遺児
『9月1日。今日は始業式だった。夏休み明けでみんな浮かれているようだが、いたっていつもと変わりない普通の日常が流れていた。…いやそう言えば一つだけ変わったことがあったな。朝登校したら置きっ放しにしていた僕の上履きが無くなっていたんだ。誰かが間違えて持ち去ってしまったのだろう』
初めての二人での戦いを終え、僕は地面に倒れて動かないゴブリンオーガの横で息を切らしながら座り込んだ。
ハアハアと息を切らす僕とは対照的に、リンカは息を乱すこと無く飄々とした表情で僕の横に立つ。
僕は彼女に対して怒りの様なものが吹き上がっているのを感じていた。
「どうして君一人で突っ込んで行ったの?」
結果的に倒せたから良かったものの、一歩間違えればリンカはあの時殺されていたかもしれない。そんな無鉄砲な彼女に腹が立った。
「あそこで行かなければ敵に遅れをとっていたかもしれなかったじゃない。そうなったら私も君も全滅。そんな悲惨な状況を防いだのだから、むしろ感謝してほしいくらいなんだけど」
「そんなの結果論だ!下手をすれば君は死んでいたんだよ!」
「…じゃあ聞くけど、君はどうしてそこまで私に死んでほしくないって思うの?一緒に過ごしたとはいえ、私達まだ出会って一ヶ月程しか経ってないんだよ?」
「…なっ」
ショックだった。一ヶ月とは言え、僕達は右も左もよくもわからないこの世界で出会い、共に過ごした仲間だと思っていた。
だがリンカはたとえ彼女が死んだとしても、僕が悲しむことはない。その程度の関係だと思っているのだ。
だが、それだと一つ納得出来ないことがある。
「…じゃあリンカはどうなの。リンカは僕を守るために、命を捨てる覚悟であの化け物に突っ込んで行ったんでしょ?でないと、あの状況で僕を置いて一人で突っ込んでいった理由が説明できない」
「…」
僕の言葉に彼女は少しの間黙り込んだ
「リンカだって…本当は僕に死んでほしくなかったんでしょ?」
「…もういいでしょ。早くここを去らないと、奴の仲間が来るかもしれない」
そう話を切り上げた彼女は、一人で、元いた道へと歩みを進めようとする。
「ちょっと待ってよリンカ!話はまだ終わってないよ」
慌てて彼女の後を追いかける。
「…うん?」
ようやく彼女に追いつこうかといったところだった。僕はどこからか聞こえる泣き声のようなものに気付き歩みを止める。
「リンカ…なにか聞こえない?」
リンカも僕と同じように声のする方へと耳を傾ける。
どうやら声は森の中から聞こえている。
「…何かの泣き声?」
「みたいだね。行ってみようか」
僕達は泣き声の主を突き止めるために森の方へと歩み寄る。
「この茂みの中みたいだ」
茂みをより分け中を確認する。
「…これは」
中にいたのは、小さな小さなゴブリンだった。
「赤ん坊…かな?」
顔をしわくちゃにして泣き続けるその様子は、まるで人間の赤ん坊のようだ。
「もしかして、さっき倒したゴブリンオーガの子供なのかも」
お腹を空かせているのだろうか。その小さなゴブリンはさっきよりも増して大きな声で泣き声をあげる。
「小さくてもゴブリンだ。いずれ成長して街の人達に危害を加えるかもしれない。…どうするリンカ?」
「…」
さっきからリンカが一言も言葉を発しない。
「リンカ?」
不信に思って彼女の方へと振り返る。
僕はその時リンカの意外な一面を見た。
町を守るため、ゴブリンの巣を壊滅させた彼女だ。
この小さなゴブリンも、町に危害を与える可能性を秘めている以上、きっと彼女は赤ん坊だろうと容赦なく殺せと言うだろうと思っていた。
しかし振り返った先にいた彼女は、涙を流しながらただじっとゴブリンの方を見つめていた。
「大丈夫リンカ?」
「…私、私」
リンカは明らかに動揺している様子だ。
こんな彼女を僕は見たことがない。
「落ち着いてリンカ!」
「私…この子の…」
「いいから一度気を落ち着かせよう」
しばらくの間優しく声をかけ続けるが、彼女は一向に冷静さを取り戻さない。
「仕方ない。もう少し行ったところに町があるから、今日はそこで宿に泊まろう」
日はまだ少し持ちそうだが、リンカの様子を見て僕は半ば無理やり彼女を町へ連れて行こうとした。
…だが
「待って…私この子も連れて行く」
「ゴブリンを!?」
何を言い出すんだ彼女は…
とんでもないリンカの提案に、僕は仰け反って驚いてしまった。
「それはマズイよリンカ。いくら小さいっていってもゴブリンを人の住む町に連れ込むなんて」
「この子は赤ん坊よ。連れて行けないって言うなら私はここに残る」
「そんな無茶な…」
説得しようとしたが、リンカはもう意志を固めたようだ。今更僕が何を言っても彼女は折れるまい。
「わかったよ」
意を決し、僕は手のひら程の大きさのそのゴブリンを服の中に忍ばせた。
「静かにしててくれよ…」
服の中の小ゴブリンは先程とは一転、気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている。
あの大きな泣き声が嘘みたいに、今は静かだ。
「この子が眠っているうちに早く宿を借りよう」
「…そうね」
僕に納得した様子のリンカは、顔の涙を拭きながら、宿のある町に向かう僕の後ろをついて歩いた。