンポンの姿を見られてしまった。
「ゴブリンの様子を見たいの」
裸を見られあたふたする僕を気にする様子もなく、リンカはゴブリンが眠るベッドの側へと近づく。
「私がこの子を一人にしてしまった」
「…リンカ」
リンカの表情は暗く曇っている。
「あの日、アリサの家が襲われた日、私はアリサを失うのがとても怖かった。守らなきゃって思ったの。だからゴブリンの巣まで行ってゴブリンを…この子の仲間達を殲滅した」
「リンカはアリサを守ったんだ。君は間違ったことなんてしてない」
「でもこの子の仲間を奪ってしまった!!」
リンカは声を張り上げ泣きながらそう叫んだ。
「全部全部リンカ一人で守れるわけないじゃないか。アリサとこのゴブリンの仲間、君は友達であるアリサを選んで守った。それだけだよ」
「…私は…私はもうこれ以上誰かを守りきれないのは嫌なの…」
「リンカ?」
どうもさっきからリンカの様子がおかしい。
体を小刻みに震わせまるで何かに怯えているような、そんな様子に見える。
「…自分でも何言ってんだろうって思うよ。でも私は何か大切なものを守ろうとして守れなかった。そんな後悔がいつもいつも胸の中を駆け巡っているの。記憶をなくしてるのに変な話よね」
「…リンカは十分守ったよ。アリサも僕も。そしてあの町の人達も。みんな君が守ったんだ」
小刻みに震えるリンカの肩にそっと手をのせ彼女をなだめる。
それと同時に僕は一つ彼女の言葉で気になる点を感じていた。
僕達は過去の世界での記憶をなくしている。だから僕達の記憶はこの世界内での出来事に限定されているはずだ。
しかし、リンカは大切な何かを守れなかったと言った。この世界に来てからそのような事は起きていないはずだ。もちろんこの僕にも。
だが、実を言うと僕も心のどこかに感じていたのだ。彼女が言ったのと同じように、誰かを守れなかったという後悔のようなものを。その誰かが誰なのか、何から守れなかったのか、それは分からないし気のせいのようなものだと深く考えはしなかった。
…しかしリンカは違った。彼女はそんな得体の知れない後悔の念と一人で闘っていたのだ。誰を守りたかったのかも分からず、それでも一人、ただひたすら守らなければならないという使命に囚われて。アリサの時も、ゴブリンオーガの時もそうだ。
「一人で抱え込まないでよリンカ」
僕は、一人で孤独に闘うリンカを救いたいと思った。彼女が守りたいと思うものを、僕も守りたい。
「このゴブリンは旅に連れて行こう。そして、町に帰って引き取ってもらうんだ」
「え…」
リンカは驚いた表情で僕の方を見上げる。
「最初は理解を得られないかもしれない。でも僕達でこのゴブリンを人間と共存できるように育てるんだ。
そうしたらきっと、町の人たちも受け入れてくれるさ。少し元の世界に帰るのは遅れちゃうかもしれないけど、それでいいかい?」
僕の提案に、リンカは大きく頷いた。
「僕達がこのゴブリンの親になろう。それがこの子に対してできる、僕達の償いだ」
そう言って僕はゴブリンの子の頭を軽く撫でた。
心なしか、眠っているそのゴブリンは小さく微笑んだかのように見えた。