054
俺の家庭は、決して特別だとは思っていない。
両親がいて、ヤキモチ焼きの妹がいた。
母方の祖父は長野市の方に住んでいて、母方の親戚でお世話をしていた。
それはすごく幸せなことではなく、普通の当たり前だと思っていた。
だけど杏那にとって俺の家庭は、羨望で特別でキラキラと見えたのだろう。
街の景色が変わっていく。自転車から見える景色が都会、というかビル群が見えてきた。
時間は夜九時ぐらいだろうか、車の往来も随分少なくなっていた。
「もうすぐだろ」
「うん、和成……ごめん」
「何、疲れているのか?」
「そんなことないわ、楽しかったし」
杏那は俺の腕を掴んだまま、それでも元気がなかった。
「このまままっすぐ行くと学校やゲーセン方面行くけど、ここを左だよな」
「うん、左」しかし小さな声でつぶやいていた。
それでもなんとか聞こえていたので、俺は左に自転車を回す。
杏那は、だんだん元気がなくなっていくのがわかった。
「杏那、大丈夫か?」
「パパ……」不意に俺の後ろで小さく呟いた。
「パパ?」
「ああ、ううん、な、何でもないわ」
杏那は、家の近くなのにやはり元気がなかった。
いや、むしろ家の近くだからこそ元気がなくなっているようにも見えた。
「杏那の家って、母親だけがいるの?」
「そうよ……」
「このあたりだと住宅?それともアパート?」
「このあたりでいい、下ろして」
道のほぼ真ん中で、杏那が突然俺に言ってきた。
だけど、時間は夜九時半過ぎたあたりだ。流石に杏那を、こんな道端に置いてはいけない。
杏那だって女の子だ、できることなら家のそばまで送って行きたい。
「ねえ、どのあたり?」
「ここからなら、歩いて帰れるし。降りるね」
そう言いながら俺の腰から手を離して、小さくジャンプした。
歩道の道路、周りの住宅街にアパートがいくつも見えた。
そのどれかなのかもしれないが、わからない。
「ありがと、和成。今日は楽しかったわ」
「そうか、そう言ってくれてよかった」俺も自転車を止めて、自転車から降りた。
「それでだけど明日からゲーセンでしょ、和成が……」
「いや、明日も俺の家だ。大丈夫、心配いらない」
「でも、それじゃあ、和成が……いつもあたしを送って」
「杏那も、言っただろ。条件を満たすまでダメだ」
「条件って何よ、ユズでクリアすれば……」
「ノーコンテニュークリアだ」
俺はそう言い残し、背中を向けていた。
杏那が何かを言おうとしたが、俺はそれを振り切るように自転車をこぎ始めた。
「じゃあな」と、ばかりに背中を向けたまま手を上げながら。
そんな俺の背中を、杏那はどんな顔で見ていたのか俺は知らないでいた。




