凛花➖リンカ
『7月31日。今日は凛花が僕の家に来た。…うん、まあわざわざ日記に書くようなことでもないな。母親を早くに亡くし、父親も仕事で家に全然いない彼女だから、まあ寂しいんだろう。凛花は昔からしょっちゅう僕の家に来てはただボーっとして時間を過ごす。それは中学生になっても同じだ。ただ違うのは、ボーっと僕の部屋でテレビを見てる彼女に軽くちょっかいを出してみても、昔みたいにゲラゲラ笑って反応してくれなくなったことかな…今日懐かしくなって同じことをやってみたら、思いっきりスネを蹴飛ばされた…』
町を後にした僕とリンカは、「エデン」を目指して歩みを進める。
「…」
考えてみれば、リンカと二人きりになるのはこれが初めてだ。
沈黙の時間がかなり気まずい…
「ねえリンカ」
「なに?」
「町の人達愉快な人ばかりだったね」
「そうね」
「…と、特にあの音楽家のにいちゃんなんて気分が上がるとすぐ踊り出しちゃってさ、僕一晩中付き合わされちゃったよ」
「そう」
「…」
再び沈黙の時間が訪れる。
この娘は僕と会話を続ける意志がないのだろうか。
「リンカはさ…僕のことどう思ってるの?」
「どうって?」
「ずっと僕を避けてるような気がしたから。もしかして嫌われてるのかも…って」
僕はおそるおそる彼女に聞いてみた。
特に彼女に嫌われるような何かをした覚えはない。
しかし、ここまで彼女に突っぱねられるような態度を示されると、どうもそんな気がしてくる。
「べつに嫌ってなんかないよ」
淡々と答えながら、ショートの黒髪をなびかせる彼女。
しかし、やはりその美しい黒い瞳をこちらに向ける気はないらしい。
「でも…さっきだって、僕と話する気なんてさらさらない、って感じだったじゃないか」
「仕方ないでしょ。…何を話せばいいのかわかんないんだから」
「何をって…」
アリサとはあんなに楽しそうに話してたじゃないか
そんなに僕の話はつまらなかったのだろうか…
リンカに「嫌われてない」ということがわかって安堵したのもつかの間、別の不安が一気に押し寄せてきた。
「とっとにかく君はもっと協調性というものを…」
「待って」
文句の一つでも言ってやろうとした僕を突然リンカが遮る。
「どうしたの?」
リンカがしーっと口をつぐんだ。
言われるがまま僕はじっと静かに耳をすます。
すると
ドシィィン、ドシィィン
地面が揺れるほどの大きな足音のようなものが聴こえてきた。
どうやら音は僕達のすぐ左側に見える森の中からのようだ。
…待てよ、あの森って
リンカとの会話で気づかなかったが、僕達が歩く左側に広がる森は、僕がリンカ達と初めて出会ったあの森だ。つまり、リンカが壊滅させたゴブリンの巣があった場所…
「ガァァァァ!!!」
鼓膜を破るような轟音。
あまりの大声に僕は耳を塞いでその場にうずくまった。
目を閉じてなんとか衝撃を堪える僕。
リンカは?リンカは大丈夫か?
彼女の姿を捉えようと、腕で必死に彼女の居場所を探る。しかし腕に彼女の感触はない。
すると突然カシャンと剣を抜くような音が隣で聞こえた。と同時に轟音が鳴り止む。
「なっなんだ!?」
驚いて、僕は閉じていた目を見開いた。
開いた僕の目に映ったのは…
僕達の身長の5倍はあろう巨体の化け物と、剣を抜いてそれに猛スピードで突進するリンカの姿であった。
「お、おいリンカ!!」
巨体の化け物は、長く鋭い牙をそりたたせ、眼は激昂しているためか赤く充血している。
「貴様らか!!儂の仲間を殺したのは!!」
恐ろしいほどドスの効いた化け物の低い声が、頭の中に響き渡る。
しかしリンカは一歩も怯むことなく、そのまま声の主の懐へと潜り込んだ。
「うぉぉ!」
怒り狂うその化け物に、リンカは凄まじいスピードで剣を振り抜く。
しかし…
「遅いわ!!」
化け物の腕が、リンカの剣を軽く薙ぎ払った。
その勢いで小柄なリンカは吹き飛ばされる。僕は慌てて吹き飛ばされたリンカを腕でキャッチした。
「ダメだって!一人で突っ込んじゃ!」
「うるさいな、足手まといにならないようにそこでみててよ!」
どうやら彼女は一人であの化け物を仕留めるつもりらしい。
僕の腕を振り払って再びやつの元へと突っ込もうとする。
「待ってって!!」
彼女を一旦落ち着かせなければ…
僕は、僕の元から走り去ろうとする彼女の腕をガシッと掴んだ。
「一回冷静になろう。闇雲に突っ込んだって無理だ。リンカだってさっきのでわかったでしょ?」
「…離してよ」
「ダメだ。今は状況を把握して、策を一緒に考えよう」
僕はこの一ヶ月リンカと過ごして気付いたことが一つある。
それはリンカはどうも一人だけで物事を解決しようとする癖があるということだ。
アリサがゴブリンに襲われたあの時のように。
「僕は確かに臆病だ。でも女の子の君に一人で戦わせるほど僕は弱くはないよ」
再度僕は諭すようにリンカの気をなだめる。
すると彼女は、僕の腕を引き離そうと引っ張っていた力をふっと弱めた。
どうやら少しは僕のことを頼る気になったらしい。
「…わかった。で、どうするの?」
「とにかくアイツのことをもっとよく調べよう。弱点を見つけるんだ」
僕はそう言って、ステータスウインドウ内【サーチ】機能を立ち上げる。この機能は対象のプルウィス蓄積上限値を調べるものだ。
アリサに教わったのだが、プルウィスを受け取ることができるのは人間だけではなく、この世界に生きるもの全てだそうだ。人間は階位によってプルウィス最大蓄積値が決定するが、ゴブリンなどの他の生物は、階位の代わりに【LV】という概念によって最大蓄積値が決まるという。当然レベルが高ければ、最大蓄積値が増え、より強い力を持っているということになる。
「貴様ら…何をゴダゴダとやっている」
まずい。奴が動き始めた。
初めて使うサーチ機能に手間取っている隙に、化け物はゆっくりとこちらに近づき始める。
「ちょっと。まだなの?」
「もうちょっと。あと少しなんだ」
くそ。早く!ようやくリンカが僕を頼ってくれているんだ。
焦りで額から汗が滴り落ちる。
「ハア…」
そんな僕に見かねたのか、リンカはため息をついて僕の一歩前に踏み出す。
「ちょっと!」
「いいから、サーチを続けて」
リンカはまた奴に突っ込んでしまうんじゃないか。
そう心配したのだが、どうやら違うらしい。
リンカはその場で立ち止まり、近づいてくる化け物をじっと睨みつけた。
「あんた、私たちが仲間を殺したって言ってたよね?
それってどう意味なの?」
まだ数十メートルほど先の距離にいる奴に聞こえるほどの大きな声で、リンカは怒り狂う化け物にそう尋ねる。すると化け物はピクっとしてその場で動きを止めた。
「しらばっくれるな!!貴様らが儂の大切な仲間の巣を荒らしたんだろうが!」
「…それってあのゴブリン達のこと?」
リンカがそう尋ねると化け物はウォォォォと狂ったように鳴き始めた。
「やはり貴様らかぁぁ!!」
「でもそれは、あんた達が先にアリサや私達を襲ってきたからでしょ」
化け物はまたグォォォォとさっきよりより大きな声で唸り声をあげる。
「許さん、絶対に許さんぞぉぉぉぉ!」
激昂した奴がこちらにものすごい勢いで突っ込んでくる。
「リュウ、どう?」
「ああ、ありがとうお陰で奴の弱点はわかったよ」
リンカが時間を稼いでくれたおかげで奴のLV、弱点は完全に把握できた。
「アイツの名はゴブリンオーガ。ゴブリンの群れのリーダー格みたいだ。そして弱点は…あの反り上がった牙。牙からプルウィスを取り込んでいるんだ。全身硬い皮膚で覆われているから狙うなら牙しかない!」
LVは45と表示されている。人間で言えば階位4相当のプルウィスを取り込めるはずだ。
「あの牙をへし折ればいいってことね」
「うん。でもどうやって…」
突っ込んできた化け物改めゴブリンオーガが、僕達めがけてその太い腕で殴りかかる。
「…くっ!」
すんでのところで二人は左右に分かれてその攻撃を回避した。
「ちょこまかとうっとぉしいぃぃ!」
ゴブリンオーガは僕に狙いを定めたようだ。
リンカと反対側に逃げる僕を、奴は猛スピードで追いかける。見た目の割にスピードが早い。
次第に追いつき、僕めがけて何発もパンチを繰り出した。
カァァン!!カァァン!!
僕はなんとかそのパンチを剣で弾き飛ばす。
「いつまで続くかのおおお!!」
奴は興奮して涎を垂らしながら、休むことなくパンチを打ち込む。
「くっ!」
僕は勢いに押され始めて、剣が奴の拳に追いつかなくなり始めていた。
そんな僕を見て奴はますます鼻息を荒げて興奮している。
…こいつ油断してる
僕はこの時、奴のサーチには載っていないもう一つの弱点を発見した。
それは油断だ。奴は全身硬い皮膚で覆われているという自信からか、周りのことを全く気にしようとしていない。
その油断があったから、今こうしてリンカが背後から迫っているというのに全く気づくことができないのだ。
「リンカ、地面だ!こいつの周りの地面に魔法をぶち込め!」
僕の指示を聞いたリンカは僕の思いついた作戦を理解したのだろう。迷うことなく詠唱を開始する。
「天啓印クレアティオ【ボマー】」
すると、リンカの指からそれぞれ5つの小球がパチパチと音を立てながら現れた。
「ぬう!?」
ようやく異変に気付いたのか、ゴブリンオーガは攻撃を止めらリンカの方を振り返る。
だがもう遅い。
「発射」
5つの小球はゴブリンオーガの足元を囲うように地面に設置された。
「起爆!」
彼女がそう唱えた瞬間
パパパパァァン!!
5つの小球は小さく爆発した
もちろんそれだけでは奴の硬い皮膚に傷一つつけることは叶わない。
だが…
「ぬっぬぉぉ!」
足元の小爆発によって地面がえぐり取られ、ゴブリンオーガはバランスを後ろに大きく崩した。
「ここだぁぁぁ!」
今なら、僕達の攻撃が奴の牙まで届く。
このチャンスは逃さない。
その思いはリンカにも伝わっているようだ。
「「うぉぉぉ」」
ガキィィィン
二人の渾身の一太刀が同時にゴブリンオーガの牙に直撃した。
鋭い尖った音が辺りに響き渡る。
ポト
ゴブリンオーガの鋭く尖った牙先が地面に落ちた。
その瞬間奴の目が大きく見開かれ、ついにはそのまま動かなくなった。
僕達二人の戦いはこうして幕を閉じた。