視線の先に
短編です。四話で終わります。
「おはようございます。サイガさん」
「おはよう、ハート。今日は雨だが、ちゃんと訓練に出てくるのは感心だ」
同じ店で働くサイガさんは禿げのおっさんだが、剣術の先生でもある。
体力があまり無い私は彼に鍛えてもらっているのだ。
「それに比べてトラットの奴ときたら」
犬のような獣人である少年トラットは仕事仲間のひとりで、いつも一緒に剣術の指導を受けている。
サイガさんはサイのような獣人で、毛が無いせいか雨は不快ではないらしいが、同じ獣人でも毛並みを気にする人たちは雨が苦手だ。
だから、雨の日は町のほとんどの店もお休み。
止む無く屋外に出る人たちは、傘というものは無いので、防水らしいフード付きの皮のマントを羽織る。私も今それを着ていた。
「まあ、仕方ないですね。雨ですし」
私とサイガさんは雨に濡れながら空を見上げた。
ここは小さな港町で、住人のほとんどが獣人と呼ばれる種族だ。
だけど三年ほど前、この町の海岸に瓦礫と共に流れ着いた私はただの『人型』の、まだ若いが成人の男性だ。
気が付くと、それまでの記憶を失っていた。最初は言葉もわからず、周りの景色にも見慣れず、戸惑うばかりだった。
しかし、今ではちゃんと一人前に働いている。
「いらっしゃいませ、お嬢様。お待ちしておりました」
私が働いているのは若い男性たちが主に女性客とお酒を飲んだり、話を聞いたりする店だ。
六人いる接客担当者は皆、外見も重要だがその性格や接客態度も重視されている。
でも、私がこの店の接客担当になったのは、珍しい『人型』だからだ。
だって、記憶が無い私には何を話していいのかわからないし、獣人そのものがよくわかっていない。
時々常識外れのことを言って、周りの皆を呆れさせているのである。
先日、この町で年に一度のお祭りがあった。それ以来、ほとんど常連客がいなかった私にも指名が増えた。
サナリさんという犬の獣人の女性客と知り合ってから、私の『無害』認定が強化されたらい。
煌びやかな男性たちが多い店の中で、確かに『人型』は珍しいが、それだけだ。
ふさふさ尻尾もひくひく耳も、美しい羽根も、堅くて強そうな鱗もない。とにかく『特徴』が無いのが『特徴』だ。
でも、サナリさんには「安心して何でもお話出来る」と評価を頂いた。
おかげで今までの客層に多かった活発そうな女性たちとは違う、「おとなしい」「地味」という感じの女性客が増えた。
彼女たちの愚痴を聞くのが私の最近の仕事になっている。
でも今夜は、いつもと違う視線をすごく感じる。
すでに閉店に近い時間になっていて、新規のお客様は入店出来ない。常連客でまだ飲み足りない客が一人二人いる程度だ。
私も今日の客を外まで見送って戻る。ふうと大きく息を吐いていると、
「だいぶ様になって来たじゃねえか」
豹のような獣人の先輩に声をかけられた。
「ありがとうございます。豹先輩のおかげです」
この人は以前はナンバー2だったが、今は何故か私がナンバー2で、豹先輩がナンバー3だ。
私は実力は無いが客にはかなり恵まれている。
ナンバー1の白狼先輩は別格だが、他の接客担当が皆ライバルかというと、そうでもない。情報交換や助け合いは普通に行われている。
外見や建前で偉そうにしている先輩もいるが、基本的に性格は優しい人が多いのだ。
それは女性客を相手にするのだから当然かも知れないと思う。
豹先輩がチラリと店のバーカウンターを見る。
釣られて私もそちらを見ると、珍しい光景があった。
「黒獏先輩だー」
店の調理担当のサイガさんがいるカウンターに、軽く身体を預けるように立っている黒い人影があった。
ナンバー4である獏のような獣人の先輩で、華奢な身体付き、つやつやとした黒い肌としっとりとした黒い髪、申し訳程度な小さな耳。
その先輩がこちらをじっと見ていた。
「さっきからずっとお前を見てたぞ」
ぼそりと豹先輩が呟いた。
感じていた視線はこの先輩からだったようだ。
その黒獏先輩が、気づいた私にニッコリと笑い手招きした。私は驚いて目を見開く。
私がどまどっていると
「大丈夫、行って来い」
と豹先輩が背中を押した。
「は、えっ?」
押し出されてカウンターに向かい、黒獏先輩の側に立つ。
「あ、あの」
「こんばんは。ねぇ、ハート君。ちょっと話があるんだけど、時間ある?」
黒獏先輩の細い銀色の瞳がキラリと光った。
黒獏先輩は普段、自分の部屋からほとんど出て来ない。
この人の接客は占いが主なのだ。
毎日自分の部屋で客に相対で占いを含めた接客をしているらしい。
良く当たると評判なので、とにかく予約でいっぱい。階下のホールで接客している姿を見たことがない。
まあ、女性は占いが好きですよね。私はあまり好きではないけど。
だって、嫌なことを言われたらずっと凹んでしまう自信があるもの。
何だか嫌な予感がしてきた。
「取って食べたりしないから安心して」
黒獏先輩は私が警戒しているのでちょっと困った顔になっている。
「何してる?」
最後の客を送り出した白狼先輩がいつの間にか私の側にいた。
軽く黒獏先輩を睨んでいる。私のことを心配して来てくれたようだ。
いや、心配されているのはうれしいけど、私は別にいじめられているわけじゃないよ。
「ああ、ちょうどいい。白狼も一緒にオーナーの部屋へ来てくれないか」
そう言うと、黒獏先輩はさっさと二階へ上がって行く。
え?、なんか大事?。
私と白狼先輩は顔を見合わせた後、ゆっくりと二階への階段を上がり始めた。